テトリス

野生いくみ

テトリス

 信じたくない光景に、今日子は目を剥いた。

 リビングの焦げ茶色のフローリングの床に、薬袋が投げ出されていた。辺りには銀色の錠剤シートが散らばっていた。そして、その真ん中には、保育園年中の娘がいて、手には工作用のハサミが光っていた。わずか三十分ほど目を離した間の出来事だった。

「やめてえぇ!」

 自分が何に悲鳴を上げているかわからないまま、娘・未来の手からハサミを取り上げた。まずは怪我をしていないかを確認した。小さく柔らかな手はいつもと変わらない。振り返った目の先には、数え切れないシートがあった。

 それは、今日子が昨日薬局でもらってきた花粉症の薬だった。薬がないとこれからの季節、ひどい目のかゆみとくしゃみと鼻水に苦しむことになる。二か月分まとめてもらったものが全部出してあり、ご丁寧に束ねていた輪ゴムまで取ってある。もちろん、娘がやったはずだ。

「お薬は触っちゃダメって何度も言ってるでしょ!」

 怒りに任せてどなり、薬のシートをかき集めた。真っ先にオモチャにされそうな点鼻薬や目薬は無事だった。少し安心しながら、空のシートがないかも確認していく。未来が口にした可能性もあるからだ。

 花粉症は命に関わる病気じゃない。

 頭ではわかっているけれど、実際に症状が出た時の、目玉を取り出して水で洗ってしまいたいと思うほどのつらさは、思い出しただけでもゾッとする。

 一枚のシートも見逃すまいと必死になる今日子を、未来はきょとんとして見ていた。なぜ母がこんなに慌てているか不思議なのだろう。

 ふと、今日子は気づいた。未来のそばに落ちているシートのほとんどがハサミで切られている。もらってきた錠剤は一つのシートに二錠×五列、ぜんぶで十錠入ったもの。その一部が切り取られ、バラバラにされているのだ。

 今日子はシートを手にした。それは四個と六個に切り分けられていた。それを手始めに、縦に切って五個を棒状にしたもの。二×二の正方形に切り取ったもの。二×五の一部を切り取って『L』の字になったもの。最近ハサミを使えるようになって、切るのが楽しくなってこんなことをしたのか。百歩譲って錠剤自体を切られなくて良かったと思い、今日子は手を伸ばして凸の形をしたシートを回収した。頭の奥を何かのイメージがよぎったが、いまはシートを集めることに集中した。

 すると、未来が言った。

「ママも遊ぶ?」

 あまりにも邪気がないので今日子は眉を吊り上げた。

「遊びません。お薬はオモチャじゃないの」

 未来が怪我をしてないか、薬をのみ込んでいないか、そして、大事な花粉症の薬がなくなってはいないか。肝を冷やしたのに、「遊ぶ?」と聞かれて「はい」というわけがない。

 つまらなさそうな顔で、「うー」とうなった未来は、不思議そうに聞く。

「パパも遊んでたよ?」

 目を見開いて、今日子は振り返った。

「……パパも? ホントに?」

「うん。すごーく楽しそうだった!」

 鬼の形相へと変わっていくのが自分でもわかった。

 子どもの前でなんてことをしてくれるの!

 人の薬のシートを切り刻んで、オモチャにするなんて信じられない。

 一気に怒りが夫へと傾いた。子どもの前で聞かせてはいけない言葉をグッとのみ込んで黙々と切り刻まれたシートを回収した。

「みらいも、パパとやるの」

 今日子に叱られて少ししょんぼりしながら、未来は目の前にあるシートを動かす。

「ほら、これじょうずにできたんだよ」

 胸を張って差し出したのは、凹型のシート。一瞬怒りを忘れて、こんなものを切り取れるくらい成長したんだと驚いた。未来は「うんとねー、あのねー」とあどけなく歌うように言い、L字型のシートを横に倒して自分の前に置く。L字の横に、二×二の『田』のようなシートを置く。その隣に凹を置き、凸のシートを今日子に向かってかざしてみせて、ひっくり返し、飛び出た部分を凹のへこみに入れる。そして、L字、『田』、凹の一番下の一列を指でなぞる。

「やったあぁ! ここ消えたの! パッ! ってぜんぶ!」

 今日子はハッとした。さっき何か頭によぎったのはもしかして。

「みーちゃん、パパが遊んでたのってゲーム? 上からいろんな形の積み木が落ちてきて」

「うん! カチッ、カチッって、がったいする。それで消えるの」

 その正体がわかった瞬間、怒りはどこかへいってしまった。おかしくて、おなかを抱えて笑い出した。

「みーちゃんは、『テトリス』を作りたかったのね」

「うん。テトリス! みらいも、今度、パパとやるの」

 今日子もやったことのあるゲームを思い出す。落ちものゲームと呼ばれ、同じ色や形をつなげると消すことができ得点をもらえる。人生何度目かのマイブームと言い、夫が暇さえあればゲーム機を手にしている。きっと、未来はそれを見ていたのだ。

「これは、テトリスの練習なの?」

「うん。みらい、パパに勝つの」

 きっと娘の目に銀色のシートは、パズルのピースに見えたに違いない。それらしい形を作り、動かし、揃えて、父親に勝つ練習をしていた。

「みーちゃんは、頑張り屋さんなのね」

 さっきと同じきょとんとした顔がとても可愛く思えた。

「薬をオモチャにしちゃダメよ。だから今度は……」

 ふっくらした両手に凸と『田』をつかんだ未来を膝に抱き上げた。

「ママと一緒に練習しようね」


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テトリス 野生いくみ @snowdrop_love

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