小さな心の動くとき

 いったい俺はどういう運命を背負わされていると言うんだ。まさかこんなことが一週間の内に2度もあるとは思わなかった。

 俺はきっと、あまりいい顔をしていなかっただろうさ。なんたってここ最近にしては珍しく通学路では誰とも合うことがなく穏やかな気持ちで登校できていたというのに、校門で例のブツを見つけてしまったのだから。

 なんの因果でこの穏やかな朝の静かな校舎の廊下をカツラ片手に歩かなければならないんだ。こんなことにならなければ今頃は教室で寝ているというのに。あまりの眠気に歩いたまま夢の世界へ飛び立ってしまいそうだ。

 音楽室へはまだ遠い。廊下に響くはただひとつ俺の足音だけ。

 いつもなら無意味に長い廊下にすら苛立っていただろうが、何故かこのときは違った。怒りとは別の気持ちの高ぶりを感じていた。それは何だったかと訊かれても文字や形にはできそうにない。

 この一週間、なんだかいろいろな事があった。図書館で寝てたら標に叩かれたあの日から。良いか悪いかで言うと微妙で、楽しいかつまらなかったかで言うと、まあ楽しかった一週間だ。

 こんな感じのまま続くなら、人と関わるのも悪くない。間違いなく今の俺はそう思っていた。あのときのままなら考えつかなかった。

 たかがこれっぽっちの出来事で何言っているんだと思うやつはいるだろう。だが俺にはこれっぽっちの出来事さえ無かった……いや気にしてこなかったんだから。

 まるで灰色の高校生生活にようやく色がついたみたいだった。何色かって訊かれたら、そうだな。薔薇色……は言いすぎだろうから、赤までまだまだ遠い青色くらいにしておこう。




 俺はそのどぎついカラーに釘付けだった。

 もしやこれには相手を考えることも目を逸らすこともできなくさせる魔法でもかけられているんじゃないだろうか。

「おー少年!」

 音楽室の厚く重い扉からひょっこり顔を出してニコニコしているのは、あの髪がショッキングピンクの先輩だ。

 今回を含めてこれを見るのは二回目だが、まだ当分の間は慣れそうにない光景だ。

「来ると思ってたよ〜。まま、入んなって」

「え、いや、ちょ」

 いきなり腕を引っ張られて音楽室に引きずり込まれた。細身の女性なのに案外と力が強く、俺はまったく抵抗できなかった。

 されるがまま音楽室へ引きずり込まれると、色とりどりの髪の人たちが扉とは反対の部屋の隅に集まっていた。足元にはうずくまって壁側を向いている誰かもいる。

 それが誰なのか俺にはすぐに分かった、が。

「みんなー!噂の少年がきーたよー!」

 ピンク髪の先輩はメンバーの人たちに手を振って呼びかけ、それに気づいたメンバーがこちらに振り返った。

「んだぁ?」

 いかにも危険そうであまり関わらない方がいいだろう金髪の先輩が俺を鋭い眼差しで睨みつけてきた。

「テメェがちーの話てたサカキって奴か?」

 喋りながら威圧的に迫ってきた。そして俺のことを品定めするように上から下までまじまじと見ていた。

「そ、そうっすけど」

「ふん……。そうか、なんだフツーだな」

 なんだかよく分からないががっかりされてしまったようだ。

「ま、とにかくメンバーを紹介するよ〜」

 ピンク髪の先輩が一人ずつメンバーを紹介してくれた。

 軽音部の部員は全部で四人。この俺の腕を掴んで離さないピンク髪が御庭千歳。さっき俺に何故か失望した金髪が大園茅桜。あとずっと特に何も話さない無口な緑髪が涼宮智明。そして最後に九重だ。ちなみに九重以外は全員3年生。

「……で、どうして俺をここに?ただこれを届けに来ただけなんですけど」

 俺は御庭に九重の銀髪を差し出した。それを見た御庭はニコッと笑って奥でうずくまっている人を指さした。

「あれは君のせいなんだよね?私たちが何を言っても聞かなくてさー、頼んだよ!」

 背中をぽんと叩かれ無責任に送り出された。なんで俺がと戸惑っていると大園は早く行けと言わんばかりに俺を睨みつける。仕方なく嫌々ながらに俺は歩き出した。

 やはりそこでしゃがみ込んでぶつぶつ独り言を言っているのは、最初に思った通り九重だった。ただ銀髪は手元に、されどあいつは黒髪にあらず。

 やはり意味が分からずあたふたしていたら、突然左肩に嫌な重さとその先に強い殺気を感じた。振り向くと大園が俺の肩を掴んでこちらをまた睨んでいた。

「ちーはなぁ、そのズラがねぇと何にもできねぇのよ。黒髪んときのちー、見たことあんだろ?」

 まあ確かに、あの大人しいバージョンの九重にギターの演奏はできそうにないな。

「んで今朝、落としたそいつの代わりに持ってたあれ被ったんさ。そしたら音はヨレヨレ、声もちっちぇのって最悪だったわ!」

「はあ……」

「はあじゃねぇ!クソっ、まあそんで思わずマジでキレっちまってこの有り様さ。テメェのせいだかんな!なんとかしやがれ!」

 いやいやいや、それ完全にあんたのせいだろ。などと言ったら命が危なそうだし、ここは黙っておこう。

「恋愛感情……」

 突然、智明が後ろから囁くようにそう一言だけ言った。

 初めて声を聞いたと思ったらまさかの一言だった。いったい、恋愛なんてどういうつもりで言ったのだろう。不思議な人だ。

「んね〜少年。ちーちゃんね、休憩中によく君の話をするんだよ」

「俺の?」

「そーそ。それもすっごーく楽しそうにね。昨日は特にそうだったよ〜。私たちね、放課後にちーちゃんと一緒にあのウィッグ買いに行ったんだ。ちっちゃな子供みたいにはしゃぐちーちゃん、可愛かったな〜」

 御庭はニヤニヤと嬉しそうに話していた。他の二人は同感だと言わんばかりに何度も頷いていた。

 あいつにとって、俺はどういう存在になってしまったんだろう。まさか涼宮の言っていたことは……いやいや、ないない。ただ先輩方と買い物に行けて楽しかっただけに決まってる。

 俺は、無関係だ。

「まあ確かに、あんなになった最終的な原因はサクラ……茅桜だけど、それ以前にあのウィッグを被ってからのちーちゃんはおかしかったんだ。落ち着かない、心ここにあらずっていうかね」

「はあ……そすか」

「もう〜、君は無関係じゃないんだよ?ちーちゃんがなんて言ってるか聞いてごらんよ」

「ですけど」

「とっとと行きやがれ!」

 大園に尻を思い切り蹴飛ばされ、仕方なくうずくまる少女に歩み寄ることに。

 言われるままに俺は九重の後ろまでやって来た。こんな近くまで来たというのにまったく気づかれていない。完全に自分の世界に入ってしまっているようだ。

 眼下でうずくまる水色髪の少女は周囲から切り離れようとしているのか両手で耳を塞ぎ音を遮断していた。後ろ姿しか見えないので表情は分からないが、声が聞こえる。どうやら少女は記憶の中にいる「誰か」のことを考えているようだ。

 その「誰か」は少女の今の水色髪の姿を見たら何て言ってくれるだろうか。気持ち悪がられないか。嫌われないだろうか。褒めてくれたらいいな。独り言の内容ははだいたいそんなところだった。

「センパイ、喜ぶかな……」

 その「誰か」は、あいつだったりセンパイだったり呼ばれているやつのようだ。ここには少女にとって先輩しかいないが、既にいる人間についてあえて塞ぎ込んでまで考えることはないだろう。

「こんなことして、嫌われないかな……」

 となると、こうなった時点でここに居なかった人物でこのカツラについて知っている「誰か」ということになる。

 俺は九重についてそんなに詳しくはない。こいつの交友関係なんてのは全く知らない、けど。水色髪という絶対的なワードが出ている以上は認めなくちゃならないだろう。

「はあ……」

 俺はその場にしゃがんで少女の腕を掴んだ。驚いた少女はビクついたが、気にせずゆっくりと手を耳から離してやった。

 話をするにはまずあっちの世界から帰ってもらわなければならない。声の届くところまで来てもらわなくちゃな。

「よう」

「うぐぅ……センパイ……」

 九重は振り返らずに返事をした。その声は震えているというか安定していなかった。その後も何か言っているようだったが声が小さくてゴニョゴニョとしか聞き取れなかった。

 振り返ってくれなくてちょうど良かった。今から言おうとしてる言葉は、顔を見て言うのは気恥ずかしくてできそうにないからな。

「そ、それ、似合ってるぞ……」

 見立て通り水色も九重に似合っている。しかしそれはどうだろうと思うところが一点ある。ただ、このタイミングで言うべきじゃないことぐらい、俺でも分かる。

「……ですか」

「ん?」

「かわいい……ですか?」

「うぐ……」

 俺は思ったより小心者かもしれない。かわいい、それを言いかけた瞬間に顔が熱くなるのを感じた。まだ一言も発音できていないっていうのに。

「あ、ああ、かわ……かわいいと、思うぞ」

 頭上に湯気でも立っていないだろうかと心配になるくらいさらに顔が熱くなっている。今の俺の顔は人に見せれたものじゃないだろう。ああ、目眩がする。

 あまりのことに俺は九重の後ろ姿からさえ目を逸らし、下を向いていた。

「……ん?」

 俺の恥ずかしいセリフを最後に周りは静まり返っていた。この妙な静けさには嫌な予感がした。

 考えるうち俺は平静を取り戻していった。熱が引く感覚が、頬が冷たくなる感覚があった。顔もたぶん元通りになっていると思う。

「くふふっ」

 俺は声のした方へ顔を向けるとそこには、いい笑顔で笑う九重がこちらを覗いていた。

「ありがとセンパイ!まさかそんな素直に言ってくれるなんて思わなかったからドキドキしちゃいましたよー!」

「は……!」

 慌てて千歳たちの方へ振り返った。案の定、みんなニヤニヤしながら俺を見ていた。それはもう楽しそうに、ね。

 どこからなのかは判断しかねるが、おそらくほぼ最初から。俺は軽音部に騙されていたようだ。

「いや〜実はさー、面白い男の子がいるってちーちゃんに聞いてね。君も、いい感じにちーちゃんのフラグを立ててたっぽいし、じゃあちょっとからかってみようかーな〜んて。めんご」

 御庭のその言い方と素振りに悪びれる様子は一切ない。もちろん他の連中も、だ。

 してやられたってことか。恋愛なんてありはしない。俺は無関係だとはまったくの真実だったのだ。

「大成功……」

「楽しませてもらったぜ!へへっ」

 聞けばもう初っ端から、このドッキリはスタートしていという。そう、通学路に落ちていたこの銀髪は軽音部によって仕掛けられたものだったのだ。しかも俺以外が拾ってしまわないようにわざわざ涼宮を見張りにつけてまで、こんなことを。

 静かに、しかし確実に腹の底から怒りが込み上げてくる。

「この、暇人共め……」

 制服の袖を九重に引っ張られ振り返る。さっきまでの笑顔はどこに、こちらを心配そうに見つめていた。冗談や茶化しているわけでもなく、本当に心配している。

「……センパイ。もしかして、怒った?」

 その意外な出来事に俺もつい冷静になった。

「い、いやそんなには……」

 なんだなんだかわいいやつめ。人の気持ちを弄んだことはいただけないが、怒鳴るところでもないらしい。

「でも、ちょろいですねセンパイ。こんなことで動揺しちゃうなんて」

 こいつはやはりただのペテンだったか。

 仕返しに持っていたカツラを笑っている九重の顔に投げつけてやった。たまたま息を吸ったタイミングだったようで、毛を吸い込んでしまい派手に咳き込んでいた。

「テメェ!うちのちーに何しやがる!」

 その様子を見ていた大園が激怒し襲いかかってきた。

「うわっ」

「うちらの大事なボーカルなんだぞ!何かあったらどーしてくれる!この!」

 大園は確かにパワーあるがスピードが無いので躱すのは余裕で、俺は全速力で音楽室から逃走した。

「あ、逃げんなっ!」

 廊下まではさすがに追っては来なかった。何か後ろで怒鳴り声が聞こえたが俺は気にせず走り続けた。

 まったく、過保護すぎるだろって。




 俺は購買のパンを片手に廊下を歩いていた。目指す目的地は彼女の待つ演劇部部室だ。実はあのあと、また昼を一緒にする約束をしていたのだ。

 今日の授業はあまり頭に入ってこなかった。今朝にあった軽音部の一件で疲れたっていうのもあるだろうが、それよりも困りものだったのは昼だ。花柳にして欲しいことなんてまったく思いつかなかった。

「やあ!榊君、会いたかったよ」

 渡り廊下の途中に出現したこのエネミーは俺に手を振って爽やかな挨拶をしてきた。

 俺は神尾の登場に思わずわざと嫌がってしまった。あいつを見ると何故かそうしたい気分になるのだ。

「おや、すごく嫌そうな顔をしてるね。ボク、君になにかしたかな?」

 そう問われると確かに何もない。まあ、初対面は不気味だったが悪いことをされたわけじゃない。何もないはずなのにこの人を見ていると自然と湧き上がってくるこの嫌悪はなんだろう。

「いえ……。それより、俺に何か用ですか?」

「そうそう、訊きたいことがあってね。2つほど」

 神尾はあの情報室の人間だ。いったい何の調査中なんだか知らないが用心して答えるとしよう。

「まずは、河守についてだ。君、彼女からボクに関して何か訊かれなかったかい?またそれについてなんて回答したかな?」

「それなら本人に訊いたらどうです?同じ部活に入ってるんですよね」

「うーん、そうなんだけどね。ちょっと事情があって、あまり彼女とは顔を合わせづらくてさ」

 そう言った神尾の表情は珍しく曇った。二人の過去にいったい何があったのかは計り知れないが、冗談や演技で言っている訳じゃないのは伝わった。

「あんたと仲がいいのかって訊かれました」

「それだけ?なんて答えたんだい?」

「そんなことはない、と。他には何も訊かれてませんよ」

「そうか……」

 てっきり何か冗談を言ったりリアクションをとってくれるものと考えていたが何もなかった。これは、神尾と河守の間には相当に重い何かがあるな。

 神尾は小さなため息をついて、いつもの好きになれない笑顔に戻った。

「それじゃあもうひとつの質問だよ。花柳さんについて、君はどうしようと考えてるのかな?」

「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味さ。もっと分かりやすく言うなら、君はあの子をどう思ってるの?」

 俺は言葉が出てこなかった。なんて答えればいいのか分からなかったからだ。仲良くなりたいのか、ただ話しているだけでいいのか、それとももっと別の何かなのか。

 それはたぶん、お礼の内容が思いつかない理由と同じなんだろう。

「ふふっ、なるほど」

「え?」

 神尾は可笑しそうに笑いそう言った。俺にとってそれは突然のできごとだった。考えていただけでなんの発言もしていなかったからだ。

 まさか無意識に何か喋っていたのだろうか。

「君の顔を見ていてなんとなく分かったよ。それで十分さ」

「はあ……?」

「それじゃ、またね」

 そして何故か納得した神尾は教室の方へと戻っていった。俺も部室へと足を動かした。

 あれはどういう意味だったのか道中ずっと考えていたがついに答えは出なかった。しかし、なぜそんなことを神尾が気にするんだろう。

「浮かない顔ですね」

 俺に声をかけたのは部室の前に立っていた花柳だった。ちょうど同じタイミングで到着したらしい。

「ちょっといろいろあってな」

 俺たちは部室に入り、また花柳が奥側の席に手前側に俺が座った。

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