第24話 アバロニ・ダイバー⑦

 柔らかな蔓草を踏んで、俺は岬の端に出た。その先は岩の崖になっている。どうどうと冷たい風が吹き上げるが、夏の香りも含んでいて心地よい。広々と伸びた水平線は、一日の最後の光を弾いて、燃える琥珀のように輝いていた。

「リャン」

 そんな光の粒子を纏わせて、岩に立っていたのはリャンだった。無感情な目はしかし、吸い付けられるように海面を見下ろしている。こちらに気付いているのかいないのか、背中を晒したまま動かない。

「リャン、何してるの」

 もう見て見ぬふりはしない。隣りに立って再び問うた。リャンはこちらを一瞥し、ゆるりと長い腕を持ち上げて、黄金の彼方を指差した。伸びてきてしまった前髪が風に煽られるのを掻き寄せて、俺は目を凝らした。一面に瞬くとこしえの波間から、銀の峰が聳り立つと、藍の天空を鳴らして、また輝きの中へ沈んでいく。

「鯨……!?」

 思わず叫んで身を乗り出しそうになるが、岩棚の下は崖である。俺は自分を押し止めるために拳に力を込めた。

「ここでは初めて見た」

「北から、戻ってきたんだ」

 俺の興奮気味の声に何の関心も無いように、リャンは夕日を扇ぐ巨大な尾びれを睨んだまま、囁くように言う。

「呼んでる」

「え?」

 太陽が稜線の向こうへ完全に沈みきってしまう最後の一芒が、リャンの瞳に反射したのかと思ったが、そうではなかった。無機質に見えていた目元を覆って、リャンは嗚咽を隠すように言う。

「呼んでるんだ、歳星ジュピターを」

 “スイシン”って、誰、と喉元まで声が出かかったが、俺は分かってしまった。あのオルカのことだ。もうこの地上にいない、美しい一個の生命。

「……どうして、鯨が鯱を呼ぶの」

 リャンは、俺が知っていることに、驚いたように目を上げた。塗りつぶした墨のようだった瞳が、黄昏にちらちらと揺れている。

皇后エンプレスは毎年この沖に来る。彼らは争うし、互いに助けもする」

 けれどもう歳星はいない。老いた鯱はサメの牙を避けきれずに深手を負って弱っていき、とうとう力尽きてしまった。俺は、サザン・ライト・ウェールの広大で滑らかな背が、輝き出した星々を映して水面に舞うのを見た。


 呼んでいる

 戻っておいで、と

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