第17話 省吾の過去(もう一人の旧友)
注文したグラスの中身が、無くなった頃、省吾は、ゆったりと、煙草を吹かし始めた。その隣の亨は、重心を後ろに傾け、腕を組んでいる。
「省吾、煙草、一本、くれないか。」
亨のそんな言葉に、そっと、煙草を差し出す省吾。そして、自分が吹かしている煙草の火で、亨の銜えている煙草に、顔を突き合わせて、火をつける二人。
「ふぅ…そうか。お前がねぇ。」
煙を深く吸い込み、思い切り吐き出した後、そんな言葉を口にした。
「おかしいやろ。」
「ああ、全く…お前らしくない。」
「俺も、そう思う。」
そんな言葉を交わした後、少しの時間、黙り込んでしまう二人。
お互いに、煙草が、吸い終わった頃、亨が、煙草を揉み消しながら、こんな言葉を発した。
「あぁ、わかった。逢ってやる。そして、プロになれるが判断してやる。お前が、それだけ、夢中になれるんだから、本物なのだろう。」
不安そうな顔をしていた省吾の表情が、一気に変わっていく。
「ホンマか、ありがとう。ホンマ、ありがとう。」
無理矢理、煙草を揉み消している亨の手を取って、強く握りしめる。亨の事を見つめながら、握った手を上下に大きく振っていた。正直、亨は驚いていた。歩に対しての熱意に…昔の省吾であれば、考えられない。他人の為に、何かをしてやろうと、思う気持ち。考えてみれば、省吾が書く小説も、ここ三~四年で変わっていた。一言でいえば、優しくなった。トゲトゲした、二十代に書いてモノよりも、成功した近年のモノには、温かみがある。
「でもよぉ、その歩君だっけ、その子の気持ちがわからないことにはなぁ。」
亨は、そんな言葉を付け加えた。目の前で、はしゃいでいる省吾の表情が曇っていく。
「そこが、問題やねん。昨日の今日やから、どう聞いていいか、タイミングがな。まぁ、よかった。お前が、OKしてくれて…とにかく、一つ目の頼み事は終わった。」
亨の手を離し、椅子をクルリと回して、正面を向く。手を重なり合わせて、肘をつく。
「で、二つ目の頼みは、何よ。」
亨は、冷静にそんな言葉を返す。
「悪いけど、総一郎と、間を取り持ってくれへんか。」
「そうか、やっぱり、話の流れから、そうだろうと思ったけど。まだ、連絡してないのか。」
「ああ…」
「お前の性格からして、自分から仲直りの連絡はしないか。」
総一郎とは、音楽をしていた頃のバンドメンバーのもう一人である。
「お前らは、昔から、ウマが合わない割には、仲がいいというか。お互いを、認め合っているというか。」
亨も、グラスを口に運んでいた。
「俺の方からは、連絡しづらくてなぁ。」
「お前達は、昔からもよく喧嘩をしてたもんなぁ。三人で、バンドを組んで、話し合いを重ねて、オリジナル曲も、何曲か作って、さぁ、これから、活動するぞって時に、お前が、突然、辞めるだもんなぁ。総一郎、怒った、怒った。殴り合いになったな。」
思い出し笑いをするように、言葉を口にする。大阪から出てきたばかりの頃の話。
「でも、亨、正直な話。総一郎は、ともかく、俺は、無理やって、わかっていたやろ。いや、そう思っていたやろ。」
省吾は、あの頃、日が経つにつれ、自信が無くなっていた。ミージシャンを目指す、人間の中に身を置き、自分の音楽に対する技術、熱意が、周りとの差があまりにもあった。
…
「何も言わへんって事は、そう思ってたんやろ。」
「でも、今のお前は、夢を現実にさせて、今は、大作家先生じゃないか。」
「フォローになってないわ。」
昔の話は置いといて、音楽の繋がりがなくても、十五年以上も、顔を合わせる、酒を飲み交わす仲のあるのだから、それは、それでいいと思う。
「でも、お前も考えたな。つまり、総一郎のコネクションを使いたいわけだろ。」
「まあ、お前に見てもらってからの話やけどな。」
「確かに、その子の為に、総一郎の力を借りるのは、正解かもしれないな。」
「ああ…」
総一郎は、三人の中でも、一番の出世株。二十五の時に、起業して十年。今では、横浜に、ライブbar、ライブハウスを一軒、イタリアンレストラン、フレンチレストランを一軒ずつ。最近は、東京の方にも、店を出している。
「お前は、総一郎に、逢っているんやろ。」
「ああ、たまに、ステージに、上がらせてもらっている。俺も、稼がないとな。」
省吾は、五年前まで、横浜に住んでいた。総一郎の仕事を、小説を書きながら手伝っていた。
「総一郎は、すごい!」
省吾は、突然、そんな言葉を口にした。省吾が、バンドを抜けて、しばらく、亨と総一郎、二人で、音楽活動をやっていた。その結果、インディーズでデビューをしている。そのデビューがきっかけになり、亨は、プロのミージシャンとしての道が拓かれた。総一郎は、自分の限界を知ったのか、自分の舵を、起業をして、ライブbarを経営する事に向けられた。
「あいつが居たから、俺も、お前も、食いっぱぐれがなかった。お前は、音楽。俺は、小説に、集中出来たねん。金がなくなると、あいつの所に行き、バイトさせてもらう。」
「ああ、そうだったなぁ。総一郎には、随分、助けてもらった。タダ酒も、随分、飲ましてもらった。」
「そうやな。あの頃の一番、楽しかったのかもしれんな。」
そんな言葉を発して、二人同時に、グラスを口に運んだ。お互いに、それぞれの想いを、抱いているのだろう。
「そして、お前は、あいつと大喧嘩をして、五年も、連絡を取ってないか…」
<…>薄暗いbarのカウンター越しに、省吾の背中が、寂しそうに見える。亨の言葉に、グラスに入った氷を見つめていた。
省吾が、東京に出てくる原因にもになった総一郎との、大喧嘩。
「つまらない事で…」
亨は、喧嘩の原因を知っている。
「それを言うな…」
俯いて、恥ずかしいそうにしている省吾。
「子供の喧嘩か。それで、五年も…」
確かに、喧嘩のきっかけは、些細な事であった。それが、お互いの誹謗、中傷に発展していく。二人だけの場であれば、いつもの喧嘩であった。その場が、会社の飲み会の席であったから、タイミングが悪かった。一様、社長である総一郎の悪口を、いちアルバイトが、堂々と口にしているのである。売り言葉に、買い言葉、その場で殴り合いなる。それからの事は、大体わかると思う。
「お前も、いい年だったんだから、場所を考えろよ。」
「まぁ、言うなって…」
省吾にとっても、大人げなかった事だったのだろう。確かに、酒の席であり、多少のアルコールも飲んでいた。あの時期の環境もあった。小説の方もうまくいかない、苛立ちもあったのだろう。タイミングが悪く、あの場で、爆発してしまった。省吾は、振り上げた拳を、勢いよく、振り下ろしてしまった。もう、総一郎に合わす顔がなくなるのも、当然かもしれない。
「でもよ、俺にとっては、いいきっかけになったのかもしれへん。総一郎に、甘えてたから…」
「そうだな。俺達、あいつに、甘えていたな。バイト代も、多くもらっていたし、俺は、歌を歌える場を、作ってくれていた。ギャラにしても、多くもらっていた。」
「東京に出てきて、身に知らされた。でも、俺にも、意地があるやん。何くそって、言う気持ちが、いい方向に導いてくれたのかもな…」
確かに、この時期から、省吾が文章にする作風も分かってきた。上辺だけの文章から、心に響く文章に、省吾の心の変化が、そのまま、文章に表れていた。
「五年も、そんな意地を通してきたお前が、総一郎のコネクションの為に、逢おうってか。その歩って子に、興味湧いてきた。」
そんな言葉を口にして、楽しくなってきた。総一郎は、実業家という事もあり、ライブbarと、ライブハウスの経営をきっかけに、レストラン経営まで、手を伸ばしてきた。横浜を中心とした、音楽業界にも顔が利く。歩の為に、そのコネクションを使わない手はない。
「まあ、頼むわ。総一郎との仲立ち。」
「お前達にとっては、いいきっかけかもな。ウマが合わないように見えて、お前達、よく似ているんよ。まぁ、その前に、歩って子に、逢わないとな。」
そんな亨の言葉で、顔を見合わせる。そして、持っていたグラスを静かに、重ね合わせた。しばらく、二人の酒盛りをする。懐かしい思い出をアテに、おいしいお酒を飲み交わしていた。
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