第27話 平日の午後 とある平凡
叩く音で、自然と目を覚ます歩。
「明美さん、おはようです。」
明美
ベッドの上で、タオルケットを全身に絡めて、まだ夢の中にいる歩。
トン・トン…
台所に立つ女性の後ろ身。まな板の上で包丁をがいる事が当たり前の口調。台所に立つ、明美の後ろ身に向かって、そんな言葉を発する。
「歩君、ぐっとタイミング。今、出来るから…」
昼食の仕上げに入っている、振り向く事なく、そんな言葉を口にする。歩が襲われる出来事から、この一週間、時間帯はバラバラであるが、毎日、明美の顔を見ている。
「あれ、明美さん、仕事は…」
キッチンの椅子に座ろうと、まだ閉じろうとする目蓋を、開こうとする歩が、ふと、そんな言葉を口にする。平日の昼時、明美の姿がある事を、不思議に思う歩。
「ちょっと、待て…今盛るからね。」
そんな言葉の後、明美の顔が瞳に映る。トマトベースのパスタが盛られた皿が、歩の前に置かれる。エプロン姿の明美が、歩と向かい合って座る。
歩は立ち上がり、冷蔵庫のドアを開けた。麦茶のボトルを手にして、二人分のグラスを用意する。
「はい、お持たせ、歩君。熱い内に食べましょ。」
そんな言葉を発して、手を合わせる明美、歩も同じように手を合わせている。
「何だっけ、歩君、何か言っていたね。」
パスタを口に運びながら、思い出した様に言葉にする。
「仕事。平日なのに、仕事どうしたのかなぁと思って…」
「有給よ。大分たまっているから、お盆の前に取っとこうと思ったの。」
<ふ~ん>歩は、パスタを頬ばっている。建前であろう言葉に、こんな言葉を返してしまう。
「そんな事ゆうて、省吾さんと一緒に居りたいだけとちゃうの。」
「何を言ってんの。最近、仕事ばっかりだったから、有給を取っただけよ。本当なんだから…」
図星であったのだろう。紅色に染まっていく顔。声も、甲高くなっている。年下の歩ではあるが、そんな明美の事を可愛く思ってしまう。
「あっ、ところで、省吾さんは…」
ふと、省吾の姿が見えない事に気づく歩。折角、明美が休みを取ったのに、省吾の姿が見えないのに、おかしく思う。
「あのね。急に、誰だっけ…名前、忘れたなぁ。とにかく、横浜にいる友達に逢ってくるって、一時間前に出て行った。」
パスタを頬ばる口元を右手で隠しながら、そんな言葉を口にする。
「へぇ~、折角、明美さん休み取ったのに、何やってやろね。で、知っている人?」
「それが、初めて耳にする名前だったのよね。古い知り合いらしいんだけど…」
<フ~ん>何か気になってしまう歩。
「横浜って云えば、昔、住んでいたんだよね。亨さん関係の知り合いかなぁ。」
「どうだろね。私と知り合った時は、もう東京だったからなぁ。歩君の言う通り、そうかもね。」
まァ、そんな事を気にしても、仕方がないといえば、そうであろうし、何か、そんな省吾の行動がひっかかりつつも、明美が作ってくれた昼食を片付ける。
<ごちそうさまでした>明美を、手を合わせる。自分が使った食器を片づけようとすると、明美は片手を押しだし、口元をゴモゴモさせながら、こんな言葉を発した。
「歩君、そのままでいいのよ。私がやるから…」
残っているパスタを、勢いよく口の中に押し込む明美。慌てて手を合わせる。そのまま、自分の食器と歩の食器を重ね合わせて、台所に持っていく明美。
「おいしかったです。明美さん。」
<ありがと>笑みを浮かべながら、そんな言葉を口にする明美は、台所に立った。エプロン姿の明美の後ろ身を、ただ見つめていた歩。心が落ち着く。一週間前、明美に襲われそうになった事が嘘のように思えてくる。
「歩君、今日は、どっちに行くの。」
この一週間、半々で、亨とカオルの所に通っていた。亨に、ピアノ以外の楽器を教わる為に通っていた。
「今日は、カオルママのとこ!」
「そう、忙しいわね。」
キッチンに立ち、食事の後片付けを始める明美の後ろ身に、ちょっとした安心感を覚える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます