第13話 あゆむのうた

ワイワイ、ガヤガヤ…

キッチンから、楽しそうな会話が聞こえてくる中、落ち着いて、ティーカップを口に運んでいる省吾がいた。心なしか、安堵の表情が見える。正直、日比野公園でカミングアウトされた時は、平然を装っていたが、どうしていいのか、わからずにいた。

<カオルに、電話して、良かった>

そんな言葉を、呟く。そして、視線をピアノに向ける。省吾には、気になる事が一つある。カオルが、高級マンションに住んでいる事は、カオル自身が、頑張った結果なのだから、いいとする。五年以上の付き合いになるカオルと、視線の先にあるピアノが、どうしても結びつかない。ティーカップを、テーブルの上に置き、おもむろに、立ち上がる省吾。ピアノの前に立ち、楽体を、撫ぜるように触れている。そして、ピアノの椅子に、静かに座り、軽く鍵盤を叩いた。

ポロン、ボロン!

適当に、鍵盤に触れる指先に、力を入れる。昔を、思い出したのか、一曲、ビートルズナンバーから、Norwegian wood(ノルウェーの森)を、弾き始めた。もちろん、キッチンまで、ピアノの旋律は届いていた。

 パチ、パチ、パチ…

 曲が終わり、そんな手を叩く音が聞こえてくる。旋律を奏でている間に、カオルが、ピアノの前に立っていた。 

「渋いわね。省吾、ビートルズでしょ。」

感心している様である。

「よく、知っているな。それより、なんで、ピアノが、あんねん。」

省吾は、気になっていた事を、口にしていた。確かに、長い付き合いの中で、カオルがピアノを弾いているところなど、見た事がない。

「これねぇ、このマンション買った時、何か、やりたくて、ピアノを弾けたら、カッコイイじゃない。このリビングを、防音の工事までして、このピアノも買って、レッスン受けてみたんだけど、結局、インテリアになってしまったの。」

少し、恥ずかしがりながらも、そんな言葉を口にする。省吾は、気が晴れたのだろう、納得した表情を浮かべた。

「でも、すごいじゃないの。音楽をしてたとは、聞いていたけど…」

そんなカオルの言葉に、少し照れてしまう。

「まぁ、これぐらいはな…」

そんな言葉を発した後、ある言葉を思い出した省吾。

「あっ、歩、ちょっと、来いや。」

そんな大声を、急に出すものだから、カオルは、驚いている。そんな中、慌てて、姿を見せる。

「なんです。省吾さん!」

「お前、ピアノやってたんやろ。なんか、弾いてみいや。」

省吾は、代々木公園での、歩の言葉を思い出していた。

「なんなん、急に…」

そんな言葉を発しているが、断る理由もない。歩は、キッチンに戻り、ガスの火を止めて、再度、リビングに姿を見せる。

グランドピアノ前に立ち、椅子に座る。軽く鍵盤を叩き、音を確かめ始める。

「音は、大丈夫やね。」

そんな言葉を呟くと、視線を上げ、省吾の方を見た。

「何でもいいの。」

「ああ…」

歩は、目を閉じた。一つ、深い深呼吸をして、背筋を伸ばす。手のひらの指を絡ます様に合わせて、目を開く。ゆったりと、鍵盤に指を近づける。

静かに、旋律が奏で出した。曲は、<ショパン・ワルツ第一番・華麗なる大円舞曲>。まぁ、聞いている二人にはわかっていないが、クラッシックだと云うのはわかっている。数分の演奏の中、カオルは、歩が奏でる旋律に、気持ちが高ぶってくる。省吾が弾いたピアノとは違う、深いものを感じていた。

パチ、パチ、パチ…!

明らかに、省吾の時よりも、拍手の大きさが違う。

「すごいじゃない、歩君、ピアニストになれるんじゃないの。」

ものすごく興奮をしているカオル。

「いや、私は、そんなレベルじゃないですよ。」

照れながらも、そんな言葉を口にする。省吾は、正直に驚いていた。自分と、比べているわけではないが、表情に出さないが、<うまい!>という言葉を、心の中で叫んでいた。

「歩、ジャズとか、弾けないのか。」

「えっ、ジャズって…さっきの省吾さんが弾いていた、ビートルズだったら、どうにか、できるかな。」

省吾の言葉に応える様に、鍵盤を叩き始める。歩は、ビートルナンバーから、<thank you girl><get back><let it be>を選択する。カオルは、ノリノリで、声に出して、歌い出す。そんなカオルに釣られたのか、歩も、歌い出した。

今、歩は、自分の世界の中にいた。歌う事に夢中になり、周りが見えていなかった。<get back>の途中から、カオルが、歌うのを止めていた事に気づかない程、自分の世界の中にいた。歌を歌う事に、今まで感じた事のない、快感を覚えていた。

カオルが、なぜ、歌う事を止めたのは、歩の歌声に、圧倒されたからである。大声で、叫んでいるわけではない。自分の声が邪魔に、思えたからである。もっと、歩の歌声を、聞いてみたくなったからであった。

省吾は、正直、驚いていた。お世辞にも、美声とはいえない。しかし、聞いてしまう。独特の声色。歩の歌声には、人を魅了するものがあるように思えた。

鍵盤を叩く速度が、落ち着いてくる。歩は、ゆったりと、最後の音を鳴らし終え、目を閉じていた。

パチ、パチ、パチ…!

「すごい、歩君、すごいわ。私、聞き惚れていた。」

カオルは、すごい勢いで、喋り出す。言葉にせずにはいられない興奮を、隠さずに出している。

「あっ、そうだ。お店で、弾いてもらおうかしら、そうよ、それがいいわ。ねぇ、ねぇ、歩君、いい考えでしょ。」

そんな言葉を口にして、歩に、ボディータッチをしている。

「あの店に、ピアノ、置くスペース、ないやろ。」

飛び跳ねて、興奮しているカオルに、冷静に、そんな言葉を入れる省吾。

「そんな事、どうにかなるわよ。」

歩の脇で、そんな会話をしている二人をよそにして、歩は、なんとも言えない爽快感に、包まれていた。二人の会話は、耳には入ってきている。しかし、今の歩には、どうでもいい事なのである。歌を歌う事に、光を見ていた。すると、恩師の最後の手紙の一文が、頭に浮かんだ。

<お前が、書いた詩に、メロディーをつけたら…>

そんな言葉が、浮かんだと同時に、あの時の詩と、旋律が、重なり合っていく。頭の中で、自分の詩が出来上がっていった。

ダーン!

歩は、思いっきり、鍵盤を叩いた。周りで、盛り上がっていた二人の動きが止まる。

「もう一曲…」

静かに、そんな言葉を囁くと、歩は、ゆったり、鍵盤に、指を置いた。

静かに始まる、旋律。そこに、自分の言葉を乗っける。【自分の生きる道】生き抜く為に、私が選ぼうとしているものが、ここにあった。

君の心には 私が居ますか。

私の心には 君が大きく居ます。

舎窓から 眺める君の後ろ見。

知らない間に見入り 目を追ってしまう。

この気持ちは 何なんだろう。

清らかすぎる心と憂うると云う言葉。

君との距離は 永遠に縮まらない。

私を守る為に 私の心に鍵をかけてしまう。


君の瞳には私が 映っていますか。

私の瞳には、はっきり君が映っています。

校舎の中には 私一人。

君を想い 寄り掛かれない君を探している。

高ぶらせる 私の鼓動。

手も繋げない 言葉も交わせない。

君との距離は 永遠に縮まらない。

胸の痛みを隠す為に 私は笑っている。


手紙を書いては 捨てる毎日。

君に対しての想いが 下手な笑みにさせる。

何回 ペンを走らせても 言葉に出来ない。

私の心はどこにありますか。

この手紙 受け取ってくれますか。

永遠に縮まない 君との距離。

心の奥底にある 本当の私を探している。


この詩を、頭に浮かんだ旋律に乗せて、歌っている歩。

グランドピアノの脇で、涙を溜めているカオル。悲しいわけではない。歩が、奏でる旋律。胸に響く歌声に、感動しているのである。

省吾は、腕組みをしている。今、本物を見ている。プロではない。途中で、音楽を諦めた男が、こんな事を言うのは、おかしいとは思う。目の前にいる歩に、【本物】を見ていた。

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