第11話 助けてにいってほしい
町からだいぶ遠ざかっていた。朝から昼になりかけている、太陽の位置も高くなっていた。
道から見えていた家とかも、あまり見かけなくなってきた。たまに家を見かけると、ほっとした。よし、ここはまだ人の住んでいる地帯である。いざとなれば、助けを求めることができるはず。
じつは住み慣れた町をここまで離れたことはあまりがない。遠くに来たことは何度あるけど、そのときは、父さんと母さんが一緒で、乗り合い馬車だった。しかも、ちょっと料金の高い馬車で、一緒に用心棒みたいな人がのっていた。その人に、ちびっ子ながら「つよいのかい」と、聞いた記憶がある。その人は「まあまあ」と、答えてくれた。
いま思えば失礼な質問だった、当時のわたしの愛くるしさがなければ、あやうかったかもしれない。
「自己評価の高そうな思い出でも思い出してそうなところ、すまないが」
ハトリトさんが声をかけてきた。
「そろそろ着くぞ、ケルルくん」
「わたしの心がよめるんですか、ハトリトさん」
「あたったのかい」と言い出す、適当にいっただけらしい。次に「悲劇だな」と、いった。意図は不明だった。
たぶん、勢いでいっただけさ。
おろかな。
と、低品質な腹の探り合いをしていると、馬車が止まる。
そこはごつごつした岩が少し散らばっている平原だった。うら寂しいし、家もない。ただ、道があるだけだった。
そして、すぐに地平線の先に目がくぎづけになる。
「竜」
と、わたしはつぶやいた。
草原の向こうに竜がいた。大きい、たしかに二階建てくらいの大きさはありそうだった。
茶色く、翼をたたんで、水鳥みたいに座っている。
でも、ここからわかるのは、それぐらいで、距離があり過ぎた。
トアンナさんがはじめに馬車を降りた。それから「馬が怖がっている、馬車はここまで」と、言った。
「そうなんだ」
わたしが発言するとトアンナさんから「そもそも馬車で竜に会いに行こう、という思想がまちがってる」そう、淡々と告げられた。
静かな説教から逃れるために、また「そうなんだ」と、いって間をちょろまかし、竜をみる。
「人間以外は竜に近づけない」と、トアンナさんはいった。「人間は、本能を力づくでおさられるから、竜が怖くても、物理的に近づける」
見ると、ハトリトさんも竜をみていた。
そして、めぼしい動きもみせない。そこで「で、この先の近未来はどうするんですか」と、問い投げかけた。
「うん」ハトリトさんはまず、うなずいた。「トアンナさん、いったい我々は竜にはどこまで近づいてだいじょうぶなんでしょうか」
「竜に近づいていい距離なんてない」淡々と、そして堂々と断言してくる。「見かけたら逃げべき、いや、にげろ」
なら、なぜにここへ来る前に、我々をとめない。
その問いかけは飲み込んでおいた。
さらにトアンナさんは「さっきも告げたとおり、竜を見に行きたいって精神のにんげんの方が、根本がくさっている」と、まで言って来る。
「ますます困るだけの発言ですね」わたしはそういっておく。「こっちの反応の難易度も高いです」
言い返した後で、ふと、気づく。
「あの、ベンストントさんがいなくないですか」
「お、きみはいま気づいたかね、ケルルくん」と、ハトリトさんが感心したようにいった。「じつは、わたしは、もう少し前からいないと気づいていたよ、ベンストントさんが、いないなぁ、って」
「そういう情報より、ベンストントさんの本体がいまどこにいるのかを気にしてみませんか」
「一理ある」
一理というより、すべてのような気がする。
竜の方を見ると、ベンストントさんが草原に身を屈め、岩に隠れながら、竜に近づいてゆく姿が見えた。
勝手にひとり、竜に接近していっている。
「死んだな」
トアンナさんが淡々と、ベンストントさんの末路を断言する。
「ああ、いってしまってるねえ」ハトリトさんが落ち着いた様子がいった。「好奇心が強いひとなんだね、きっと」
「ゆうちょうですよね、そこの大人ふたりとも」
わたしは疑問を投げかける。
その間も、ベンストントさんは竜へ近づいてゆく。本人は、竜にばれないように慎重に動いている感じはあった。でも、素人のわたしがみても、動きはつたないし、石を投げてすぐに当てられそうな機敏さだった。
すると、トアンナさんが「死んだな」と、もう一度いった。
「それしかいってませんが」わたしは訊ねた。「とめなくていいですか」
「ベンストントさんは本物の竜を近くで見ないと本の挿絵が描けない、といった」ハトリトさんが答える。「そして、いま、彼は竜を近くから肉眼でみようとしている。ならば、これで、絶命しても、ベンストントさんは本望だろうさ」
「死んだら、本の続きも書かれないので、ハトリトさんの受けた依頼は失敗ってことになるじゃないですか」
「それは盲点だった」
「それを盲点と断言するなら、貴方はこの仕事向いてない」
「冗談はさておき」
ハトリトさんは、冗談なのか、本気なのかわからない調子で仕切り直す。
「ひとりでいってしまったねえ、ベンストントさん。さて、トアンナさん、どうしよう」
「あの人が死ねば、この惑星の食い扶持がひとつ減る」
トアンナさんの回答は、壮大ではあった。そして、なにも回答になってない。
「しかし」と、ハトリトさんが口を開いた。「竜対処の専門家の君の目の前で、死なれるのはよろしくないのではないかい」
挑発がすこし入っているとも感じられる。でも、絶妙な刺激とも思えた。さすがだった。
すると、トアンナさんは表情を変えないまま、ため息を吐いた。
「あれ以上、近づくまえに止めに行く」
「頼めるかい、トアンナさん」
「仕事だし」
そのとき、わたしはつい「だいじょうぶなんですか」と、竜の専門家へ向かって、愚問を口走っていた。
それでもトアンナさんは怒ったりしなかった。「だいじょうぶ、竜はこっちから変なことをしなければ、攻めて来たりしない」
「ほう、たとえば」ハトリトさんがぬるりと問う。
「竜の近くで煙草とか吸うと、竜は怒る。化学薬品の入った煙草の煙は大嫌い」
「じゃあ、もう終わりだな」ハトリトさんが腕を組んでいった。「みたまえ、ベンストントさんが、煙草を吸いながら腰を据えて竜を写生しはじめたぞ」
見ると、丸まった竜のすぐそばで、画用紙へ、絵を描き始めているベンストントさんがいるし、咥え煙草をしていた。
「余計なことしかしない人ですね」わたしは、困惑しつつ、そう評価をくだす。「いっけん、まともに見える人って、恐いんもんですね」
わたしが悪口をいった一方、ハトリトさんは動いていた。「このおしゃべりは嫌いではないが、もうそろそろ、本腰を入れてベンストントさんをこちらへ呼び戻そう。では、トアンナさん、あらためて、頼めるかい」
トアンナさんは糸目を保ったまま、小さくうなずいた。
その矢先、ばぐん、っと音がした。
顔を向けると、竜が立ち上がっていた。しかも、ベンストントさんがいた場所に、ベンストントさんがいない。
ベンストントさんは、ちょっと離れたところに倒れていた。
ハトリトさんが「たったいま、ベンストントさんが竜のしっぽで吹き飛ばされた」と、おしえてくれた。
「時すでに遅しですね」わたしはそういってしまう。「さよながらいえませんでした」
「しかし、安否はまだわからない」ハトリトさんはあきらめない。「いずれにしろ、亡骸の回収をせねば」
あきらめているのか、あきらめていないのかが不明だった。
「竜がわずかに猛っている」トアンナさんがいった。「煙草のせいでそうなった、いま近づくのは危ない」
「だが、早くベンストントさんを回収しなければ、亡骸が痛んでしまう」
けっきょく、ハトリトさんは、くたばったことを前提に話しはじめている。
「こうなったら、わたしがおとりになる」
そう、ハトリトさんがいいだした。
「だめですよ、ハトリトさん」わたしがたまらずとめた。「無駄死が増えて、回収する物体が増えるだけです」
「わかったやめよう」
「ひっこめるのが光のようにはやい」
「やっぱりやろう」
ハトリトさんはころころ方針を変えた後で竜を見た。
その目が妙に落ち着いている。
「わたしはこの場の誰よりも、何よりも青い。竜がわたしの青さに目をとわれている間に、ベンストントさんを出来れば回収するんだ。出来なければすぐあきらめよう」
作戦参加者の決意をぜんぜん強めない発言だった。
「トアンナさん、ベンストントさんの回収をお願いします」
「死ぬよ」
「助言、痛み入ります」
まあ、たしかに痛みに入る返しではあった。ただ、助言ではない。
あきれていると、ハトリトさんは竜へ向かって歩き始める。枯れた草原に立つ、青い背広のハトリトさんの異物感はとてつもない。麺麭のなかに、絵の青い具が入っているみたいな際立ちだった。
しかも、話の通り、立ち上がった竜はハトリトさんを見ていた。すごい、ちゃんとおとりになっている。
その間に、トアンナさんが身を屈めて草原を移動していた。わたしも彼女に続く。
そして振り替えられ「ついてきちゃったの?」と、問われた。
「まあまあ」と、小声でなだめてごまかす。「ふたりで運んだ方が楽ですし」
もめるより、折れた方が時間の無駄にならないと判断したのかトアンナさんは「しかたない」といって、竜に吹き飛ばされて倒れたベンストントさんへ近づいた。
わたしも見様見真似のこそこそとした動きで続く。
竜は歩み寄って来る青い人間、ハトリトさんへ視線を定めたままだった。おとりとしての効果はあるらしい。
奇跡だ。
そうしている間に、トアンナさんと一緒に、倒れているベンストントさんのもとへたどり着く。
「しぶといな、息がある」トアンナさんが言われて困る言い方で、生存確認を報告してきた。「運ぼう、わたしが背負う」
そういったとき、竜が吠えた。
顔をあげると、ハトリトさんは竜の目の前にいた。竜はじっと、見下ろしている。
そして、時間がとまったように動かない。まるで、言葉を越えて何か通じ合っている感じが。
瞬間、ハトリトさんが微笑んだ。竜の目の光がやわらいだ。
それから竜は翼を広げ、羽ばたき、飛んで、その際。後ろ足でハトリトさんを掴んだ。
で、そのまま飛んで行く。
彼方まで飛んで行った。
そして、わたしに言えたのは、これだけだった。
「なにこれ」
トアンナさんは隣で「変わった死に方だった」といった。
即、過去形である。
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