第12話 ティンバー・マーチャント④

 全身筋肉痛と打ち身で動けない。俺は薄い毛布の下から這いずり出そうとして、呻いた。この数日、散々である。いや、新しい仕事で、初めからそんなに役に立つとは思っていないが、朝早く露に濡れた森を伐採地点まで進んでいき、当然斧にも鋸にも触らせてもらえず、倒れてくる幹に右往左往し、枝葉を落として、縄を掛け、バラックへ運ぶ。

 運ぶって……あれを? 足場の悪い森の中を、トンはあるだろう太い幹を男たちは引きずっていく。重機など無い。安全基準なども無い。生きて帰ってこられただけ、感謝しなければならない。伐採はかつて、鉱山労働とともに、元囚人たちに課せられた懲役でもあった。


「へたってんなあ」

 鳥の声が外から響いてくるが、まだ薄暗い。隣りで寝ていたはずのルカが、俺の毛布を毟って言った。他の部屋住みの男たちも、起き出して水場を使っている。

「お前、今日からオレの持ち場だぞ。主伐の奴ら、お前がウロウロしてると邪魔だとさ」

 さもありなん。図体はでかいのに、愚図なんだよ、怪我しないように見張ってるのも手間だしよ、と監督役の男に溜め息を吐かれた。慣れてないんだからしょうがないが、見習いに時間割いてる場合じゃねえんだ。納期が迫ってる。

「明後日ミスターローランドが視察に来るぜ、仕事を遅らすわけにゃいかねえんだよ」

 のろのろと起き上がる俺に肩を竦めてルカは言う。何とでも言ってくれ、身元不詳の人間に、仕事を選ぶ余地は無い。吹きさらしの中野宿しないで済むだけマシなのだ。いくらこの男所帯が、どんなに汚くたろうともだ! 痛む身体を押して、前職を活かし(?)、俺はこの部屋の黄ばんだリネン類(と呼んでいいものか)を洗濯し、水を流してブラシで板張りの床を磨いた。そうでなければとても横になれない。そのため、この部屋の男たちは多少俺を買っている。もちろん、ルカが一言掛けてくれたから、面倒がる男どもからリネンを取り上げることができたのだ。ルカは俺とあまり変わらない歳だが、ミスターローランドの工場で長年働いているので、この男部屋でも寮長のような役割らしい。よう、ルカ、水場空いたぜ、と一人が手を振ってくる。


 ミスターローランドのように英国紳士ふうなのか、ここの男たちは一応髭を剃る。こちらに来てから、剃刀を使うのにも慣れてしまった。ふらふらしながら顔を洗い、歯を磨き、ルカに引っ張られて居住区の道を下っていく。

「ミスターローランドも忙しいね。儲かってるってことだろうけれど」

「本島の木材市場が景気続きなんだと。移民が増えてるからな」

「確かこの時期ってゴールド・ラッシュなんだっけ……」

 てっきり伐採バラックか家具工場へ赴くのかと思っていたら、道は切り通しの岩場を抜けていく。いつもは朝、部屋を出る時間は主伐作業員の方が早いので、ルカがどこに勤めているかは知らなかったのだ。朝焼けの透明な空が目に染みる。草いきれに混じって、次第に馴染みのある香りが風に運ばれてきた。

「……どこに行くの?」

「造船所だが?」

 朝日を散らして銀色に輝く水平が見えてくる。驚いた。こんなに海が近かったとは、気付かなかった。ローセスタンからずっと内陸の道を連れてこられたし、タスマニアの土地勘も無い。

「船作ってるの!?」

「おう。お前、かんなや塗装くらいできるだろ?」

 海岸まで降りてくると、船台が見えた。錆びの目立つのっぽのウィンチ脇をくぐり、伐採バラックの何倍も有るような建物の扉を通り抜ける。

「ここから出て行きたけりゃ、働くこった」

 木肌を見せたままの造りかけの船体を撫ぜて、ルカは銀の風のなかで誇らしげに言った。

「金を稼いで、船に乗れれば、自由を手に入れることができる。どこにでも行けるんだ、そうだろう?」

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