御台所

小一時間も歩いただろうか。

「ヨシヤス、なかなか見つからないのう。」

「上さま、江戸の町は広うございます。お見つけになるのは、たやすいことではございません。」

「少し小腹が空いてきたなぁ。」

モモは食べ盛りのJK、体がおやつを欲している。

「それにしても、オンダイドコロは何で母上に歯向かったのじゃろう?のう、ヨシヤス。」

「はっ。手前には何とも。」

「余だったら、絶対にはいはいって聞きながすのになぁ。」

「はっ。」

「だって、あのオバサン、いや母上に反抗してもいいことないしなう。うっさいと思ってもそれを口に出したり、態度に出したりしたら炎上するだけだし。」

「はっ。」

「そこはさ、ちょっと大人になって受け流さないとなぁ。もう、いい大人なんだから。」

「は、はぁー。」

吉保はモモ、いや綱吉に敬服していた。

(そうか、そうですよね。言葉はその人の心を映す鏡です。だから、うかつなこと、卑しいことを絶対に言わず、慎まなければならいけません。その人の人間性が疑われてしまいます。さすが、上さま、非常に為になるお言葉です。これは、うちの子孫にも代々、教えを伝えさせていただきます。)

吉保はモモの言葉をこのように解釈したのであった。そして、“言葉は心の表れなれば大人たる者の慎むへき第一なり”と忘れないように書き留めていた。柳沢吉保は我が子に対して、大切な教えを「庭訓」として書き記し、語り継がせていた。実直、誠実、そして純粋な心を持った家臣なのである。

そしてついに、その時が来たのだ。隆光が予言した通り、江戸の町の東にある団子茶屋に御台所の姿はあったのだ。ここは江戸の町でもいわゆる行列の出来る有名店らしい。いつの時代も女子はブームには敏感なのである。

「あ、あれは御台所さま。」

吉保は満面の笑みで叫んだ。

「うぉお、ついに見つかった!」

とモモも答えたものの、そう言えば、御台所の顔を知らない。

 御台所は団子茶屋の軒先に一人で座っている。桂昌院や吉保、隆光の心配をよそに、御台所は満面の笑みをたたえながら大きな口を開けて団子を頬張っている。

「おいし❘!やっぱり、ここの団子は最高!」

店は人で溢れていたが、女子一人で食べていたのは、ただその人だけである。自然と、その女子が御台所であるとモモは知ることができた。次々と団子が口の中に放り込まれていくスピードに、吉保と隆光は安堵から呆れの表情へと変わっていくのがモモには分かる。あまりの能天気な食べっぷりに行動停止していたが、ついに吉保が口を開く。

「お、御台所さま。」

吉保の一言にも団子に夢中な御台所は気づかず、相変わらず団子を頬張っている。

「いや、本当に美味しい。止まんな❘い。」

全く反応しない御台所に対して、今度は吉保だけでなく隆光も声を揃えて呼びかける。

「御台所さま!」

ようやく、自分が呼ばれていることに気づいて御台所は団子を口に放り込む手を止め、こちらの方を向く。

「おやおや、吉保と隆光じゃないか。あら、それに上さままでいらっしゃるじゃありませんか。あれ、やっぱり、噂をお聞きになって?本当に奇遇ですこと。」

能天気な御台所に、吉保は答える。

「何を仰っているのですか!奇遇の訳はないですよ!突然、城をお一人で出られてしまったから、桂昌院さまが、ご心配になって探してくるように申しつけられたのです。」

ちょっと怒っている吉保を面白がりながら、軽い感じで御台所は言葉を返す。

「あらあら、それはそれは申し訳ないことをしたわね。誠に申し訳ございませんね。」

人を小ばかにするキャラも誰かに似ている。

(はて、誰だったか?)

モモは思い出そうと目を閉じ、考え込む。吉保はそのモモの姿を見てハッとした。

(上さまは怒っていらっしゃるのか。あ~、何たることか。)

吉保は居たたまれない気持ちでいっぱいだ。そんなことは関係なく思い出そうと必死だったモモが突然、顎に当てていた左手でコブシを握って、開いた右手をポンとひとつ叩く。思い出したのだ。

(そうそう、妹だ。)

モモには二つ年の離れた妹がいる。モモの妹は、小さい頃から活発的、勉強も運動も抜群に出来る。

(頭の回転が早いから、口喧嘩になると、すぐ論破してくるのが欠点だけどね。)

そんな妹だから、思春期を迎えつつある今、感情的な母親とよく衝突する。モモは妹と違って、人生の座右の銘は、“つつがなく”である。何事もなく無難に人生を過ごしていこう、という考えだ。だから、妹の姿を半面教師にして、母親には逆らわず、ハイハイと聞き流している。どんなに強風に見舞われても、柳のように対応するのだ。そうしていれば、いずれ強風も治まり、凪のような穏やかな水面のようになる。そんな生き方をモモは目指している。

 御台所の方もまじまじとモモを見ている。なぜ見つめていたのかは定かではないが、きっと何か感じるものがあったのだろう。吉保はそんな二人を見て思う。

(やはり上さまも御台所さまも愛し合っておられるのだ。愛は素晴らしい。江戸で一番の理想のご夫婦でいらっしゃる!)

吉保は、またまた感動で涙を流しているのである。そんなことはつゆ知らず、モモは評判の串団子にくぎ付けになっている。

「上さまも、おひとつど~ぞ。」

御台所に差し出された皿の上には甘だれを身に纏った串団子が、早く食べてもらうためにワクワクと身を震わせているようにモモには見える。モモはさっと一本を手に取ると、ガブっと食いつきながら串を横に引き、最初の一つを口の中に収める。

(う、うまい。)

プルンプルン、モチモチした団子は柔らかすぎず、歯ごたえもあり、べたついていない。噛んだ瞬間はモモの歯を反発するような弾力があり、やがてそれを受け入れるようにモッチリした団子が砕かれていく。今まで味わったことのない食感だ。タレもほのかに甘さを感じさせながら、少し火の入った醤油が香ばしさを際立たせ、デンプンを加えてトロミをつけてある。これが、先程のプルンプルンの団子によく絡み、絶品なのである。だからといってタレは、“私が、私が”と主張過ぎず、あくまでも団子の脇役に徹している。その全てが口の中でシンフォニーとなって五感を満たしていく。これは、人々の心をギュッとつかんで離さないだろう。モモはすぐに次の団子を口の中にいれる。その勢いは止まらない。本能のおもむくまま、モモは串団子を食べ続ける。その姿に家臣たちは呆気に取られている。御台所だけはクスクスと笑っている。モモはようやく全ての視線が自分に集中していることに気づき、急に恥ずかしくなり、顔を赤らめて串団子を持つ手を止めた。

(いやいやしかし、この手を止めることは出来ないっしょ。)

口の中ではすでに唾液がたまって、次に入ってくる団子を今か今かと待ち構えている。

(そうだ!)

「皆のもの、疲れたろう。余は構わん。たらふく団子を食べい!無礼講じゃ。」

家臣から歓喜の声が上がる。

「店主!店の団子、余っている分をすべてくれい。綱吉がいただく!」

(そうか上さまは、自ら食べて無礼講にすることで、我々が串団子を食べられるようにしてくださったのだ。何と心優しいお方なのだ。不肖吉保、上さまに一生ついてまいります。)

吉保は心に固く誓うのであった。そんな吉保の心中はいざ知らず、モモは串団子に夢中である。家臣たちも腹いっぱいになって、くつろいだところで、吉保はモモに話かけた。

「上さま、そろそろお戻りに。桂昌院さまもご心配されていらっしゃいます。日も落ちてまいります。」

(そうだった。そもそも団子を食べに来たんじゃなかったよね。)

「そうだな、ヨシヤス。そろそろ城に戻ろうか。主人!いくらじゃ?」

「へい。五〇本で、二百五十文になりやす。」

今回はモモ、吉保、隆光と家臣二人、全部で五人のメンバーになっている。

(ということは一人当たり、十本も食べたってこと!太っちゃうじゃん!)

今さらながらに後悔するモモである。

「ちょっと、上さま。私の分もお願い。」

と、払ってもらうのが当然という感じで御台所がモモに言ってくる。

「おう、そうじゃ、そうじゃ。主人、こちらも合わせていくらじゃ。」

「へ、へい。そうしますと七十本になりますので、三百五十文になりやす。」

(ちょ、ちょっと待って。一人で二十本も食べたの?あんた、いくら何でも食べ過ぎよ!)

驚きと、その支払いを押し付けてきた厚かましさにモモは切れそうになったが、平静を装う。しかも、ふと考えた。

(文って何?円じゃないの?)

江戸時代の通貨を知らないモモである。

(でもまぁ、いいか。)

自分の懐には小判が三枚入っているのをモモはさっき気がついていたのだ。モモはそのうちの一枚を掴むと主人に見せた。

「これで足りるか?」

モモが小判を前に差し出すと、主人は目が今にも飛び出すくらいに見開き、震える両手を差し出した。モモが小判をその手に渡すと、地面に額を擦りつけるほどに土下座した。

「あっ、あっ、ありがたき、、、」

「おう、足りるか。釣りはいらんぞ。」

小判一枚の一両が4千文だから、お釣りが三千六百五十文、一〇倍以上のチップだ。それを見た吉保はまた、涙を流している。

(う、上さま、何と気っぷがいい、真の江戸っ子ですぞ。心から江戸の町人の事を思っていらっしゃる。それでこそ、天下の大将軍さま。)

「よし、それでは皆の衆、城に戻ろうか。」

モモは颯爽と白馬に跨ろうとしたが、着物に慣れず、よろめいたが、すかさず吉保が支えて上手く乗ることが出来た。

(さすがはヨシヤス、レスポンスが素晴らしいぞ。そちはきっと出世するぞ。)

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