二話

消えかけの太陽が煌いたオレンジ色の空の下、少女が入っていった廃屋の前に私は立つ。


ここに何があると言うのか。

何を見せてくれると言うのか。

興味半分、不気味さ半分といった所である。


扉に鍵は掛かっていなかった。

ひび割れた磨りガラス張りのガタついた引き戸を開けて、中に入る。


屋内は当然ながら荒れ果てており、足の踏み場こそあれど長居はするべきではない不衛生さを醸し出していた。長い間密封されていた廃屋の香りは、肺を刺激する。


極力呼吸しない様にしながら進む。

この先に少女がいる筈だ。

彼女に会って、話を聞きたい。


何故私はこうまであの少女に執着しているのか。自分でも甚だ疑問である。


本来であれば、廃村を一人彷徨く少女に興味を示さない人間は存在しない。

しかし、私の場合はかなり特殊であり、幻視した過去の記憶の彼女と、今の彼女の姿かたちがまるで変わっていないのを知っている。


この世のものではないのだ。


彼女はこの世のものではない。それを知っていて、確信していて尚も少女に執心している。


あの記憶の主の末路でも聞くのか。それとも、この村の末路か?

そんなものには興味はない。

私はただただ、会いたい。


上手く言語化出来ない感情が私の執着心を刺激している事は確かの様だった。

これは日中に社で少女に会った時には感じることは無かった。


例の記憶が、幻視した追憶が私を少女に引き寄せているのは確かだった。


この世に疲れきった私が、今更何に執心していると言うのか。

私はこの森にバードウォッチングをしに来た訳でも、廃村探索をしに来たのでもない。


これ以上は決心が揺らぎかねない。

鞄から無造作に麻縄を取り出し、前に進んだ。


少女に会ったら、すぐにここで首を攣ってしまおう。どうせ死ぬなら森の中、うんと大きな木の枝の下に吊り下がって、無残に死んでしまいたかった。

そのつもりで森に入ったのに。


死ぬなら月の下が良かった。

攣ってすぐ、10分くらいはもがき苦しむのだろうか?口を下品に開けて、舌を突き立てられたナイフの様にして、涎を垂らし、目を血走らせて生き恥を晒すのだろうか?


そして、恥を一生分絞りきった後の私の下品な亡骸を、尊く美しい朝日が照らすのだ。

そのサイクルが1週間、1ヶ月、もしかしたら1年、それ以上続くのかもしれない。


誰かに見つかるまで、私はこの森で照らされたかったのだ。腐りきった目玉が溶け落ち、いつかは首と胴体が千切れる事になろうとも。


どうやら一階に彼女はいない様だ。

軋む階段を上り二階へ上がると、酷い埃が肺に入ってむせ返った。ここは換気が必要な様だ。


ガラス窓を開くと外はすっかり夕焼け模様の終わり頃で、夕陽が半分以上山に沈みかかっていた。そして、先程私がここにやってくるために下った階段よりもずっと長い階段が、その山に架かっている。


あの山の頂上には何があるのだろうか。

辺りの山々を一瞥し、背後に振り返ると例の少女が立っていた。


何か言いたげな、それでいて悲しい目をしている少女は社で姿を現した時と同じく、ただそこに佇んでいるだけで何も語らない。


「あなたはここでなにをしているの?」


人外に、私は他愛のない事を聞いてしまった。

その答など容易に推測できる。ただ彷徨っているだけだ。幽霊なのだから、行動に理由なんてものはきっと無い。


少女の顔が歪む。

口を開いて何かを言った様なのだが、それを聞き取る前に私の意識は闇に落ちた。


お                 や

ぼ                 く

え                 そ

て                 く

な                 し

い                 た

の                 の

                  に



ふ た り

     こ こ で

           や

          く

         そ

        く

       し 

      た

     の

    に

        どうして?








どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうし




──まってたのに

             

暗転した視界がセピア調のものに移り変わる。





深夜。

茶の間。

私以外の家族が集まって、何かを話してい

る。 

私はそれを暗がりの廊下から隠れて見ていた。


ちゃぶ台に祖父母と両親が向かい合わせに座り、少し離れた所に兄弟が居心地悪そうにして正座していた。


『わかってるな。今回の祭りはいつも以上に力を入れなければならん。ここ数年、畑の調子が悪い。これは狐火様のお怒りだ。贄が足らんのだ』


祖父が腕を組み深刻そうにそう言うと、父が重々しく口を開いた。


『だから、ミサキを…』


ミサキ、私の名前。


『ああ、人じゃなきゃダメだ。ウンと若いのを狐火様にお供えしよう。いいな?』


『わかった…ただ、ここから先の祭りで生贄を出す事になったとしても、息子達は供物に出さないでくれ』


『ああ、勿論。犠牲はミサキだけだ、アイツは女だから、いつかはこの村から出ていく事になるからな』


祖父と父の会話を他の家族は黙って見ているだけで、母も祖母も兄弟も、私を庇ってくれる事はなくその場は終わってしまった。


子供ながらに彼らの会話の意図は曖昧にではあるが理解出来て、曖昧であるが故に悲痛が増す様な。

家族に"捨てられた" 小さな私の心を崩すには、それだけで充分だったのだ。


その日から家族とはまるっきり話す事はなくなり、殆どの時間を一人で過ごしていた。

あの子にも会おうとはしなかった。












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