三話

眼を傷める様に照りついたオレンジ色の夕景を、一人ベンチで眺めていた。

家には帰りたくなかった。


直接私に言う事は無かったが、家族達は私に例の一件を悟られた事を知っていた様だった、私が家にいる僅かな時間の所作、態度から察したのだろう。


見上げた瞼から涙がすり落ちて、鼻の奥底が熱くなった。

生贄にされる前に何処かに逃げてしまおう。

そう思ったが、私はここ以外の居場所を知らない。


『やっと見つけた』


息も絶え絶えな様子で目の前に現れた少女は、膝に手を付き前屈みで、掠れた声を絞り出した。

そして一息ついた後、真っ直ぐとした眼差しで


『私がなんとかする』


燃える様な落日を背にした彼女の姿が霞んで見えた。


祭り当日。私は山奥にある本殿に連れられた。

白装束を身に纏い、神輿に乗せられた私を捧げる儀式は着々と、盛大かつ厳粛に行われる。


祭祀服姿の村の重役達が、理解できない言語を用いた歌を歌い、楽器を奏でている。


特に抵抗をする事はなかった。諦めていた。


儀式が中盤に差し掛かると、今までずっと閉じられたままだった本殿の扉が音を立てて開き始める。

僅かに隙間から伺える中の風景は、とても形容し難く、それでいて純粋に恐怖心を煽るものであった。


重役達もその姿を直接見るのは初めての様で、動揺が見て、伺える。


"視られている"、私を捧げる対象、狐火さまがこちらを視ている。贄が上等であるかどうか、村民の信仰心が確かなものであるかを吟味しているのだろうか。扉は少しずつ開いていき、中から触手の様な、血みどろの肉塊で出来た狐の尻尾に似た悍ましいものが出て、私のまわりを這いずり始めた。


ああ、死ぬのだ。

そう本気で悟った。


『──────!!!!!!』


それが私に触れようとした瞬間、辺りから耳を劈く様な爆音が鳴り響いた。


扉の奥から私を観察していた存在が、悲鳴を上げ悍ましい触手を痙攣させ、蠢いている。

見ると本殿から火の手が上がっており、神社全体に燃え広がろうとしていた。


それでも私は逃げられなかった。


『儀式は失敗だッ!祟りが起こるぞ!!!』


儀式を執り行っていた老人の一人がそう叫ぶと、辺りは赫灼の業火に包まれた。祟りが始まったのだ。


一人、また一人大人達が炎に包まれて行く中で、神輿に乗った私はただ唖然と辺りの炎を眺めていた。


そんな私の手を何者かが背後から掴み、強引に神輿から引きずり下ろした。

彼女だった。間髪入れずに引きずりおろした私を背中に担ぎ、まだ火の手が届いていない場所へと連れて来られる。


先程打った頭の痛みを案じるよりも先に、彼女は私を抱きしめた。

背中に爪が流血する程食い込んだ抱擁であり、首元には彼女の顔が齧り付くかの如く密着している。


『私がなんとかするって言ったでしょ。みっちゃん』


『着いてきて、見せたいものがあるの』


この炎上騒ぎは彼女の仕業だったのか。

私の為になんてことをしでかしてしまったのだろうか。


『見て』


少女が指差す先には、炎に包まれた集落。

四方八方からの阿鼻叫喚を目の前に、彼女はいつも通りに笑っていた。


『お祭りで使うおっきな花火をくすねてね、そこら中で燃やしたの』

『私の大好きなみっちゃんをこんな訳のわからないことで殺させない』

『悲しんでるみっちゃんを見てみぬふりしてたおかあさんもおとうさんも、他の人もみんないらない。許さない』


『私にはみっちゃんが、みっちゃんには私がいればそれでいいもんね?』


彼女は真っ直ぐ澄んだ眼でそう言った。


私は言葉を失った。

集落の炎に照らされた彼女の姿が、先程見た狐火よりも恐ろしいものに思えたからだ。


『…』


その様子に気付いたからか、彼女は口を噤み、しばらくの間目の前で黙りこんだ後、思いついた様に口を開いた。


『花火やろうよ。ね、約束してたでしょ』

『仲直りの印にさ。ゴメン、ちょっとやりすぎちゃった』

『ほら、いつもの花火。ガマ花火だよ』


『ねぇ、ァ───!!!』


急に声にならない叫びを上げたかと思えば、彼女の身体は瞬く間に炎に包まれてしまった。


『ッ…狐火さま、私を代わりにするつもりなんだ』

『その前に、花火だけでも…』


発火したガマ花火を手にこちらに迫る悍ましい姿の彼女を見て、恐怖した私は思わずその場を走り去った。


炎の明かりを頼りに、月の無い夜の森を駆け抜けていった。


そして私は"記憶のない孤児"として拾われた。


─────────────────────


…目が覚める。

腐食した神輿から上半身を起こすと、そこには見覚えのある扉。本殿だ。

あの時と同じく僅かに開いた扉の隙間から狐火が垣間見える事はなく、そこにはただ純な闇だけが広がっていた。


空を見上げる。とっくに日が落ちた筈の空にはオレンジ色の炎が灯り続けており、ドス黒い雲が常識では考えられない動きで渦巻いている。


慎重に神輿から降り、集落を見下ろす。

そこは焔が満ち溢れた地獄。とっくの昔に消えた筈の村の炎が、阿鼻叫喚と共に再燃していた。

あの灼熱に踏み入れば命は無いだろう。もう逃げ場は無い。


扉の中で待つは彼女か、狐火様なのか。

それは入ってみなければわからない。だが、一度立ち入れば二度とこちらには戻れない。本能的に悟った。


それでも私は前に進み、軋む扉を開けた。








































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る