第10話 省吾のおもてなしと想い

日が傾いても、まだ、明るい夕刻。マンションに向かって、買い物袋を、自転車のハンドルにぶら下げて、ペダルを漕いでいる省吾の姿。いつもは、コンビニの袋であるが、今日は、スーパーの袋である。色んな食材を買ってきた。久しぶりに、何かを作ろうと思ったのだ。

「鍵は、ないな。」

自転車から降りた省吾は、足早に、郵便受けの中を見に行く。自分の留守中に、歩が、居なくなっているのかが、心配であった。

「まぁ、とりあえず、行きますか。」

郵便受けに、鍵がないからといって、歩が部屋にいるとは、限らない。省吾は、そんな言葉を口にして、部屋に向かう。

ガチャッ!

玄関から、ドキドキしながら、リビングに向かう。キッチンのテーブルに、食材の入った袋を置き、顔を上げる。リビングのソファーに座っている歩の後ろ身。正直、ホッとする省吾がいる。

「歩、おったんか…」

素っ気なく、精一杯の強がりの言葉。そんな省吾の言葉で、歩は振り向く。

「あっ、ごめんなさい。夢中になってて、お帰りなさい、省吾さん…」

歩の手には、省吾が書いた本を、持っている。そんな光景が、目に入っているのに、あえて、何も言わない省吾。

「省吾さんの本、読ませてもらっています。とても、面白いです。」

そんな歩の言葉に、表情が緩む。昨晩の事があった。大泣きする歩。しばらく、リビングに戻れなかった。正直、他人の事など、構うほど、人間は出来ていない。自分の事だけで、精一杯なのである。しかし、歩という存在が、気になる自分がいた。大阪から、出てきた頃の自分と、重なり合わせているのか。とにかく、乗りかかった舟である。すぐ、沈んでしまう泥舟かも知れないが、付き合ってやろうと、決めていた。

「ほぉうか。そんな事よりも、腹減ったやろ。久しぶりに、夕飯、作ろうと思ってな。色々と、買ってきてもうた。」

「そういえば…」

歩は、そんな言葉を発して、お腹に手を当てる。考えてみれば、カオルの店で食事をしてから、何も口にしていない。

「それなら、私、手伝いますよ。」

「いや、本の続きでも、読んどきや。」

自分の書いたものを、面白いと言ってくれた事がうれしかったのだろう。そんな事を口にして、歩に背を向けた省吾。歩も、そんな省吾の言葉に、続きが気になる本に、視線を向ける。お互いに、背を向けて、自分のすべき事に、夢中になっていた。省吾は、キッチン。歩は、リビング、それぞれの時間を過ごした。


テーブルの上に、トマトベースのパスタに、ミネストロネスープ。マカロニグラタン、後は、サラダ、そんな料理が、並べられている。

「すごい、これ、全部、省吾さんが、作ったん…」

本に夢中になって、読んでいた歩は、キッチンの物音は、耳に入っていたが、まさか、このメニューを、一時間ほどで、作ってしまう省吾に、驚いていた。そんな歩の言葉で、得意げになる表情をなる。しかし、すぐに、真剣な顔つきになっていた。

「歩、ちょっと、座ってくれ。」

そんな省吾の表情に、気づいていなかった。視線はテーブルに並ぶ、料理に向いていた。

「歩、食事をする前に、真面目な話をするから…」

続け様の省吾の言葉に、何かを感じ取ったのか、真剣な表情の省吾に気づく。関西弁訛りの関東弁になっている。自然と、背筋が伸びる歩。

「はっ、はい。」

「歩、君に、何があったのかは聞かない。君が、話したくなったら、話してくれればいい。そして、しばらく、ここで、暮したらいい。その代り、一つだけ、約束してくれ。必ず、家に帰る事!多分、君にとって、辛い事があったんだろうし、だから、家を出てきたんだろう。でも、まだ、君は高校生なんよ。」

そんな言葉と一緒に、ある手帳を、歩の目の前に、差し出した。ブレザーの内ポケットに入ってあった、生徒手帳。

「那智勝浦か。関西弁が、少し、訛っていると思ったわぁ…いいか、歩、お前は、まだ、親の管理下にあるんよ。わかるか。」

<…>歩は、思わず、俯いてしまう。目の前の生徒手帳を、見つめていた。

「歩、物事には、順序というものがある。このまま、東京にいる事は、その順序から、外れる事になるんよ。歩が、何かを見つけるまで、ここにいたらいい。俺に、カオルに、甘えたらいい。その代わり、見つけろ。これから、生き抜く為に、自分が自分でいる為に、何かを、見つけろ。見つめてみろ、自分自身を…もしかしたら、もう歩の中には、その何かが、あるのかもしれん。あるんやったら、煮詰めろ。煮詰めて、両親の所に行って、納得をさせてから、ここに帰ってこればいい。わかるか、歩。」

省吾の言葉が、歩の心に、沁み込んでくる。言葉、一つ一つに、思いが込められていた。

<…>言葉を、返しきれない歩。省吾は、言葉を続けた。

「俺が、言うべき事じゃ、ないかもしれないが、お前には、背負い込んでいるものがある。その背負い込んでいるものを、降ろしてみろ。俺には、どうにも、出来ないかもしれん。でも、軽くはしてやれる。これだけは、約束する。」

そんな言葉を、言い切った省吾。歩は、視線を上げてみる。力強く、見つめてくる省吾の瞳。言葉にして、発せられない自分を、歯がゆく思う。少しの間、二人の間には、重たい空気が流れていた。その間も、歩から、目を逸らさない省吾。

「はい、わかりました。」

歩が、やっと、発した言葉。省吾は、その言葉を待っていたのだろう、急に、表情が緩む。

「よぉし、真面目な話は、ここまでや。さぁ、食べよう。」

急変する省吾に、驚きつつも、何か、安堵感を覚える。歩に対して、気に掛けの度合いが、伝わってくる。昨夜、カオルに、助けられた時の感情に似ていた。

「俺、天才やな。」

そんな言葉を、発する省吾を見ていたら、おかしくなってしまう。歩は、省吾に釣られる様に、パスタを口に運ぶ。

「…、おいしい。これ、ホンマに、省吾さんが、作ったん。」

正直、期待はしていなかった。驚きのあまり、目が点になってしまう。

「何、疑ってんねん。トマトソースも、ホワイトソースも、レトルト、使ってへんで。独り暮らし、長いから、このぐらいはできへんとな…」

歩の表情を見て、うれしさが込み上げてくる。

「ホンマに、おいしい。」

そんな言葉を、口に出して、マカロニグラタンの方に、手を伸ばす。

一人で、食事をするのは、寂しいものである。自分の為に作る食事ほど、虚しいものはない。

「なんで、こんな美味しいものが、作れるん。」

思わず、そんな言葉が、口から出てきてしまう。

「色んなバイトしてきたからな…イタリアンレストランとか…」

楽しそうな笑顔の歩を見ていたら、こっちまで、うれしくなってくる。

「えぇ…、じゃぁ、もう本物やん。」

「あぁ、ウェイター、やけど…」

見事に、オチがついてしまう。歩は、大笑い。省吾も、楽しそうに笑っている。人と人との繋がりに、時間なんて、必要ない事を、思い知らされた一刻。昨夜、出会ったばかりの二人が、笑い合っている。何のまじりっけもない、ホンマもんの笑み。笑い声が、響き合っている。心が繋がった二人の、夜が更けていく。他愛のない会話、他愛のない空気が流れていた。明日への道が、明日への想いと、繋がっていく。


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