第23話 アバロニ・ダイバー⑥

 今日もやっと終わった。夕日を背に浴びて、俺は桟橋で伸びをする。少しは慣れてきたと思いたいが、歩く脚の感覚はまだ痺れてふわふわとしている。船着場で真水をもらって身体をすすぎ、着替えて家路につくもの、飲みにいくものとそれぞれだが、リャンはいつもすぐにどこかへ立ち去ってしまう。俺は炭のような黒髪が靡くのを、目で追えるとこまで追って、溜め息をついた。取り付く島も無い。俺は仕事が終われば何の用事も無い。久しぶりにベーコンとパンでも買いにいこうか、と考える。ジナが焼いて持ってきてくれたパイのおかげで、少し食欲と、何か作ろうという気力が戻ってきた。

「よう、日本人」

 折角気分を上向きにしようとしたのに、またとんだ茶々が入ったものだ。神出鬼没のセシル・ドーソンが、片手をズボンのポケットに突っ込み、もう片手を振りながら、こちらへやってくる。

「“日本人“は名前じゃありませんよ」

 人を小馬鹿にしたような態度に、思わず抗議めいた口調になる。セシル・ドーソンは俺の眉間の皺を見て目をパチクリとさせ、続いて破顔した。

「ははあ、そうだな。ユキハル、話がある」

 英語話者には発音し難い名前であるらしく、友人たちは皆苗字の『サク』と呼ぶ。久しぶりに下の名前で声を掛けられて、俺は驚いた。セシル・ドーソンが俺の名前を覚えていたこと自体が、大分意外である。がしりと俺の肩に腕をかけ、ぐいぐいと岬に続く道の方へ押しやられていく。話って何だ。これって、現代でいうところの、体育館裏へ来い、ってヤツだろうか。それとも稼ぎが悪すぎるから解雇とか。


 砂地に生える痩せた木々の間を二人で歩きながら、セシル・ドーソンはコートの内ポケットから何やら取り出した。

「お前、“それ“の作り方知ってるか?」

 渡されたのは煙草入れだ。高級なものに見えるが、『作り方を知ってるか』という質問の脈絡が分からない。ひっくり返してしげしげと見ていると、セシル・ドーソンは苦笑した。

「違う違う。その“らでん“だ」

 螺鈿。確かに煙草入れの表面は螺鈿で飾られている。唐草に花と蝶という繊細で見事な作品だ。

「光沢の有る貝の内側を薄く削いで、木地に貼り付けて模様を作るやり方ですね」

「本島では清人や日本人の職人が作っているらしい」

 だからって、俺にやらせようというのは、お門違いである。

「専門家じゃなきゃ無理ですよ」

「やっぱりそうか……知り合いには?」

「いません」

 この頃どれくらいの人数の螺鈿職人が日本にいたのか知らないが、現代では希少な伝統工芸技術である。そうそう知り合いにはなれない。

「やっぱりオランダのエージェントに頼むしかないか。あ、いや、お前が引き抜いてくればいいんじゃないか?」

 百面相しつつ、ぶつぶつと没頭して自分自身と議論を始めてしまう。俺はセシル・ドーソンの早足にやっとついていきながら、質問を口にした。

「日本人の職人って、本島には結構いるんですか」

「うん? ああ。もともと北の方で真珠採り《パール・ダイバー》をしている日本人がちらほらいて、そのツテで職人も移民してくるようになったみたいだな」

 あ、とセシル・ドーソンが何か思いついて手を打つ。嫌な予感がする。

「ユキハル、お前、真珠採りは……」

「俺はアバロニダイバーを諦めるつもりはありません!」

 言わずもがな。俺は岬の先へ駆けて、甘ったるく強欲な男から逃げ出した。

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