第10話 ティンバー・マーチャント②

 馬車はとぼとぼと山道を進む。朝から座り続けているので腰が酷く怠いが、御者が休憩するタイミングでしか外に出て身体を動かすことができないのだ。窓には格子が嵌められ、ドアには鍵が掛かっている。明らかに護送車である。濡れた服を着替えることができて、手枷をさせられていないだけマシなのかもしれないが、囚人と同じ扱いなのだろうな、と思う。マットたちと一緒にいたのだから騒乱扶助には違いないけれど。


 灰色の空模様に霧雨が降り続いている。道は深い森の端を辿っていく。オーストラリアは乾いた大地という印象が強いが、タスマニアは寒く湿潤で良い木材が採れる。

「あんたは運が良いよ、ローランドの旦那に拾われたんだから」

 御者が煙草で潰れたようなダミ声を上げる。子供を川から救った時に駆けつけてきた使用人の一人だと記憶している。

「あの、マット……ブッシュ・レンジャーたちがどうなったか、知ってますか」

 格子に顔を押し付けて、声を張り上げる。御者は呆れたように言った。

「懲りねえなあ、あんたも。あの後大変だったんだぞ、レンジャーの女たちが丘の上から火を掛けたんだ」

 何人か捕まったらしいが、ほとんど逃げちまったらしい。逃げ足だけは早いからな、奴らは。ウィリアムズの旦那が一枚噛んでンのは、まあ、いつものこった。神経質に揺れる猫背の背中を視界の端に捉えて、俺は格子を握る手に力を込めた。悔しくて鼻の奥がツンとする。考えてみれば、ミスターローランドが俺を見付けられたのは、ビーグル犬のジャックに俺のニオイが分かる何かを与えた者がいたからだ。ミスターウィリアムズだ。二人は協働関係にあるのだ。俺はやはり守られていたのである。

「あんたも警察に面が割れちまってるが、ローランドの旦那の温情で雇ってもらえるんだ、感謝するこった」

「……ミスターローランドはあまりこの土地の人間がお好きでないようですが」

「旦那様が、ってえより奥様がなあ。もともとお貴族のお嬢様なもんで、本国に帰りたい、ってそればっかりさ。旦那様は目利きだからな、ここの材木に入れ込んでる」

 材木にね、人には関心が無いんだろうな。特に俺のようなアジア人には、何の価値も見出さないのだろう。マットたちは一見皆『白人』に見えるが、マットはアイリッシュだし、イタリア移民の子だとか、ロシアから逃げ出してきた元農奴だとか、インドやアフリカ系の混血もいて、差別意識はそれほど強くなかった。ミスターローランドのあの目は、まるで下層階級の人々などジャックと同じで使役し、所有物として有用であれば保護するが、有用でなければ処分する、それだけの対象のようだった。


 見上げれば枝葉にもやが漂い、緑はますます濃く色相を増してくる。馬車は濡れた道を軋みながら進む。やがて森が途切れて牧草地を渡ると、長屋のような建物が見えてきた。馬車がその前に止まったので、俺は眠気に閉じかかっていた瞼を開けた。もう夕刻のはずだが、厚い雲が濁った光を閉じ込めて、辺りを陰鬱に染めていた。建物の敷地に立つ百年松センチュリーパインの下に誰か居る。裸足と粗末なドレスの裾が、雨に濡れている。飴色の肌に縮れた真っ黒の髪、大きな瞳がこちらを振り向いた。

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