第10話 説明してほしい
竜はむかしからこの大陸にいる。
この大陸に限らず、どこの大陸にもいっぱいいるし、らしい。とにかく、どこにでもいるだよと、子どものころから教えられていた。
竜はにんげんの住む場所なんかに気を使わない、なにしろ竜である。言葉は通じないし、心もまったく通じないらしい。
そして、大きいのから小さいのまでいる。みんな翼をもっていて、空を飛んで、ぼうぼう炎を吐くみたいだった。竜が空を飛んでいるのはたまに見るけど。炎を吐くところは、見たことがなかった。危ないから無差別に近づくなと、小さいから教え込まれていいた。
人のいる世界に竜がいるという感じではなく、竜の世界に人が住んでいる、と考えた方が、しっくりくる。この世界の仕組は竜を中心につくられていて、ただ、そのあたりは、学校で学んでいる最中だった。でも、個人的にはしっくり来てない、そうなのか、気にしていた。いまのところわたし自身は竜に迷惑をかけられたことも、仕留められかけた経験もない。
とにかく、漠然といえば、人間は竜に対して、無茶をしない決まりだった。だいいち、向こうの方が、強いし。
そんなもの存在しているのに、人間が生きていけるのは、竜は、こっちから手を出さなければ、攻撃してこない性格の生き物だからと聞いた。
つまり、竜に近づかなければいい。ただ、それだけだった。
にもかかわらず、ハトリトさんの今日の依頼は、竜と戦いに行くという。
わあ、なるほど、やっぱり正気じゃなかったのか、この人。こまったものだった。でも、それはそれで、腑に落ちた。これまでのあの人の奇行、詭弁、その他、あるような、ないような社会通念からおしはかっても、まあ、あの人なら、いつかやるなぁ、と思えてしまう。
竜と戦いに行く。
冒険中の冒険だった。
さて、どうしよう。と、悩んだのも数秒だった。
よし、わたしは、同行し、しかし、圧倒的な後方支援に回ろう。絶対安全な領域から、ハトリトさんの仕事を見守ろう。助手として応援部に所属して、応援だ。しかし、声をだすと、竜にばれるので、心の声で応援だ。
「ああ、来た来た」
わたしが遠くを見ながら考えていると、ハトリトさんが手をあげた。
向こうから、誰かが近づいて来る。その人はわたしたちの近くまで来て立ち止まる。
「というわけで、ケルルくん」
見知らぬ女の人だった。わたしより一回り歳がうえくらいで、背が高く、糸みたいな目をした、おねえさんだった。腰に、細い剣も持っている。
「こちらの方はトアンナさんだ、今日、われわれの無謀に同行してくれる」
「無謀っていいましたね、さっそく」
「トアンナさん」ハトリトさんはわたしの指摘をなかったようにやり過ごし、糸みたいな目のおねえさんへ「彼女は、ケルルさん、わたしの助手だ」と紹介した。
トアンナさんは、黙ったまま、小さく頭をさげてきた。
「トアンナさんも作家さんなんですか」
「いいや、彼女はそうではない」ハトリトさんが答えた。「彼女は竜の専門家だ。彼女に指導にしがたって、安全に竜との接触を図るために来てもらっている、お金を払っている」
「お金払ってるんですね」
「そう、払っているのだ」
きっと、なくてもいい確認をした後でわたしは「それで」と話の先をうながす。
ハトリトさんは「今回は、竜の近くへ作家さんも連れてゆく」といった。
「作家さん本人も連れてくんですか、なぜに」
「ベンストントさんといってね」まず、名前を教えてくれた。知らない名前だった。「数年まえにある本を書いたんだが、この数年間、続巻を出せずにいる」
「だせない」わたしは腕を組んだ。「その理由は」
「歩きながら話そう」
ハトリトさんは進むらしき方を指さす。
「待ち合わせしている、あっちで彼と合流を果たす」
いわれて、そっちへ向かう。道中、トアンナさんに「恋人とかいるでんすか」と、いきなり距離をつめる質問してみる。黙ったまま、顔を左右に振られた。
すると、横で聞いていたハトリトさんが「ケルルくん、私にもしてくれたまえ、その質問」と、求めて来る
聞かず、嘲笑いだけ返しておいた。ハトリトさんの欲しがるものを、やすやすと与えるわたしではない。
そんなことをして移動しているうちに、町の外れまでやってきた。そこに荷台のついた馬車があった。そのそばで喫煙具を口にくわえた中年の男の人が立っている。たぶん、父さんと同じ歳くらいの人だった。髪は真っ黒なのに、髭がはんぶん白い。目が、葡萄みたいな色と形をしている。動きやすそうな恰好をしていた。
「ベンストントさん」
ハトリトさんがその人をそう呼んだので、そういう名前なんだろう。ベンストントさん。
そして、ベンストントさんは明るくいった。「やあ」
馬車にくくってある灰色の馬は、地面の草を齧っていた。馬の長い髪は編んであった。
ハトリトさんは、まず、助手であるわたしを紹介し、それからトアンナさんを紹介した。それから馬車へ乗り込む。馬車はベンストントさんの持ち物だった。そのままベンストントさんが手綱を握る。隣にハトリトさんが座って、わたしとトアンナさんは荷台だった。
ベンストントさんが髪結い馬に声をかけると、馬はゆっくりと歩き出す。
町と町をつなぐ街道を行く。
荷台で揺られながら「どこへ向かうんですか」と、わたしは馬鹿みたいに、ベンストントさんの前で、行き先をハトリトさんに聞いた。
「いま、ここから北にある平原に竜がいることは確認済みだ、トアンナさんに調べてもらってきている」と、答えてくれた。
反射的にトアンナさんを見る。糸目で遠くを見ていたけど、わたしの視線に気づくと、少し、顔をあからめた。注目が苦手らしい。
この人のあからめた顔がまた見たいので、あとでまた不意打で見てやろう。
画策した後で、ハトリトさんの方へ顔を向ける。
「で、竜を倒す、と」
「いいや、倒しはしない」ハトリトさんがそういった。
「では、なにをしに」わたしは、ふたたび、ここに来て、全力で馬鹿みたいにこの冒険の目的を聞く。
「ベンストントさんは小説も書くが、自身の本の挿絵も描くん」
そうハトリトさんが説明すると、ベンストントさんがわたしを見たので「すごい」というと、照れて、かるく頭をさげてきた。
ふふ、わたしの誉め言葉が、大人を照れさせたぞ。と、ひっそりと、小さな自尊心を満たす。
そして、ベンストントがいった。「いえ、竜出てくる本を書いていたんですがね、一巻目が終わったときに、気づいたんです」
「気づいた、って」
「私が書いていたのは竜が出てくるのに、挿絵に竜も描いていたのに、じつは、本物の竜を間近で見たことがない。それで、ふと、ああしまった、知識だけで竜を描いていると思った瞬間、恐くなって竜が描けなくなりました」
「でも、それまでは描けてたんですよね、竜の挿絵」わたしは、無意識のうちに、ぐい、っと聞いてしまっていた。「本物を、そのー、至近距離で見たことがなかったとはいえ、挿絵に竜を」
「はい、ですがね、見たことがない、って思った瞬間、まるで呪いにかかったみたいに、描けなくなってしまったんです」
「呪い」
「はい」
「じぶんが、なにを知らないかを知った瞬間に、かかる呪い、みたいなものですね。なにがわからないのかが、わかると、出来なくなることがあるみたいで」
ベンストントは苦笑しながら教えてくれた。
その顔は、妙に印象的だった。
もしかして、わたしもいつか、そんな顔する日が来るのかな、と想像もしてしまう。
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