第07話 地図がほしい

 山の麓までは乗り合い馬車で行った。

 そもそも、本当に近所の山だった。場所をおり、山を見上げる。

 こんもりしていて、青々とした木々に覆われていた。そう高くもないけど、低すぎもしない。登山道もあった。

 まえに学校で、遠足に来た山だった。たまに竜が出たりするらしい。でも、基本的には、平和な山だった。

「ねえ、ハトリトさん」

「なんだい、ケルルくん」

「今回の作家さんも、このあたりに住んでるんですか」

「生息地は、この近辺さ」

「なぜに」わたしは気になって聞いた。「近いのに、なぜに、自分で山に行って、その実をとってこないの」

 近くにいるなら、木の実ひとつなど、山に入って、手で、ぐい、っと引っ張って、もいで帰ってくればいいのに。

 なぜ、こんな簡単なことが、出来ないのですか。

 と、心の中で、言いがかる。

「うん、その作家さんが欲しい木の実はこの山にしかないようだ。そして、作者さんは虫が絶望的に、嫌いらしい」

「前者はともかく、後者にいたっては、人生の可能性を狭めるだけだと思います」と、会ったこともない作者にだめ出しをする。当人がいないので、言いたい放題である。「虫ごとき、我慢すれば乗り切れます」

「そういうものかね」

 ハトリトさんは、ほんわりとそういった。

 そして、登山道を歩き始める。そして、すぐに聞いた。「ハトリトさん、水とか食料とかは」

「現地調達」

「にんげんやめろ」つい、どかん、と言ってしまう。でも、わたしもさすがで、一瞬で冷静さを取り戻し「あの、山を登るのに準備なしの、究極のまるごしとか、ちょっと無策が過ぎるのではないかと」と、言及した。

「なーに、しょせん山さ」

 ハトリトさんは、嘲笑うかのように答えた。

「山など、土の大きなかたまりでしかない」

 言い切る。知性不在の台詞だった。

 でも、まあ、なんとかなるか。小さな山だもの。

 そのまま、わたしたちは、しばらく山を登る。

 そして、遭難した。

「遭難した」と、ハトリトさんが自らいった。

 わたしにしても、あれ、これはもしかして、まさか、遭難という、伝説のあれなんじゃないか、と思い始めてはいた。登山道をのぼっていたはずが、いつの間にか、獣道を上っているし、やがて、その獣道もなくなり、茂みをかき分け、かき分け進んで行くようになり、そてでも、いいや、これは遭難じゃない、遭難なはずがないさ、この世に遭難なんて最初から存在しないんだ、と錯乱思考で無理やり自身へ言い聞かせ、誤魔化すために、鼻歌なんかうたいながら山を進んでいた頃だった。

 ハトリトさんがいった。

「遭難である」

「なんだよこのやろう」わたしは荒々しい部分を出してしまう。「って、そんなわけないですって」

「おかしい」

 ハトリトさんは、手にあごを当てて考え出す。身体のはんぶんは、茂みにめり込んでいるけど、青いせいか、山の緑とは、まったく調和しない。異物感がすごい。

「どこでまちがえた」と、ハトリトさん。

「生き方がまちがえている疑惑もあるでしょうしね」と、わたし。

「まあ、まちたまえ、ケルルくん」

「今度はなんですか」

「いま、目的の木の実をみつけた、これだ」

「この場面でそういう奇跡的な発見とかされると、もう、ぐっちゃぐっちゃになるんで、やめてもらえますか」

 と、いっても、見つけてしまったものはしかたなかった。ハトリトさんが示した視線の先には、木になった、赤い実がなっている。ハトリトさんはそれをもぎ取った。

「これであとは山を下りるだけだ」

「帰り道がわからいですけどね」

「かつて、山をなめるな、と、わたしへ注意した男がいた」ハトリトさんは木の実を上着へしまい込みながらいった。「そして、山をなめるな、といった男を、わたしがなめた結果が、いまってわけさ」

「なんのためにその情報をここで披露したんですか」

「なーに、だいじょうさ、ケルルくん。ここに時計がある」ハトリトさんは真鍮で出来た懐中時計を手にした。「ぎりぎり木の合間から太陽も見える、時間と太陽の位置さえわかれば、方向もそれなりにあてがつく」

 そういった矢先、空が急速に曇り出し、雨が降り始めた。

「たまげた」と、わたしは言ってしまう。「なかなかできることじゃないですよ、この規模の不運は。もしかして、直近の前世で、無数のひよことかをいじめてたんじゃないですか、ねこじゃらしとかで」

 ハトリトさんは雨に打たれながら「ケルルくん、こういう時こそ、にんげん明るさを失ってはいけない」と、言い出す。

「いや、明るさのまえに命を失いますよ。ハトリトさん、せめて、わたしより先に絶滅してくださいね、わたし、あなたの亡骸からその上着を奪って羽織ってでも、寒さに耐えて、生き抜いてやりますので」

「うん、じつは傘を持っている、折り畳みの」

「次、そういう出し惜しみしたら、父さんに言いつけてやる」

 雨のうなれながら会話を重ねた後、とりあえず、ハトリトさんの折り畳み傘に、生命をゆだね、山を歩く。

 むやみに歩いたのに、運よく山道へ戻れた。

「ふっ、たいした山ではないな」ハトリトさんが嘲笑った。

「ですね」と、わたしも乗る。「にんげん様にかかれば、こんな山、ちょろいもんですぜ」

 くははは、っとふたりして、笑いながら、山道をくだる。

 雨もやんだ。

 ディケット父さん、マルル母さん、わたしたちは今日、運だけで生き延びました。

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