第29話 ハープーン⑤

 レザーウッドの木陰で寝転がっている人物を見つけて、俺は駆け寄った。

「ルカ」

 近づいてくる足音に気付いていただろうが、声を掛けられて、驚いて身を起こした。幹が揺れて、満開の花弁が降りかかる。榛色の煤けた髪と顔の傷にさらさらと舞って、痩けた眼孔に光が映る。

「サク、戻ってきたのか」

「約束しただろ、鮑持ってきた。あと魚とベーコンと……みんなで食べよう」

 隣りに座ると、無精髭の口元が笑うが、以前のような覇気は無い。俺は少し躊躇して、小声で尋ねた。

「……製材バラックに異動したんだって」

 胡座をかいた膝元にはまだ造船に関する書籍が乗っている。手持ち無沙汰に指先でくり、ルカは態とつまらなそうに言った。

「ああ、……造りたくないって言ったんだ。まだマシさ、仕事が無くなるより」

 捕鯨船を造りたくないって、言った。でも、ルカ、そんなに船を造るのに一生懸命なのに、と慰めにもならない言葉を、俺は呑み込んだ。ルカはもっと大事なもののために、そうするしかなかったのだから。

「俺はさ、船や機械は『いいもの』だと思ってたんだ。新しいものは、『いいもの』だと思ってた。それで、新しいものを創り出すことのできる人間って、凄いんだと思ってた」

 でもそれだけじゃないんだよな。新しいものっていうのは、『いいもの』とか『わるいもの』とかって分けられないだろ。決めるのは、それを使う人間なんだよ。

「そうやって考えたら、怖くなった」

 閉じられた本の表紙に落ちた花びらを撫ぜて、ルカは言う。ずっと続いてきたものは、『いいもの』とか『わるいもの』とかって、経験で分かるんだろうけど、新しいものは自分で決めなきゃならないだろ。それで誰かが、親しい命が、傷ついたり辛い思いをするのは、嫌だ。あけっぴろげに見えて、繊細なんだよねえ、と俺は、いかつい背を丸めている友人の肩を叩いた。

「俺、ルカのそういうところが、『好き』だな。ジナもリャンもそうだと思う」

 ルカは驚いたように顔を上げた。本気で、ジナに嫌われたと思っていたのだろうか。ジナはジナで、対立する立場のルカとは、もう一緒にいられないと思っているのだろうか。ジナには苦しい過去があって、ヨーロッパ人たちや外から来た人間に、憎悪を抱いてもおかしくないのに、そうならないのは、多分ルカやミスターローランドがいたからだ。ヨーロッパが植民地の人間にしていることは、どうやっても肯定されない。けれどどんな出生であろうとも、一人が一人を想うことを、一人と一人の繋がりを、『いいか』『わるいか』なんて国や時代が決められることではないのだ。

「……お前、不思議な奴だよな。情けないだろう、俺?」

「そんな不思議な奴を最初に引き取ったのはルカだからね」

「そりゃだって、お前、あン時は濡れ鼠みたいに情けない顔してたから……」

 はっはあ、と二人で顔を見合わせて笑う。どっちもどっちだろ。


「俺はジナに助けてもらったし、ルカに助けてもらったし、ローセスタンでもいろんな人たちに助けてもらった。ちゃんと仕事ができるようになったら、みんなのために何かしたいんだ」

 青空に陽光を弾いて舞うレザーウッドの花びらを目で追いながら、俺は言う。それは、本当だ。マットやミスターウィリアムズたちに会いたい。今やっとお金を稼げるようになったのだから、もらったものを返したいのだ。サリーにはもっといい石鹸、子どもたちには本、マットには靴だろうか。いつもすり減ってるから。ミスターウィリアムズには何がいいだろう。あの人ならこう言うかな、みんなに、希望の持てる未来なら何でも。

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