私が守らなくっちゃ
帰りの道中、さっきの出来事を振り返る。子犬が大八車に轢かれて怪我をしてしまったのは、モモにとってはやんごとなき事態だ。
(ワンちゃんが安心して暮らせる町にしなきゃ。大事に守ってやらないと。そう、私は将軍なんだから、そういう町を作れるはず。)
日が少し落ちかけてきた頃、一行は江戸城の城門をくぐった。モモは吉保に声をかけた。
「ヨシヤス、さっそく医者を呼んでくれ。」
「はっ。すぐに的庵先生をお呼びします。」
的庵先生とは、綱吉に最も信頼されていた奥医師の一人である。それから、モモ達は桂昌院の待つ部屋に向う。
「母上、無事に御台所を連れて戻りました。」
「おー、良かった、良かった。心配しておったぞ。よくぞ、無事にもどった。」
険しかった桂昌院の顔が一気にほころぶ。
「桂昌院さま、ご心配をおかけしました。」
御台所も神妙な面持ちでしおらしく答える。
「気にするな、気にするな。無事に戻ってきてくれただけで、充分じゃ。」
「桂昌院さま。めちゃくちゃ美味しい団小屋を見つけました。今度、ぜひ一緒にお茶しに行きましょう。」
(そうくる?)
御台所の能天気さにモモは驚嘆した。
「本当!いいわね!」
(おいおい、出発前はあれほど怒っていたのに何なの、一体全体この話の流れは。)
モモは二人の女子トークについていけない。
(そうそう、法令を作らなきゃ。犬も大切な命が宿っていることを分かってもらわなければいけないし。法令としてまとめなきゃ。家臣全員に反対されても、何が何でもこの法令だけは成立させなきゃ。吉保に相談しよう。)
モモは吉保に部屋に呼んだ。突然の呼び出しであったが、吉保は驚いてはいなかった。思い当たる節があったからだ。
「のう、ヨシヤス。先程の件だけど。犬が安心して暮らせる場所に江戸の町をしたいのじゃ。これからは、犬は人間と同様に接し、決して命を粗末に扱ってはならん。犬を傷つけたら、それは人間を傷つけたのと同じことだと、町人に知らせたいのじゃ。」
「はっ。ただ、町人に犬を大切にするという感覚はあまりないかもござりません。」
吉保は、犬を大切にするという法令を町人達が受け入れてくれるか悩んでいた。しかし、吉保は綱吉、というかモモ?を敬愛しているので何とかしたい。
「これこれ、どうしたのじゃ。」
そこに桂昌院が御台所と綱吉の部屋に来た。
「母上、御台所。丁度いいところに。いい法令を思いつきました。」
「ほー、どんな法令なのじゃ。」
目を輝かす我が子に桂昌院は微笑んだ。
「実は、城へ戻る途中、目の前で、町人が子犬を轢いて怪我をさせてしまって。犬にも、人間と同じ命があるし、もちろん、怪我をしたら痛いに決まっているし。」
「確かに、そうじゃの。」
「ですから、私は犬を怪我させたり、いじめたりしたら、罰を与えようと考えまして。」
「ほー、それはなかなか思いきったことを。」
やはり、犬を大切に扱うのは違和感があるようだ。
「ふーむ、どうしたもんかのう、吉保。」
桂昌院は、可愛い息子のせっかくの考えだったが、すぐに頷けず、吉保に意見を求めた。
「かなり敷居が高くございますが、私としては何とか、、、」
「でも、それって、結構いいんじゃない?」
ここで、御台所がモモに加勢してきた。
「だって、上様がそうしたいとおっしゃっているのですし。生き物を大事にするというのも、とてもいいことなんじゃないかと。」
モモは、ここぞという時に、いつも味方してくれる妹を思い出した。
「ふーむ。珍しいの、御台所が自分の意見を言うとは。そうか、確かに悪くないかもしれないの。命を大切にする将軍。うむ、民衆の人気も出そうじゃの。」
桂昌院も満更ではない雰囲気になってきた。機を見るに敏な吉保はすかさず答える。
「私の命を懸けて、まとめます。」
吉保は綱吉に従いつつ、桂昌院のことを最も立てる。ヒエラルキーを正確に把握し、人間関係を構築する能力に長けているものが出世していくのだ。そこへ、家臣が的庵とモモの部屋の前に息を切らして駆けてきた。
「上様、先程の子犬でござりますが、心配には及びませぬ。かすり傷だけでございます。私が煎じたこの薬と塗り薬を塗っておけば、じきに良くなるでしょう。」
「おお、さすがテキアン先生。」
モモは安心した。
「それでは、ヨシヤス。先程の件、しかと頼んだぞ。詳しい事はそちに任せるから。」
「ははっ、御意に。」
こうして、信じられないような話の流れであるが、歴史上で天下の悪法と名高い「生類憐みの令」が制定されたのであった。
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