まさか、まさか
どれだけ熟睡していただろうか。耳元で、聞いたことのない男の人の声が響いてくる。
「上さま、上さま!」
もう少しだけ寝ていたいモモは、耳元で騒がないで欲しいなと思いながら、再び夢の世界へと戻ろうとしていた。
「上さま、上さま!」
今度は、右肩をそっと揺すられる。
(ちょっと、ちょっと、誰かと間違えてないで、私を起こさないで)
モモはイラっとした。しかし、最初は遠慮がちだった優しい振動は、次第に激しくなってくる。あまりに揺すられたので、さすがにモモも夢の世界から現実に戻りつつあった。
「上さま、もう昼寝はお止めになって、そろそろ起きてください!」
(どこの誰と間違えているのか分からないけど、いい加減に揺するのは止めてくれる?)
「上さま、上さま。隆光どのが殿をお待ちしておりますぞ。」
モモにはリュウコウという名前には全く心当たりがない。心地よい眠りを妨げられたイラつきを隠すこともせず、言い返す。
「ちょっと、何!上様、上様って誰に言っているの?今、気持ちよく寝ているんだから、いい加減にして!」
そういった瞬間、モモは目をこれでもかというくらい見開いた。なぜならば、目の前に見たこともない、ちょんまげ姿の男の人が座っているからだ。透き通るようなきれいな白い肌に、整った眉、切れ長の目、まっすぐな鼻筋、小さめの口、シュンとした顎のライン、イケメンだったから、なおさらモモは驚いた。
「えっ、えっ、、、」
モモは言葉につまった。
「上さま。そろそろ、お目をお覚ましになってください。なるべく早く、広間にお願いします。隆光どのもお待ちしております。」
「なっ、なっ、なに、なに?」
「上さま。さぁ、早く。お仕度をお整えください。」
モモはまだ、まったく状況が理解できない。ふと、自分の居場所を確認してみる。布団の上だ。しかも見たこともない服を着ている。
「えっ、何。どういうこと。」
モモはパニック状況に陥った。
「どうかされましたか、上さま。」
(どうも、こうもないでしょ。一体全体、どうなってるの?)
モモの頭はカオス状態だ。深呼吸をひとつ、落ち着け、落ち着けと呪文のように心の中で唱えてみる。
(そうそう、私は確か、5時間目の社会の授業で教科書をパラパラ見ていたら、眠くなって、気がついたら、ここ。てことは、これはきっと夢?そうか、そうか、夢か。)
モモはこうして、今の状況が夢であると確信し、冷静になることができた。
(だけど、私は誰になっているの?このイケメンは私のことを「上さま」って呼ぶということは、お殿様?か弱い女子高生なのにお殿様?プリティなお姫様ではなくて?)
納得のいかないモモである。
「そ、そち、私の名前を呼んでくれるか?」
モモの祖母は時代劇好きで、小さいころから一緒に見ていたので、殿様風の言葉使いを覚えている。
「上様、何をお戯れになられているのですか!早くしたくをしてくださいませ。」
「いいから、名前を呼ばぬか。さもなければ支度はせぬぞ。」
「もうお止めくださいませ、“つなよし”さま。早くお仕度を!」
(つなよし、つなよし、つなよし?)
歴史の知識の記憶の糸を辿ってみる。
(つなよし、つなよし、つな、、、あっ、綱吉、徳川綱吉か!)
江戸幕府の第5代将軍徳川綱吉。歴史はそれほど得意ではないモモでも知っている有名な将軍だ。それにしても自分がなんと、江戸幕府の将軍さまになっているとは驚愕である。(将軍さまなら、悪い気はしないけどね。)
「そち、名を申せ。」
「な、何を。またまたお戯れるのですか。」
「いいから、いいから、名を申せ。」
「本当に何のお戯れですか!拙者は、拙者は柳沢吉保でござります。」
「そうじゃった、そうじゃった。ヨシヤス、ヨシヤス?」
とはいうものの、モモにはヤナギサワヨシヤスという名前に聞き覚えがない。将軍を起こしにくるということは、家臣の中でも、側近中の側近、お気に入りに違いない。
(何よりもイケメンだし、綱吉もお目が高いじゃないの。)
柳沢吉保は、綱吉に寵愛され、将軍と老中の取り次ぎをする側用人となって権勢をふるった家臣である。吉保の「吉」は綱吉の「吉」から与えられた一字であり、いかに吉保が綱吉から大事にされていたかが分かる。
「さてさて、待っているのは誰であったか?のう、ヨシヤス?」
「隆光どのでございます。」
「リュウコウ?」
これもまた聞いたことがない名前だ。
「で、ヨシヤス。リュウコウは何の用じゃ?余はまだ、眠いのじゃ。」
吉保の左の眉が一瞬ピクっとあがったのをモモは見逃さない。
(昼寝し過ぎを攻めている?)
しかし、吉保の方も、さすがは一流の家臣、すぐにいつもの表情に戻り、答える。
「は。それが手前にはまったく・・・。ただ、やんごとなき事だと聞いております。」
「そうか。では直接聞かないとだめだな。」
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