第20話 七月の風に吹かれて
「省吾さん、買ってきたよ。」
玄関の方から、そんな言葉が聞こえてくる。ドタバタとした歩の足音が、耳に届くが、身動きが出来ないでいる。今の省吾は、とにかく、疲れた。全体力を、使い切っていた。
「ああ、何よ、それ…」
リビングのソファーに座り、煙草を吸っている省吾の姿。
「人に、煙草を買いに行かせといて、キャビン、吸っているやん。」
歩は、そんな言葉を、怒りにまかせて口にする。人に、別な煙草が吸いたいから、買いに行かせといて、目の前で、煙草を吸っている。
「あっ、ごめん、無意識に、吸っていたわぁ。」
そんな言葉を発して、すぐさま、煙草を揉み消した。歩には言えないが、父親とのバトル。正直、参った。未成年の歩を、預かっているのである。警察に、通報されてもしかたがない立場。誠心誠意の言葉を、父親にぶつけた。本当の事を言えば、そこまでの事はしなくてよかったのだろう。しかし、今、歩がどんな気持ちで、ここ東京にいるのか、これから、先の事を考えたら、せずにはいられなかった。
「勝手やわ。それ…」
「ごめん、ごめん…ショッポくれ。」
歩から、煙草を受け取り、すぐさま、煙草に火を付けた。煙を肺まで入れた途端、頭がクラっとくる。
「重いな、ショートホープ…」
そんな事を口にしながら、目を閉じていた。二十代から、三十代初めまで、吸っていた煙草。身体の事を考え、キャビンに変えた。
「でも、うまい!」
「なんや、それ…」
歩は、軽い突っ込みをいれた所で、ソファーに座った。
「で、何よ。こんな時間に、カオルの所で、ピアノとちゃうんか。」
久しぶりショートホープの味を味わいながら、こんな言葉を切り返す。
「あっそうや、そうなんよ。ママがね。もっと、大きいステージで、歌ってみないかって…」
ふてくされていた表情が、楽しいモードに変わっていく。
「大きいステージ…」
「そう、ママが、オーナーしているオカマバーのステージに、上がってみないかって言われたの。」
<…>どうリアクションしていいのか、わからなくなる省吾。
「あのね、今の店だったら、多くても、十数人の観客じゃない。そのオカマバーは、席数が、五十人の大きな店なんだって、今のままだと、接客もしなくちゃいけないけど、その店だったら、一演者として、歌だけを歌えばいいんだって…」
興奮気味に、そんな言葉を続ける歩。省吾には、そんなカオルの提案に、喜んでいるように見える。
「歩、お前は、どうしたいんよ。」
思わず、そんな言葉を口にする。
「えっ、私…どうしたいって、接客も、楽しいけど、やっぱ、歌を歌っている時の方が楽しいし…ステージの事だけを、考えられると云うのも魅力的だと思うのね。」
煮え切らない歩の言葉に、煙草を銜え聞いていた省吾は、突っ込んだ言葉をぶつけてみる。
「歩、お前、歌を歌っている時が、楽しいって言っていたな。それに、偽りはないか。」
「うん、ないよ。」
急に、声のトーンが変わった省吾に、身構えてしまう。
「俺の知り合いに、音楽で飯を食っている奴がおるんやけど…お前に、一回逢わしたいと思っているんよ。」
<えっ…>思いがけない省吾の言葉に、戸惑ってしまってしまう。
「俺は、お前には、才能があると思う。お前やったら、プロになれると思っている。俺の勝手な思い込みやけど…もし、お前が、音楽を職業にしたいんやったら、紹介したい。俺は、音楽に関しては素人やし、俺の連れに逢って、お前に才能があるかどうか、品定めしてもらいたいと思っている。どうや、歩。」
…
「そら…今のままではいかんと思う。お前も、もっと、努力して、自分の感性や、実力を上げていかなぁ、あかんと思う。ただ、お前が、今やりたいと思う事が、自分の夢として、追っていけるかは、お前次第やから、無理尻はしない。」
歩は、正直に、驚いている。歌を歌う事は楽しいという気持ちは本音である。しかし、【夢】として、追いかけられるかと、聞かれれば、どう答えていいのかわからない。
<…>何も、言葉にしない歩の事を見つめる省吾。ひたすら、歩の言葉を待っていた。
自分の中で、色んな言葉が、浮かんでは消えていく。省吾とカオルが傍に居てくれて、見守っていている。そんな今の状態が、一番いいのかもしれない。いつまでも、そんな二人に甘えてはいけない気持ちは、持っていた。自分の足で、歩いていかなければ事も、わかってはいた。
「あの…省吾さん。」
<なんや>沈黙の時間が流れ、歩の方から口を開くと、気持ち的に身を乗り出してしまう省吾がいた。
「今のままじゃぁ、いけませんか。私、まだ、田舎には、帰りたくないです。」
歩は、省吾のマンションでの、二日目の夕宅での言葉が、頭に浮かんでいた。
<両親の所に戻って、その親を説得させてから、ここに戻ってこればいい!>
省吾は、少しの間、眉間に皺を寄せて、自分が口にした、この言葉を思い出す。
「そう、そうか、お前は、生真面目というか。あの言葉の事が、気になるのか。いいか、歩。俺が言いたいのは、(お前の生きる道)や。あの言葉が、ベストやと思う。俺は、今でも、親元に、一度は帰らなあかんと思っている。でも、それを、決めるのは、お前やねん。」
「じゃあ、私…」
省吾は、真正面に右手を上げ、歩の言葉を止める。
「歩、俺の話を最後まで聞いてくれ。俺は、親父と喧嘩して、お前と同様。家出状態で、この関東にやってきた。正直に言って、後悔しているんよ。お前が、もし、音楽の道を進むのであれば、親元からでも、挑戦できると思うんよ。高校を卒業するまで、後一年と半年ぐらいか、東京に通えばいい。例えば、金曜日、授業が終わるのは、何時ぐらいや。」
「えっ…二時半ぐらいかな。」
突然の問いかけに戸惑うが、率直に言葉を返す。
「二時半か…電車が出ている台数によるだろうけど、那智勝浦から、名古屋に出るまで、多くかかったとしても、二時間ぐらいやとして、名古屋から東京まで、(のぞみ)で二時間や、新宿まで、十五分もかからへん。合計四時間十五分で、カオルの店まで来れる。週末、金、土は、カオルの店で働ける。電車賃は、それで賄える。泊まる所は、もちろん、ここでいいわけや。これはあかん事やけど、金曜日、昼から早退すれば、もっと早く来れる。週一回、いや、辛かったら、二週に一回、月に一回でもええ。そうすれば、お前は、夢を追って、(自分の生きる道)を歩いて行ける。どうや、歩。」
歩は、呆気にとられていた。今の事しか、考えていなかった。父親から、逃げる事しか、考えていなかった。
…
「俺は、お前に、頑張ってほしいねん。もちろん、俺も、カオルも、お前の手助けはしてやれる。でも、あくまでも、第三者的なものやねん。今は、必要のない両親の助けであっても、いつかは、必要になってくる。そんな時、溝があったら、歩、お前自身が、苦しむし、悲しみ事になるんよ。」
自分の事を、これからの先の事まで、考えてくれていた省吾の言葉が、重く胸に突き刺さっていく。
省吾は、単に、プロの歌い手になりたいのか、どうかを聞きたかった。かなり、話がずれてしまってはいたが、思い寄らず、自分の考えているプランを、口にできる事になった。
…
「どうや。歩。答えてくれんか。」
歩は、うれしかった。家出してきた自分を、面倒を見てくれている事だけでも、感謝、感謝なのに、ここまで、親身に考えてくれていたことが、うれしかった。
「省吾さん…私、歌を歌っている時、全ての事が忘れられる。ピアノを弾いて、音楽の中で、自分を表現できる事に、爽快な気分になれる。それって、楽しいって事だと思うの。楽しいと思える事は、うれしい事だし、幸せな事だと思う。それが、ずっと、続けばいいと思っている。それって、(夢)になるのかなぁ。」
迷っている自分の心を、言葉にした。省吾が、語ってくれた言葉で、これから先の事を見ようとする歩の姿がここにあった。
…あえて、言葉を口にしない省吾。
「そうだ、そうだよね。これが、(夢)なんだよね。私が、一番したい事が、(夢)なんだよ。って事は、追いかけていいんだ。(自分の生きる道)になるんだ。」
一気に、歩の表情が輝き出す。心の靄が、一気に晴れていく。俯いていた歩が、省吾の顔を、力強く見つめる。
「省吾さん、私、プロになりたいです。だから、省吾さんのお友達に、逢わしてください。」
どストライクで、省吾が待っていた言葉。歩の気持ちを聞く、タイミングを計っていた。どう聞き出そうかと、悩んでいた。思わぬ所で、こんな話になってしまったが、結果オーライという事でいいであろう。
「わかった。」
「お願いします。」
背筋を、ピンと伸ばし、深く頭を下げる歩。そんな元気のいい声が、部屋中に響いていた。
ただ、息をしていた日々が信じられないくらい、この数日、充実した日々を送っていた。作り笑顔ではなく、自然に、笑えるようになった。東京の空の下で、自分を導いてくれる人達に出逢い、追いかけられる(夢)を見つけた。七月が、終わろうとしている夕刻の出来事。
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