第17話 シップ・ビルダー④

 セント・ヘレナは工場から最も近い街である。地図上では、タスマニア島の北東の角だ。修繕した漁船を船主に引き渡すために、俺はピット爺さんとセント・ヘレナにやってきた。


「誰……」


 ところがピット爺さんは、いつの間にか集まってきた古い馴染みたちと飲みに出掛けてしまい、俺は船着場に一人残された。いや、一緒に来た意味無いだろ。簡単な手続きなんて、ピット爺さんだけでできるんだから! と呆れて桟橋に腰掛け足をぶらぶらさせていたが、ジョージ・ベイの輝く水平を眺めていたら、どうでもよくなってきた。多分、必要無いのにわざわざ連れてきてくれたのだ。手が空いたら泳ぎにいくくらいで、普段俺には他に娯楽も趣味も無い。男部屋の掃除や、いくらでも食いそうな奴らの食糧調達係(森と海からの採取という極めてシンプルかつ重労働)にもなってしまったので、いつもばたばたしている。少し落ち着け、と気を遣ってくれたらしい。そうじゃなくて、身の回りのことは自分でしろよ! まあ俺も、大学で一人暮らし始めるまでは、何もしなかったけど。そういやここにいる間、大学の出席ってどうなるんだ。単位落としたくない。


 つらつらと考えても埒が開かないので、散策に出かけることにした。広大なジョージ・ベイは、波は穏やかだが水深が有ると聞いた。大洋に出てもこの辺り一帯は良い漁場で、セント・ヘレナは漁業と加工業が盛んである。また木々に隠れた大小のラグーンが美しい。淡い緑のベールに縁取られた鏡のように平らな水面を、渡り歩くのは楽しいものだ。


 どこまで来たのか、林を分け入り、小さな入江が見えた時だった。木漏れ日が静かな波間に揺れ、花びらが降ってとても綺麗だ。そこに人影が有った。波打ち際から腰まで浸かって、背を丸めて何かしている。逆光で輝き、俺は茂みから目を凝らした。違う、人だけではない。長い腕が触れているのは、艶やかな黒の背びれだ。人よりも遥かに大きい。セダンほどはある、しなやかな黒檀の皮膚に浮き上がる白の斑。


キラー・ウェール


 俺は思わず踏み出した。蜜蝋色の背をした青年が、顔を上げてこちらを見る。やっと会えた、アジア人だ。琥珀の瞳はしかし、この輝くような入江で昏く、泣いていた。

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