第14話 シップ・ビルダー①
船の影で、俺はがりがりと清掃作業を進めている。建物内にはミスターローランドがいるので、大人しく身を潜めているという訳だ。親方から現在の進捗状況について説明を受けた後、ミスターローランドと船大工たちは額を突き合わせて難しい顔をしながら何やら議論している。こっそり覗いたら、一番年下の船大工であるルカが目配せして、あっち行ってろと言う。ルカもミスターローランドの前では、借りてきた猫のように大人しくしている。今回の視察は納品内容の確認が目的だったはずで、造船所は当初行程に組み込まれていなかったらしく、船大工たちは突然の来訪に些か緊張しているようだった。
ピット、と親方がピット爺さんを呼び、爺さんもやれやれと議論に加わった。何事かと思ったが、後でルカがこっそり教えてくれたことには、ピット爺さんは元々ホバートで働いていた高名な船大工だったらしい。そこの監督役と揉めて傷害事件を起こし、留置後はミスターローランドの元で細々と船を磨いている。一人で船を洗い続けている俺は楽しくない。
「サク、お前にも」
既に暗くなり始めているが、あちらは煌々とランプを灯して、まだまだ議論は終わりそうにない。俺は船影に座り込み、瞬き出す星を見ていたのだが、ルカがひょこりと顔を出した。ミスターローランドが、視察の
「お前、先に帰れ。帰り道分かるだろ?」
「随分長引いてるね?」
薄暗がりの中で、ルカが苦笑する。俺は有り難くワインを頂戴する。アルコール自体久しぶりだが、この寒空の下、身体が少し温まる。
「スクリュー船はまだここで造ったことがないからな」
俺は小首を傾げた。船の推力といえばスクリューだ。もしくは自分が洗っていたこの船のように、帆船ではないのだろうか?
「蒸気船でも外輪を使う船とスクリューを使う船があるんだ。最近はスクリューが主流になりつつあってな……ここは新しい造船所だし、せいぜい外輪蒸気船を造ったことがあるだけで、漁船ばっかやってたから」
1860年代とは、そういう頃なのだろう。俺はランプの下で新しい設計図を覗き込み、頭を悩ませている男たちを遠目に見た。新しい時代がくるのだ。そのために、学ばなければならないことが沢山有る。
「ここに居たのか」
感心しながらちびちびとワインを飲んでいると、ルカの背後から、力仕事をしなくてもよい厚さの無い肩の影が現れた。声にならない驚きで、ワインの椀を落としそうになる。
「ミスターローランド」
ルカも慌てて、俺の前に遮るように振り向く。当の本人は何の感慨も無いように、青灰色の視線をこちらにまろばせていた。
「主伐から引き抜いたのかね」
「ええ、その……俺の手伝いをしてもらってます」
ルカの引き攣った声に心から謝りたい。俺はルカの肩越しにミスターローランドを睨んだ。別にそうしたくはないのだが、どうも受け付けない男なのだ。
「お前が弟子を取るのは構わんがね、ルカ。君も早くものになってくれ、私が贔屓にしているなどと言われては、示しがつかない」
ごもっともです。反論の余地も有りません。俺は唸りを呑み込んで口を結ぶ。ここでは強者が正義なのだ。その上ミスターローランドの正義は、誰の目から見ても揺るぎない。弱者にも善意が有るなんて、これっぽっちも考えられないのだろう。ふと、ミスターローランドの視線が、ルカと俺を越えて、夜空へ登った。
「……君は、サザン・ライトを見たことがあるかい」
サザン・ライト。南極オーロラのことだ。タスマニアより南の空に、よく現れることで知られている。ミスターローランドのガラス玉のような瞳が、上り始めた南の星座たちを映している。
「美しいものだ。科学が発達すれば、あれすらも手に入れることができるのだろうか」
人類は南の極まで辿り着いた。やがて空を飛ぶことも、宇宙を駆けることもできるようになるだろう。何を取り引きしても、私は、あれが、欲しいのだ。
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