第21話 アバロニ・ダイバー④

 ダイバーたちが籠に満杯の鮑を船から下ろす。水産物の出荷加工をする作業員たちが取り巻くなかに紛れて、見覚えのある黒髪が濡れた岸壁を歩いてくる。

「リャン、ちょっとこっち来い」

 セシル・ドーソンの横柄な言葉に否やも無く、そこそこ筋肉は付いているが痩せた猫背の青年がこちらに向き直り、俺の動悸がすくむ。長めの前髪に隠れた墨色の無感情な瞳。

「新入りだ。お前が見てやれ」

 目の前にのっそりと立ったアジア人は、海底の色に染まったように生気が無い。歳は俺と同じくらいに見えるが、水を吸った陶器のような肌と、切れ込んだ目元以外は、若いのか老いているのか判別し難い雰囲気を纏っている。胡乱げな視線が俺を掠めた。

「誰……」

 大人の体躯からにしてはか細すぎる声だった。しかし玉が転がるような響きを持っていて、俺は思わず彼の唇を凝視してしまう。

「ローランドの工場で働いてた奴なんだが、泳ぎが得意なんだと」

 ポカンとしていた俺に痺れを切らして、セシル・ドーソンは適当に付け加え、後は任せる、と収獲を確認しにいってしまった。二人きりにされて、何を話すべきか分からない。先日のことを謝るべきなのか、仕事について尋ねるべきなのか、そもそも勢いでここまで来たけれど、毎朝通うには近くに引っ越さなければならないだろ、どうするんだ、うーん。相手はただじっとこちらを見ている。

「ええと、俺はユキハル・サク。日本人」

「お前、あの時の?」

 囁くような声が、少し苛ただしげに揺れた。ここではまだアジア人は珍しいので、印象が残るのも容易だろう。

「うん、その、ごソーリー

 チ、と舌打ちをするように薄い唇が歪む。考えてみれば、今まで会った人々が特別フレンドリーだったのであって(ミスターローランドは置いておいて)、リャンの反応はごく一般的なのかもしれないが、こっちが謝っているのにどうなのその態度?

「俺は距離を速く泳ぐのは得意でも、ダイビングは不慣れなんだ。教えてほしい」

 カチンときたので作り笑いでリャンの手を取り握手する。見た目通り冷たい手だ。手の冷たい人間は心が温かいんだっけ、本当かな。リャンは相変わらず無気力になすままにされていたが、手を離すと、ふいと踵を返した。

「泳ぎ、見せて」

 震える声。あの時のように、どこか泣いているようだった。


 潜る、深みを泳ぎ続ける、というのは実のところ容易ではない。浮力をコントロールすることに体力を使うし、身体にかかる水圧の変化が激しい。岩礁を探って、鮑を見つけて採取する、という一連の作業まで辿り着くまで、息が続かない。併泳しているリャンが、海藻の茂ったところを指差している。手を入れてまさぐると、確かに鮑の殻の感触がした。鮑は藻や小生物を背負って擬態しているので、見つけるのも慣れが必要だ。小刀を接着部に差し込み、岩から削ぐ。ここで息が限界だ。浮上も急いではいけない。潜水病を防ぐためである。

「いやもう、無理……」

 やっと海面に頭を出すが、血の気が引いて、寒くて眩暈がする。痺れた腕で辛うじて掴んでいる網の中には、鮑が6つほどからからと揺れている。水が怖いと思ったのは久しぶりだった。泳ぐのだけは好きだったし、ここへ来てからもそれが気休めのようなものだったのに、仕事にするとなると訳が違う。

「舟に戻りな。今日はそれでいい」

 後から浮上してきたリャンが言ってくれるが、ぼんやりとしか聞こえない。突然、がんがんがんと金属を叩く音が響いた。『サメだ、舟に戻れ、サメだ!』監視役ががなり声を上げ、リャンは泳ぎ寄って俺の肩を引いた。

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