第9話 一夜、明けて
カーテンの隙間からの日差し。丁度、歩が閉じる目蓋の部分に、日差しが当たっている。
<フゥン…>眩しさで、閉じていた目蓋を、ゆっくりと開く。ゆったりと、身体を起こし、飛び跳ねている髪の毛に手を当てる。
「寝てもうたんや。」
昨夜、恩師の最後の手紙を読んで、涙を流した事が、すぐに頭に浮かんだ。自分の身体を、ゆったりと、前方に倒して、記憶をゆっくりと、さかのぼってみる。二、三秒後の歩は、ベッドから飛び起きていた。
「やばいやん、今、何時なん。」
省吾の家にいる事を認識した歩は、慌てふためいている。
「どないしよう。」
オロオロとする歩。とにかく、手櫛で、髪を整えて、着ている物に、気を配り、寝室のドアノブに手をやる。
『すいません、寝過ごしました。』
ドアを開けるなり、大声で、そんな言葉を発して、勢いよく、頭を下げる。
シーン!
部屋の空気の流れが、全く、感じられない。
<あれ…>ゆっくりと、頭を上げて、そんな言葉を発していた。省吾の姿がない。周りを、キョロキョロと見渡し、キッチンのテーブルの上にある、書き置きを見つける。
「出版社に、打ち合わせに行ってくる。ブレザーの内ポケットの中に、財布と携帯があったので、置いとくな。帰りは、夕方になると思うので、出かけるのであれば、鍵を掛けといて…って、今、何時やろ。」
書き置きの文面を、声に出して、呼んでいると、急に、今の時間が気になってしまう。書置きをそのままにして、足が、リビングの方に向ける。掛け時計の針の位置を見て、自分の目を、疑ってしまう。
「三時…」
日が昇り切っていると云う事は、午前ではない。午後である。寝ていた。ずっと、寝ていた。十二時間以上も、布団の中にいた。当たり前と言えば、当たりの前であろう。二十四時間以上、起きていて、十時間以上も、東京の街を、彷徨っていたのだから、疲れが溜まっていた。
「ふぅ…まぁ、いいっか。」
そんな言葉を発して、また、キョロキョロと見渡した。改めて見ると、本当に広々とした部屋である。歩は、ゆったりと、部屋を歩いている。台所も、システムキッチン。リビングも、十畳はあるだろう。ソファーには、省吾が、寝ていたであろう毛布が、しわくちゃのまま、置かれていた。
「慌ててたんかなぁ。」
静かに、そんな言葉を囁く。もう一つの部屋は、和室。色んなジャンルの書物が、目に留まる。書物を、指先で触りながら、本棚を見ていると、上の方に、【木村省吾】が、書者になっているハードカバーの本を、四冊見つける。
「あっ、省吾さんの本…後で、読もうと…」
囁く声が、明るくなってくる。視線は、ベランダの方に向いていた。吸い寄せられる様に、ベランダに出る歩。十階から眺める東京の街。新宿の高層ビル群が、際立って、瞳に映る。
「昨日、あそこの下に、いたんや…」
そんな言葉を囁き、柵に手をやる。自分の田舎とは、全く違う景色。緑の少なさに、東京と云う街。都会と云うものを、感じている。
「あぁ、東京か。あっ、今日、終業式やったんや…こんな所で、そんな事、言っても、しゃぁないか。」
歩は、七月。初夏の風に吹かれている。微かではあるが、緑の香りが流れてくる。そのまま、ベランダの椅子に体重を預けた。テービルの上のビールの空き缶が、目に入る。
「省吾さん、あれから、飲んだんのか。」
そんな言葉を発して、目を閉じた。たった二日の出来事。歩にとって、とても長く感じている。何かを求めて、この東京と云う土地に来た。無意識とは云っても、自分のどこかに、【東京】と云う言葉があったのだろう。歩は、しばらく、この場所にいた。ごちゃごちゃとした街の風。初夏の香りに、包まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます