第6話 タクシーと省吾 私

賑わう路地。自然な形で二人は、歩いていた。(新宿通り)に出て、タクシーを拾うつもりの省吾に着いて、私は歩いていた。(新宿通り)の歩道。省吾は、歩くのを止めて、道路側に身を乗り出していた。歩には、そんな省吾の姿が、奇妙に映っていた。

 <…>何も言わず、手を挙げている。何をしているのか、ワケが分からないまま、頭を傾げている歩。少し経つと、手を挙げている省吾の前に、一台のタクシーが、停まる情景が、瞳に映る。

 バターン

 タクシーの後部座席のドアが開き、当たり前の様に、省吾が乗り込んでいる。唖然として、動きが止まってしまう歩。ボー然と、目の前の情景を見ていた。

 「あれ、歩君、どうしたん、乗りや。」

 続いて、タクシーに乗り込まない歩に、身を乗り出して、そんな言葉を掛ける。

 「はぁっ、はい…」

 そんな言葉を発して、慌てて、タクシーに乗り込む。

 「あの、近くで悪いやけど、中野五丁目まで、お願いします。」

 そんな省吾の言葉で、タクシーは、走り出す。動き出したタクシーの後部座席。省吾の隣で、まだ、ボー然としている歩。

 「しょうごさん…」

 目の前で起きた疑問を、聞きたくなる衝動を、抑えきれない。

 「あの、何で、タクシーが、停まったん。」

 店を出てから、一言も、会話をしていない二人。急に、歩の方から、そんな言葉を発せられたものだから、正直、驚いてしまう。歩の方に、視線を向けると、十数年前の自分の姿が、甦って来た。

 「あぁ、そういう事か。何で、手を挙げただけで、タクシーが、停まったんやろ、やろ。」

 歩は、勢いよく、頷いていた。省吾は、楽しくなってくる。十数年前、自分も、同じ光景を目にして、驚いていた。

 「そうやな。田舎のタクシーって、送迎が当たり前で、タクシーは、駅前のタクシー乗り場で、乗るもんやもんな。」

 笑いを堪えながら、言葉を続ける。省吾が、生まれ育った所は、大阪と云っても、南の方。【泉州】と云われる田舎。言葉通り、電話をかけて、タクシーに来てもらう、送迎が当たり前の土地。大阪市内でも、タクシー乗り場で、タクシーに乗るぐらいで、手を挙げて、タクシーを停める人間は、さほどいない。

 「俺も、上京したての頃、歩君…なんか、面倒臭いな。歩で、いいよな。歩みたいに、驚いていたわぁ。」

 そんな言葉を言い終わると、ゲラゲラと、笑い出してしまう。そんな省吾の態度に、ムッと来てしまう歩。

 「どうせ、私は、田舎もんですよ。」

「ごめん、ごめん、歩が、田舎もんやって、言ってないねん。昔の自分と、歩が重なってもうたから、面白くなってもうたねん。ごめん。気にせんといてや。」

ムクれてしまう歩。そんな言葉を、笑いを堪えて、口にしていた。

「腹、いてぇ…」

歩は、さっきのカオルに向かって、口にした言葉が、気になっていた。カオルに対しては好感を持っていたのであるが、目の前の省吾に対しては、何とも云えない溝を作っていた。

「何、まだ、怒ってんの。謝ったやん。許してや。」

まだ、ムクれている歩に対して、そんな言葉を口にする。省吾の方は、歩の天然ボケで、さっきよりかは、歩との距離が縮まっていた。

「省吾さんって、ひどいですよね。あんな優しいママに、あんなひどい事ゆうて…私、許せないです。」

歩の思いがけない言葉に、省吾の頭の中に、?マ―クが出ている。二人にとっては、当たり前の会話。酷い事など、口にしていない。省吾には、どんな言葉であったのか、見当がつかないでいた。

「なんや、カオルに、俺が、何、ゆうたちゅうねん。」

いくら考えても分らない。開き直り、投げ捨てるように、そんな言葉を口にする。

「あんな、いい人に、省吾さんは、(こんなおカマと…)って、ゆうて…信じられへんわ。」

省吾は、自分の記憶を辿ってみる。店を出る時の、カオルへの言葉。省吾にとっては、悪気のない言葉。カオルも、そんな事はわかっている。そんな二人の関係を知らない人間が見れば、そう思われてしまうのだろう。

「そうか、そう、思われても仕方がないか…」

省吾は、少し悲しそうに呟いた。

「運転手さん、煙草、ええかな。」

省吾は、そんな言葉の後、窓を開けて、煙草に火をつけた。

「歩、俺と、カオルが出会ったのは、俺が、三十になったばかりの時や。最悪やった。今でも、顔から、火が出そうになる。」

省吾は、煙草を吹かしながら、そんな言葉を発していた。歩には、煙草の匂いと、ひんやりとした夜風が、襲ってきていた。

「あの頃の俺、最悪やった。世の中を、悲観してたと云うか、まぁ、何をやっても、うまく行かん事を、自分のせいにしたくなかったんやろな。そんな時、深酒をして、二丁目の方にいったんよ。普段は、絶対、いかへんのに…そして、カオルの店。しばらく、飲んでいると、俺は、立ち上がって、周りの人間を、罵倒していた。歩が、想像できんような言葉を喚き、怒鳴っていた。そしたら、カオルの奴の拳が飛んできた。グーやで、普通、平手やろ。まぁ、当たり前といえば、当たり前やけど…」

思わず、頷いていた歩。省吾は、煙草の火を携帯灰皿で消して、外の風景を見つめながら、話を続けた。

「そのまま、店を放り出された。カオルの拳で、一気に酔いが覚めた。素になった自分が、さっきまでの自分を後悔してるねん。普段は、そんな事、絶対せんのに、どうしてやろな。それだけ、病んでいたんかな。正直、すぐに、謝りに店の中に、入っていきたかったんよ。でも、そんな事をした自分が、惨めでなぁ、店の中に入る勇気がなかった。そのまま、家に帰るんやけど、帰っても、胸の中に、モヤモヤするものが消えんで、次の日、店が開く前に尋ねていた。」

さっきまでと、雰囲気の違う省吾が発する言葉に、耳を傾けていた歩が、身を乗り出してしまう。

「そこには、カオルがいて、俺は、ひたすら、頭を下げていた。すると…」

『あんた、顔色、悪いよ。きちんと、食事してんの。そこに座りなさい。』

「…そんな事、ゆうてくれるんよ。そして、お膳が出てきて、味噌汁と、おしんこ、白米に、ダシ巻き玉子。そのダシ巻き玉子が、うまいのなんのって…食べ終わって、一礼して、店を出ようとすると…」

『また、おいで…。』

「そんな言葉、聞いたら、涙、出てきてな。自分が、背負っているもんが軽くなった。」

省吾は、窓を閉めて、視線を歩に向ける。

「それからやねん。カオルとは…歩には、キツイ言葉に聞こえるかもしれんけど、二人にとっては、当たり前なんよ。カオルも、そうやと思うけど、自然やねん。うまく言葉が、出てこんけど、お互いに、気を使っていないと、自然にそんな会話になってしまうんよ。分りにくいかなぁ。」

省吾は、何やら、複雑の表情をする。的確な言葉が出てこない。

「とても、仲がいいって事…」

歩は、省吾が、言わんとしている事は分かる。

「そう、そういう事やねん。」

ピッタリとあった言葉が、歩の口から出てくる。思わず、そんな言葉に、飛びついてしまう。そして、物書きである自分の表現力の乏しさに、反省してしまう。そんな中、省吾はある事を考えてしまう。今まで、カオルとの間に、一人でも、他の人間が入ると、歩の感じたような、会話はしていない筈である。店に、他の客がいる時は、馴れ馴れしい口調では、話しかけたりなんかはしない。なのに、今日は何で…歩の前で、お互いに、自然な形になってしまっていた。何でだろう。そんな事を、考えてしまう。

歩は、省吾の事を誤解していた。単なる、酔っ払いの親父だと、思っていた。

「おせっかいついでに…歩、お前、家出、してきたんやろ。」

「エッ…はぁ、はい。」

急な、省吾の言葉に戸惑うが、正直に、言葉を返してしまう。

「俺も、そうやねん。十九の時、親父の反対を、押し切って、上京してきた。初めて、住んだのは、横浜やったけど…」

省吾は、何を思ったのか、そんな言葉を口にしていた。

「やりたい事があってな、でも、自分の才能ってもんに行き詰ってな、半年で、諦めてもうた。大阪に帰る事も、考えたんやけど、親父に啖呵切って出てきた手前、帰ったら、負け犬のような気がしてな。一年もがいて、小説を書くという、目標ってもんが出来たんよ。十五年かけて、やっと、ここまできた。三十歳過ぎても、芽が出なくて…年金も払っていない。国民保険すら、払っていないって、どうよ。アパートも、共同トイレ、風呂なしで、三年前までは、そんな生活してたんやで…。今は、どうにか、物書きで、食っているけど、いつ、元の生活に戻るかもしれんしな。歩も、あの世界で、やっていこうと思ったら、覚悟せなあかん。それなりの覚悟ではなくて、確固たる覚悟や。分かるか。」

そんな言葉を言い切って、口を閉じた。省吾は、(覚悟しろ)という事を言いたかったのだろう。出会って、数時間しか経っていない人間に、こんな事を言うのは、おかしい事。しかし、省吾は、あえて口にした。歩の心の戸惑い、悩みを感じ取り、十五年以上も前の自分と、重ね合わせていた。

「は、はい。」

省吾が口にした(あの世界)と云う意味が、イマイチ分らない。多分、カオルママの世界の事を言っているのか。東京、新宿二丁目に、来ようと思って、来たわけではない。もちろん、省吾の言う(あの世界)で、生きていこうと思っていたわけでもない。何も考えないまま、この場所に来てしまった。もしかすると、不思議な力が、カオルママと省吾との出会いの為に、導いてくれたのかもしれない。そんな事を思う歩は、素直に、省吾の言葉を受け止めていた。そして、これから、先の事を、自分の人生の事を、考え始める。


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