第11話 ティンバー・マーチャント③

「ジナ、またケンカか」

 御者が呆れたような、からかうような声をかけた。ジナ、と呼ばれた若い女性は墨染めのくっきりとした眉根を寄せてこちらを睨む。

「手が空いてるなら、こいつを伐採のバラックまで連れていってくれ」

 御者はジナの返答も待たず、俺を馬車から引っ張り出す。礼を言うべきかどうか、濡れた土の上に微妙に突っ立っている俺を残して、建物の裏手の方へ行ってしまった。俺はジナを改めて見る。『またケンカか』と言われたとおり、頬が紅く染まっているのは叩かれたせいだろう。だらりと下がった腕には、編みカゴを掴んでいるが、それもひしゃげてしまっている。

「あんた誰」

 警戒を解かず、ジナは俺を睨みつけたまま言う。

「俺はユキハル・サク。日本人……アジア人」

「なんでここに来たの」

 それは俺も知りたい。どうして150年も前のタスマニアに来てしまったのだろう。

「覚えてないんだ。気付いたらローセスタンにいた。ブッシュ・レンジャーたちに助けてもらったから、警察に捕まりそうになったんだけど、ミスターローランドが匿って雇ってくれて」

 俺のあやふやな説明を聞きながら、ジナの険しかった眉間が少しだけ緩んでくる。

「自分のことが分からないの」

「……うん」

 そう、とジナは呟き、俺に背を向けた。ついてきて、伐採バラックまで案内してあげる。水滴を散らした山々の稜線に、一瞬だけ夕日が雲の隙間から残光を投げた。ジナのこんがらがった後ろ髪がそれを弾いて、とても綺麗に見えた。


 伐採バラックの敷地には、両手でも抱えきれない程の周囲がある丸太が整然と並べられ、バラック内で各種の製材に加工されているようだった。もう間も無く終業時間なのだろうが、木屑に塗れた男たちが片付けをしていたり、雑談をしていたりするなかを、ジナは横切っていく。

「また何漁りに来やがったんだか」

 男の一人が、俺でも分かる侮蔑の軽口を叩いた。思わず足を止めて咎めそうになったところ、即座に手首を取られて引きずられる。関わるな、ということなのだろうが、硬い表情の彼女の怒りは、触れたところからひりひりと伝わってくる。

先住民パラワだってんなら、居留地に引っ込んでりゃいいのによ」

 俺はジナの痩せた背を黙って見上げた。俺もタスマニア先住民アボリジニの人々について詳しくは知らない。150年後の現在では、遺伝的文化的に“純粋な“タスマニア・アボリジニは一人も生存していない。ジナも恐らくヨーロッパ移民とパラワの人々との混血なのだろう。俺は思わず掴まれた手首を返して、ジナの擦り傷だらけだが暖かな指先を握った。


「ジナ」

 はっとして振り向いたジナに声をかけようとして、遮られた。体格の良い影が、ジナと俺との間に割り込んでくるように、傍らに立つ。短く刈り上げた明るい色の髪に、切れ込みの深い目元がこちらを見つめてくる。しかし何と言っても印象的なのは、額から鼻梁を掠り頬骨の下まで亀裂の入った顔面の傷だった。俺は唖然として見返す。

「ルカ。なんで伐採バラックに居るの」

「資材の調達だ。あんた誰だい」

 ジナもルカには、つっけどんだが心やすく話せるようだった。俺より少し背が高く、顔を覗き込むように尋ねてくれば、表情自体は人好きがしそうなのだが、なにせ向こう傷が怖い。

「ミスターローランドが寄越してきたの」

「へえ? じゃあ取り敢えず、ウチの部屋へ来るか?」

 返事を聞く気は全く無く、その日から俺は、ルカたちの雑魚寝部屋に押し込まれたのだった。

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