第26話 演奏 緊張 高揚 結果 万歳

「えぇと。亨さん、蘭子さん、私の為に、貴重なお時間を作ってもらい、ありがとうございます。」

歩は、ピアノの椅子に座り、マイクを通して、そんな言葉からステージは始まった。

「まだまだ、未熟な私の演奏ですが、聞いてください。」

そんな言葉を発すると、背筋を伸ばして、一呼吸置いた。歩の指が、ゆったりと、鍵盤を押しこむ。横の動きに、鍵盤が押され、静かに、ゆったりとしたメロディーが流れ出す。歩は、いつものように、初めの曲をクラッシックから選曲した。モーツァルト交響曲41番(ジュピター)の旋律が、店の中に居る、みんなの耳に届いている。

歩のステージが始まった途端、ソファーに座る二人の表情が、一瞬の内に変わる。不安がっていた亨は、両肘をテーブルにつき、両手を絡まし組んだ。その体勢のまま、顎を組んだ両手の上に置いて、鋭い目つきで、歩を見つめている。

蘭子は、パタパタとあおいていた扇子を閉じて、膝の上に置いた。背筋を伸ばし、姿勢を整える。ステージ全体を視界に入れ、歩が、奏でる旋律を耳で聞くというより、自分の目で聞いていた。

歩は(ジュピター)の曲の途中で、指の動きを、横の流れから、縦の流れに変える。静かに緩やかに流れていたメロディーが、激しく鍵盤を叩く旋律に変わっていく。歩はマイクに、唇を近づけると、渋く歌い出す。ジャズの<Misty>サラ・ヴォーンに似た、深く伸びのある声色が、店内を包む。一呼吸置いて、<A Lovers Concerto>が続く。歩は、声量のある伸びのある声で歌い切った。軽く鍵盤を叩く縦の動きのメロディーが流れ出す。清明で、透明感のある声色で、<Someday My Prince Well Come> (いつか、王子様が…)を、歌いあげる。歩の身体の動きが、ゆったりになり、最後の鍵盤を叩くと、奏でる旋律が終わった。ソファーに座る二人以外は、大きな拍手で歩を讃える。

「歩君、すごいじゃないの。本当に、興奮しちゃった。」

そんな言葉と一緒に、ステージの歩の所に駆け寄っていく。明美は、歩の手を握り、ステージ上で飛び跳ねている。

「ありがとうございます、明美さん。」

歩は、自分の演奏で、こんなに興奮してくれる明美に、うれしさを思えるが、どうしても、ソファーに座る二人の事が気になる。

「ちょっと、いい。」

そんな言葉をあげて、蘭子が立ち上がると、歩の胸がドキッとしてしまう。

「私の評価を言ってもいいかしら。」

<はい!>歩は、思わず、身体を蘭子に向ける。

「合格は、合格。でも、何かが足りないのよ。何て言えばいいだろね。オネぇさんが、この子に惚れる、何かがわからない。」

蘭子は、何か物足りない様である。カオルが、ごり押しで持ってきた話。歩が、みんなが納得するものを持っていると思っていた。

「ちょっと、俺もいいかな。」

今度は、亨が手を挙げた。

「歩君だっけ、今の演奏で、十分、お金はとれるよ。でも、物真似なんだよね。よく出来た物真似。うまいとは、思うけど、それ以上のものはない。」

そんな言葉を続けた。亨と蘭子の厳しい評価。亨は、省吾の方に顔を向ける。

「省吾、悪いが、これが、俺の正直な意見だ。」

省吾に向かって、そんな言葉を発した。カウンターの席に座って、腕組みをしていた省吾は、立ち上がる。

「そうか、わかった。歩。例のオリジナル曲、出来るか。」

余裕の表情を見せて、歩に、そんな言葉を叫んでいた。カウンター内に居るカオルも余裕の態度で、煙草を吸っていた。

<はい!>二人の厳しい評価に、沈んな顔をしていた歩。何を言われても、しょうがないと思ってはいたが、現実に言われると、沈んでしまう。そんな省吾の言葉で、まだ、全てを出し切っていない事に気づく。省吾に言われて、密かに、完成に近付けていたオリジナル曲。あの歌を、まだ、披露していない。歩は慌てて、ピアノと向き合う。ステージ上に居た明美も、慌ててはける。

深く呼吸をして、目を閉じる歩。神経を統一している。目を見開き、鍵盤に向かっていった。


君の心には、私がいますか

私の心には、君が大きくいます

舎窓から眺める、君の後ろ見

    ~        

君の瞳には、私が映っていますか

私の瞳には、はっきり、君が映っています

校舎の中庭、私一人

    ~    

手紙を書いては、捨てる毎日

君に対しての想いが、下手な笑みにさせる

何回、ペンを走らせても、言葉に出来ない

    ~    


力強く鍵盤叩き、独特な旋律から流れ出す。この詩を、その旋律に乗せる。ソファーに座る二人の耳に届いた声色は、歩に印象を変えていく。さっきまでの歩は、ステージ上にはいなかった。元々持っていた実力にプラスされた独特なメロディーに、個性的な声色。物真似ではない、オリジナルティー。演歌にも聞こえる中、不思議なものを感じてしまう。シャンソン、(和風シャンソン)そんな言葉がピッタリくる。

カウンターにいる二人も、歩の変化に気づいていた。十日前、カオルのマンションで聞いた時よりも、数段成長している歩がいる。声量が違う、あの時は、周りなど見えていなかった。自分の世界で歌っていた。今は身体全体で表現をしている。歌を聞いてくれる人達に目を配り、一緒に楽しんでいる。後、一番変わったのは、存在感。ステージの上で堂々たるもの。怯んでなどいない。毎日、歩のステージを見ているカオルでさえ、正直、圧倒されていた。

ポン・ポロン

歩は、指の動きが止まり、そんなピアノの音が、店内に響いている。

パチ、パチ、パチ!

勢いよく手を叩き、立ち上がる蘭子がいた。瞳には、涙を溜めている。拍手をしながら、ステージ上の歩に近寄る。

「すごい、すごく良かった。何なのこの変わり様は、あなたは何なの。」

蘭子は、ワケのわからない事を言葉にしていた。でも、これが、本当の言葉なのである。さっきの物足らなかったものが、すべて埋まっている。

「オネぇさんが、惚れるのも、わかるわ。歩君、完璧に合格。店で歌ってもらうわ。とりあえず、週二日、演者として出てもらう。後は、えぇと、明日、オネぇさんと一緒に店に居らっしゃい。細かい事は、その時に決めましょ。あっ、帰って、ステージの演目を考え直さなきゃね。歩君、いい、明日ね。」

怒涛のような、蘭子の言葉に、歩は何も言えず、頷くだけであった。蘭子は、そのままステージを降りて、カウンターに足を進める。

「オネぇさん、これで、いいかしら。」

カオルの前で、そんな言葉を口にした。

「ああ、後は、あんたに任せるよ。」

そんなカオルの言葉に、ゆったりと、頭を下げた蘭子は、そのまま、店を後にした。

ステージでは、小さなガッツポーズを歩に、また、明美が駆け寄る。蘭子同様、瞳に涙を溜めていた。

「歩君には、驚かされっぱなし。すごい、すごいよ、歩君…」

今度は、抱きつかれた。

「ありがとう。明美さん。本当に…」

歌い終わって、初めて言葉に出来る。抱きつかれた状態で、どうしていいのか、わからない歩。

「明美、ちょっと、離れてくれんか。亨の評価が聞きたい。」

ものすごく歓喜を表に現れている明美に向かって、省吾は、こんな言葉を発した。まだ、ソファーに座っている亨の態度が、気になっていた。

「亨、どうやねん。歩の評価は…」

そんな言葉を発しながら、立ち上がる省吾。今日は、この為に亨を呼んだ。プロの目から見て、歩はどう映ったのか、早く聞きたいと云う思いが、全身に出ている。

パチ、パチ、パチ…!

省吾が、亨の後ろ身を見つめて歩き出した時、ソファーに座りながら、拍手をする亨。

「省吾。いいものを見せてもらったよ。お前が、本物だと言った意味がわかったよ。」

想像を超えた何種類もの声色。儚く、強く、凛々しく、あどけなく、この唄には込められている。亨は立ち上がり、ステージの近くまで歩み寄った。

「いくつか、質問してもいいかい。歩君。」

静かに、歩に視線をやり、そんな言葉を口にする。

<は、はい!>歩は、正直緊張をしている。今、出来る全てのものを出した。省吾から、目の前に居る亨は、プロのミュージシャンだと聞いている。亨の言葉が、歩の身体を硬直させていた。

「君は、楽器は、ピアノだけかい。」

「いいえ、トランペットを…」

「そうか、君は、クラッシックをやっていたんだね。」

「はい。」

「だからか、なるほど…ギター、ベースは、出来るかい。」

「いいえ、やった事ありません。」

「じゃあ、とりあえず、ギターからだね。今度、持ってきてあげるよ。」

亨のこんな質問は、続く。

「この世界で、生きていくんだったら、色んな楽器をしなさい。絶対に、役に立つ。歩君、君には、素質をある。まだまだ、やらなければいけない事は、たくさんある。いいかい、焦らず、ゆったりとしていけばいい。」

亨が立ち上がり、歩に向かって歩き出した時、自然と、止まっていた足が動き出した。

「って事は、プロを目指せるんやな、亨。」

勢い良く、亨に襲いかかる省吾。

「おい、省吾、びっくりするだろ。」

「いいから、まわりクドイ事は、言わんでええねん。はっきりとした言葉を言え!」

「ああ、歩君には才能がある。歌い手になる才能がある。俺が、断言する。」

そんな亨の言葉が耳に届くと。省吾は、歩に飛びかかる。襲っているわけではない。うれしさのあまり、そんな行動をしてしまう。

「やったな歩。亨から、お墨付きが出たでぇ…自信もっていいんやで。」

そんな歓喜の声をあげ、思い切り、頭を撫ぜている。キチンと、セットしてあった頭が乱れていく。

「省吾さん、やめてよ。崩れるから…」

亨の前で、緊張していた歩が、そんな声を上げる。

「ええんや、そんな事は、やったな。ホンマに、やったな。ヤッホー!」

そんな事をされている歩は、悪い気はしていない。

「ありがと、ありがと、ありがとう。」

そんな言葉を、大きく口にする。

「あっ、そうや。いい事、思いついた。」

歩の髪の毛をぐちゃぐちゃにする手が止まり、顔を見つめる。

「万歳や。万歳しようや。亨、お前もやるんやで…。」

近くに居る亨に、そんな言葉を掛ける。渋い顔をする亨。

「明美、お前も、こっち来いよ。カオルも…」

省吾は、はしゃぎまくる。店の中に居る人間を、ステージの前に並べ、髪の毛がぐちゃぐちゃの歩だけをステージの上に立たせる。

「これより、宮本歩の今後の健闘を願い、万歳!万歳!」

「万歳。」

「ばんざい…」

『バンザイ。』

ステージに上の歩を囲んで、みんなが万歳をしている。滑稽な風景。歩は、そんな風景に笑みをこぼしている。

渋い顔をしていた亨も、やっている内に楽しくなっている自分に気づく。

明美も、カオルも、こんな馬鹿げた行為を楽しんでいる。

ここに、仮名<歩を歌い手にする会>が、発足された。省吾だけが、思っているだけの事かも知れない。もちろん、今、店に向かっている蘭子もその一人である。

『万歳!万歳!』

省吾が、自分を忘れ、歩への応援の気持ちが爆発した叫びが、店内に響いていた。


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