第25話 ハープーン①

 海面に上昇していくときには、太陽に向かって泳いでいくような気持ちになる。空と海が水のスクリーンで混ざって、世界が反転しているように見えるのだ。

「サク!」

 漁が終わって船着場へ戻ってくると、ルカが待っていた。周りの作業員たちは、彼の顔の傷を遠巻きに見ているようだが、本人は気にせず船に近寄ってくる。

「ルカ、何かあったの」

 鮑の籠を下ろしながら尋ねると、ルカは『大漁だな』と覗き込みながら言う。近くで横顔を見ると、少し痩せたかもしれない。根を詰めているか、不摂生しているか、多分どっちもだろう。

「試運転だ」

「スクリュー船の? 完成したんだね」

「まだ課題は有るんだけどな。ミスターローランドも立ち会うぞ」

 お前も見にくるかと思って。隈の浮いた目元で笑う。やれやれ、ジナが心配して怒っている様子が目に浮かぶ。

「今から?」

「ああ、ミスタードーソンが操縦したがってるとかで……。何者なんだ、あの人」

 そういえば元アメリカ海兵なんだっけ、と思い出す。海賊の間違いじゃなかろうか。ミスターローランドとセシル・ドーソンが対面するところには、あまりかなり居合わせたくないが、新しい船は見てみたい。

「……これ一個高いのか?」

 ルカが鮑を指差して言う。思惑は分かっている。ジナに食べさせてやりたいのだ。俺は態とらしくルカの耳元に囁く。

「小売価格は知らないけど、一個採ると、俺たちに支払われるのはね……」

「マジか。ピット爺さんが言ってたのは本当だな」

「今度漁場以外で採れたら、工場の方へ持っていくよ」

 仕事中に採ったものを私的に流用すると、バレたら多分セシル・ドーソンに殴られる。馬鹿、金になるモンを金にしないでどうする、お前が働いた対価だろうが。二人でこそこそ話していると、リャンが通りかかった。身に付けている革紐と鯱の牙のチョーカーは、ジナが作ったものだ。おうリャン、とルカは気軽に声をかける。

「久しぶりだな」

 こくり、とリャンは頷く。他のダイバーたちとも仕事以外ではほとんど話しているところを見かけないが、この二人はそれなりに親しいらしい。もやもやとした気分になって一歩下がった俺を、ルカは可笑しそうに小突く。

「よかったな、一緒に仕事ができるようになって」

 どういう意味。ずっと俺が気にしてたから? それとも潜水技術が追いついてきてるってこと? 実際のところ、リャンは俺に鮑採りについていろいろと教えてはくれるが、生い立ちや私生活について話したことはほとんどない。要するに、仕事においても、友人としても、信頼に値すると思われていないのだ。勝手に考え込んで勝手に落ち込んでいる俺を気にもとめず、ルカはリャンに向かって続ける。

「造船所で新しく造ったスクリュー船の試運転なんだ。お前も見にくるか」

「うん」

「え、リャン、船好きなの」

 思わず声を上げてしまい、リャンがまたあの迷惑そうな顔をする。ルカは楽しげに言う。

「機械が面白いのは、人間がつくり出したからだよな」

「うん」

 だからどういう意味。なんで二人して分かったような感じなの。もしかしてこの二人、口数が違うだけで結構似ているのかもしれない。なんて言うんだっけ、ええと、ツンデレ?

 

 セント・ヘレナの港に、新しい汽船が泊まっている。午後の遅い光の中で、その優雅で強靭な曲線を晒す姿はまるで、大きな王冠のようだ。俺は見上げて溜め息を吐いた。リャンも隣りで目を細めて、機関部から伸びる煙突の先を見ている。すると甲板から人影が躍り出た。

「乗船したまえ、出航だ!」

 舵を取るのはセシル・ドーソンである。その隣りにはフロック・コートを纏いステッキを持ったミスターローランドが立ち並ぶ。鐘の音が鳴り響く。誰よりも速く遠く、まだ人々は、自分がどこを目指しているのかも知らない。

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