第8話 恩師の手紙
ジャァー…
全裸になった歩が、暖かいシャワーの雨に、
打たれていた。歩の後ろ身は、まるで、女の子の様にしなやかであった。冷たい壁に手をつき、後頭部から全身に、湯気が立つシャワーを浴びている。肩まで伸びている髪の毛が、湯圧で、両サイドに、押し流されている。公園で、カオルに、助けられていなければ、今、ここにはいない。カオルの店に、省吾がいなかったら、今、ここの場所にはいない。そんな事を考えていると、その場に、膝をつき、両指を重ねて、壁に向かって、祈っている。
「私は、クリスチャンか!」
軽い一人ボケ、一人突っ込み。そんな言葉を発して、誤魔化してみるが、本音は二人に感謝している。
身体を洗い、頭を洗い、風呂場を出る。
「あぁ、すっきりした。」
一日中、東京の街を、歩き続けていた。シャワーだけでは、疲れは取れないが、気持ちはいい。
「そうや、洗い物は、洗濯機の中に…」
着ていた学校の制服を、洗濯機の中に入れ、ブレザーをハンガーに掛ける時、ある事を思い出す。昨夜、恩師のお通夜の席で、恩師の奥さんから、手渡された手紙。
<これ…>まだ、封を切っていない手紙を、見つめながら、しんみりとした口調で、そんな言葉を呟く。すぐに、目を通す事が出来なかった。まだ、他界したと云う事を、信じたくなかったのだろう。
…無言で、手紙を見つめる歩は、何を、思っているだろう。
ガチャ…
脱衣所のドアが、開く。バスタオルで、濡れた髪の毛を覆い、アップにしている。大きめのワイシャツ姿。素足を、さらけ出している。省吾から、手渡されたボクサーパンツを、身に着けている。
省吾さん…
リビングのソファーに座り、パソコンの画面を見ている省吾に、そんな言葉を掛ける。
「ふ~ん、なんや…」
省吾が、キーボードを叩く動きが、ぴたりと止まる。歩の姿に、瞳が奪われてしまう。
「本当に、今日は、ありがとうございます。」
歩は、そんな言葉を発して、深々と、頭を下げる。
省吾は、歩に、不覚にも、女性を感じてしまう。女性の色香に、キーボードを叩くのを、止めてしまった。すぐに、理性を力ずくで、引き戻すが、歩を、そんな目を見てしまった自分を恥じる。
「では、おやすみなさい。」
寝室に入っていく歩の後ろ身を、目を追ってしまう。
<あぁ…>何やら、だらしなくも聞こえてくる。今、頭の中に、浮かんできたものを、掻き消している。別に、いかがわしい事が、浮かんだわけではない。とにかく、パソコンの画面と、キーボードを見つめていた。
ベッドの脇、照明の灯りがついているだけの寝室。歩は、ベッドの上に手紙を置き、三角座りをしたまま、手紙を見つめていた。
ぁぁ…囁くようなため息。なかなか、封を切れないでいる。恩師からの最後の手紙。封を切る事が、楽しみだった手紙。今は、見つめる事しかできない。
「…、よぉし。」
気持ち的に、身体を起こし、目の前にある手紙を手に取る。そして、そんな言葉を発して、封を切った。
~
拝啓、歩様
高校生活は、どうですか。しばらく、手紙を書けなくて、すいません。仕事が忙しくて、ペンを取る事が出来ませんでした。少し、気が重たい事があり、結構、ブルーが入っています。まだ、完全に解決をしたわけではありませんが、少し、落ち着いたので、ペンを取りました。教員も、大変です。人間相手やから、思い通りにはいかないのは分っているのですが、まぁ、大変です。特に、自分の無力を、感じているところです。とにかく、私は、毎日、戦っています。歩に、こんな事を、書くようになったら、俺も、駄目なのかもな。年をとったのかなぁ、俺も…暗くなってもうたな。許してくれ。
ところで、話は変わりますが、中学二年の頃かな、授業で、【詩】を書かせた事を、覚えているか。日本語というものに、愛着を持ってもらいたくて試みたのだが、結果は、まともに書いた奴は、数人しかいなかった。そんな貴重な数人の中でも、お前の書いた詩には、正直、驚いた。めちゃくちゃ、よかった。心が震えた。魂が、こもっていた。褒めるのは、このぐらいで、いいかな…(笑)
歩、本当に、よかったデ…お前の才能の片鱗を見たような気がした。少し、オーバーかな。そんな時、ふと、思った事がある。この詩(言葉)に、メロディーをつけたら…何て事を、思った記憶にある。まぁ、全くの余談になってしまったが…俺も、頑張っているって事が、言いたかったんよ。だから、お前も、お前らしくな。
夜も、遅くなってきたので、ペンを置きます。
敬具
~
そんな言葉が、綴られていた。歩の瞳から、溢れてくる涙。恩師の祭壇を目の前にして、溢れてこなかった涙。恩師が逝った事を、聞かされてから、初めて、頬を伝わっている。やっと、恩師の死を受け止められた。
アァー…!
絞り出す様な声。大粒の涙が溢れてくる。もう止める事は出来ない。歩は、泣いた。叫んだ。寂しい、悲しい感情を、全て吐き出すように、歩は泣き叫んでいた。
もちろん、リビングにいる省吾にも、そんな歩の叫びが、聞こえていた。省吾は驚き、寝室の前まで駆け寄るが、ノックする動作を直前でやめる。耳に入る、悲しいぐらいの声色が、そうさせていた。ドアの向こう側の歩の心境を、汲み取る。
<…>無言のまま、冷蔵庫の前に立つ。35缶のビールを取り出し、ベランダに足を進めた。歩の泣く声を、聞くのが辛かった。このまま、聞いていたら、寝室まで、入ってしまう自分がいた。だから、あえて、ベランダに足を向ける。東京の夜景が、眺められる場所。椅子に腰を下ろし、テーブルに缶ビールを置く。
<ふぅ…>一拍置いて、自分を落ち着かせると、缶ビールを開けた。一口、喉に通して、煙草に火をつける。いつも、目にする夜景とは違っていた。省吾の瞳に映る東京の夜景が、少し、淀んでいた。
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