第11章
一九五九年。人類と異獣の戦いが始まった年だ。
当初は狩られるだけだった人間を救う存在が現れた。
人智を超える能力。《ハニワ》の速度に惑わされず反射神経、《武人ハニワ》の進撃を止める防御力、《ドグウ》の装甲を打ち抜ける攻撃力を備えた者――後に『超人』と称される者たちだ。
彼らは戦うための力を得る代わりに、体組織に変化が生じていた。身体が大きくなったり、角や牙ができたり、見ただけで『超人』と分かる姿をしていた。
獣の頭をした人の存在が確認されたのも同じ頃だ。だからトラ男を見ても混乱は少ないのは、彼を超人の一人だと思っているからだ。
超人を生み出したのも獣頭人らしいのだ。
これはまことしやかな噂ではある――
――とある研究所が人間を超人に変える血清を発明した。異獣に対抗する手段として研究していたが、まだ人としての姿が保てない欠陥品だった。ところがある日、研究所は土像兵団の攻撃で壊滅してしまう。生き残った超人――獣頭人が血清を持って脱出。それを使い、数十人の超人をこの世に生み出した。不完全ゆえに姿は異形だが、その力のおかげで人類は異獣の完全支配から免れたのだ――
真実は不明だが、それが納得できる内容ではあった。
その英雄でもあり、異形の超人の一人が今、マサムネと対峙していた。
彼の名は尾鷲丈治。側頭部から二本、肩からも一本ずつの角が天へ湾曲して伸びていた。殴ることに特化した手は大きく、速く走るために足が肉食獣のそれと同じに変化していた。戦いの際に、身体が薄い桃色となり、紅色のラインが刺青のように走るため、『赤鬼』という俗称を持っている。
「久しぶりだな。宋地くん。元気にしてたかね」
「おかげさまで」
伊達家がスポンサーだった超人だ。マサムネも何度か会っている。
低めの声には優しさが内包され、幼い時でも見た目ほどの恐ろしさは感じていなかった。細い目と顎を覆う髭は当時と全く変わっていない。
「家を出たそうだな」
「今は旧姓の橘宋地として戦士をやってます」
「ならば伊達家とは関係あるまい。そこをどいてくれ」
マサムネは伊達家の屋敷を、山手線を挟んだ向こうに背負っていた。対して尾鷲率いるチームは、荒野と化した上野公園の山側に立っている。
多対一で臨むには不利な場所ではあるが、目的のためには好立地であった。
「逆に聞くけど、家柄と家族は別のものだから」
マサムネの声が凛と響く。
が、尾鷲の周りの戦士たちが目配せをして意味を確認している。
そんな中で尾鷲だけが微笑んだ。
「相変わらずの口調だな」
出来の悪い甥を見る叔父のような語調であった。
「家族を見逃してください。屋敷は差し上げますから」
「そんなものは無価値だ。わしたちが欲しいのは財源だ」
土地や家屋で生きていける時代は終わっていた。
伊達家は生鮮品を流通させていた。これが収入となっている。当主である伊達真吾の手腕によるところが大きいのだ。
尾鷲たちが抑えたいのは真吾であり、人質となる家族だ。
「本日限りで伊達家は滅びます。融資なら別を当たってください」
「そういうわけにいくか!」
取り巻きの一人が叫んだ。同時に周囲の二十人が懐から注射器を取り出した。
力ずく――そうなることは予測できていた。
マサムネは視線を尾鷲に向けた。
優しげな目線に曲げることない主張を感じ、マサムネも意を決した。
悲劇の救世主――超人はそうも呼ばれている。人類を救いながらも、姿ゆえに怖れられ、異獣と同等の扱いを受けることもあった。研究資料も失い、数に限りがあった血清ゆえに新しい超人が増えることはなかった。
代わりに獣頭人は、新しい手段としてレジェンダリーウエポンを開発した。それを使いこなせる人間を『勇者』と呼ぶようになった。
人間は、姿が変わらない『勇者』を頼るようになった。
しかし今でも超人は活躍している。彼らを尊敬して集まった戦士たちもいる。
その力を誇示するために取った手段は、超人の血から血清を開発することだった。使用すると、一時的に超人の力を得られるのだ。注射器にはその擬似血清が入っている。
取り巻きたちが注射すると、全員が擬似超人となった。
「疑似超人とは既に戦闘経験有りだ」
それは一時間ほど前のことだ。
屋敷内に潜入したマサムネは、広間で囚われている家族の姿を見つけた。
開け放したドアから縦長の部屋を覗き込む。
使用人たちを壁際にまとめ、マサムネの家族はその手前に座らされていた。
監視するように立っているのは二人。使用人の服を着ているが、恐らく超人尾鷲の手の者だろう。こういう時のために潜入させていたに違いない。
縛られてはないが、誰もが不安を隠しきれていない。
ただ一人、紅緒だけが毅然としている。
どう斬り込もうか考えようとしたマサムネであったが、怯えた表情を見せる絹波に作戦は吹っ飛んだ。
つまり正面突破だ。
「皆を解放してもらおうか」
注目が一気に集まる。
「宋地兄さん――」
音もなく空気だけがざわめく中、小さく呟いた絹波の声だけが聞こえた。
二人の男がゆっくりと振り向いた。
「やはり来たな、伊達家長男」
「尾鷲さんは、来るならお前だろうと言っていた」
「そんなに買われてるとは思わなかった」
「派手に出迎えてやれ――とも言われたよ」
そこで取り出したのが注射器であった。
擬似超人はその血の元になったオリジナルに準じる。つまり尾鷲だ。攻撃力、防御力に優れた超人の中でも、尾鷲丈治は拳を強化した強襲型だ。彼らの顔や手に刺青のような紅いラインが走り、両の手が大きくなった。
相手の手を待つほどマサムネは素人ではない。廊下から出て、階段を降りる。玄関ホールで広間を見上げる位置に立った。
遅れて二人がドアを出てきた。左右から視線を移し、階下のマサムネに気付いた。何の警戒もなく、手すりを乗り越えてきた。
マサムネは手の鎖を回した。先端についているのはレベヤタンの尻尾だ。刃部分を回すことで電気が溜まる。それを飛んできた一人へ投げた。
動体視力も上がっているのであろう。あっけなく一人は刃を掴んでかわした。強くなったという過信からくる油断だ。
電撃を受け、宙で失神し、その擬似超人は身体から落ちた。それでも戦士として、刃を放さなかったのは立派であった。
残った一人は床へ足が着くやいなや、一歩でマサムネとの距離を詰めてきた。
素早く拳をかわしつつ、鎖の部分を相手の突き出した腕へ巻きつける。体勢低く擬似超人の下側へ入り、同時に足を蹴り上げ、鎖を引いた。
背負い投げの要領で、相手は背中から床へ叩きつけられた。その勢いや一度浮かび上がるほどだ。更に追い討ち。浮いた状態で巻いていた鎖を引き抜いたのだ。解かれた回転が身体をもんどりうたせた。二度目の床落ちだ。そのまま彼も失神していた。
身体強化をしていても、ベースは人間なのだ。衝撃に耐えられるほど強くはない。
それを確認した所で、広間から他の使用人たちが出てきて、床の二人を縛りつけた。
「宋地兄さん!」
絹波が抱きついてきた。
「無事だったか」
「来てくれるとは……思ってませんでした」
いつもの妹がそこにいた。
「来るさ。絹波は大事な家族だ」
胸元で絹波は大声で泣き始めた。泣き声の中で、謝っているようだが、言葉にはなっていない。昨日のことだとは思うが、内容が聞き取れずにいた。
「わたしが話そう」
義父が近付いてきた。
勝利の計画には裏があるというのだ。
「集めた戦士たちは露払いのための捨て駒なのだ」
「なるほど。土像兵を相手させて、その隙に美味しいところを頂く気か」
義父は首を横に振った。
「もっと酷い。全滅前提の計画だ」
随所随所で勝利が手伝うので、彼らは最後まで気付かないが、勝利の手の平で踊らされるように戦わされ、最後の一人が倒れるまで戦い続けさせられるという。
「たった一人生き残った勇者が、皆の意思を継ぎ、念願のタワー解放を成し遂げる――というのが勝利の筋書きだ」
「なんとまあ……」
稚拙な考えだ――という言葉を、マサムネは飲み込んだ。
それにロキシーが巻き込まれていると思うと、気持ちが急いてくる。
「宋地兄さんが巻き込まれるのがイヤで、あんな態度を取ってしまいました」
泣き止んだ絹波が顔を上げた。レジェンダリーウエポンを盗み、勝利へ渡せば、マサムネが参加しないことを許すと言われていたらしい。
その代わり、計画はばらしてはいけないという約束だったという。
また謝りながら泣き出しそうな妹の頭をマサムネは撫でた。
「大丈夫。それほど傷ついちゃいないさ」
「私は本気でしたけどね」
いつもの毅然とした態度で母親が言い放った。
「今メチャクチャ傷ついた。謝ってください」
二人のやり取りは周囲の人たちの顔を綻ばせた。
絹波もやっと口元を緩ませた。
「勝利を止める力がわたしにはなかった」
義父の告解は続いた。
少なからずマサムネが勝利の抑止力であったらしい。マサムネが家を出ると、独裁は目に見えて強まり、誰にも止められなくなった。
父親に対しても発言力が増し、トラ男の出現により『勇者』の肩書きを得て、もはや世界を手に入れたようになっていた。
「他人の命まで道具に使ってはいけない。……そう思ってもわたしは口を挟めなかった」
「大丈夫」
今にも崩れてしまいそうな義父に、マサムネが支えるように言った。
「私が勝利を助けるよ」
いつもの飄々とした口調だが、皆は安心感に包まれたような表情を浮かべた。
まず尾鷲を制し、そして東京タワーへ向かわなければならない。作戦遂行中にどこまで介入可能かも分からない。ハードルはかなり高いというのに、家族や使用人たちの空気は諦めムードを払拭していた。
「すまない。義弟を頼む」
「ただ伊達家は潰れることになると思う」
戦士たちも助けるし、作戦も失敗はさせない。
勝利へ手は貸すが、結果的に真実は露見する。勇者ムサシは失脚し、同時に伊達家にも波及する。それは没落を意味した。
「勝利が勇者としてこの計画を挙げた時から覚悟はしていた」
言うと、真吾は笑みを浮かべた。
初めて見る義父の微笑であった。
「お前に抱いていた畏怖は、このことを予見していたからかもしれんな」
「畏怖……なのですか」
母親が首を傾げた。
真吾のマサムネへの視線や態度に、紅緒は負の要素を感じ取っていたようだ。それが今の表情で分かる。
マサムネは成長するに従い、父親に似てきていた。
「負の要素は、妻の元夫でもある親友に対しての、罪悪感と忘れていた嫉妬に違いないと思ってました」
紅緒は告白した。
マサムネ本人もそう思っていた。
「お前を妻にすると決めたのだから、前の夫も受け入れる決意をしておったぞ」
「まあ」
「頼むから余所でやってくれ」
絹波が横で笑った。
初めて家族になったような感覚をマサムネは抱いた。
しかし、不完全な家族の一時的な交流は五分ほどで終了した。
マサムネは迫っている尾鷲を牽制しなければならないのだ。
家族だけが知っている地下通路へと皆を逃がすと、一人外へと出た。
そして、屋敷を背に一人で超人チームを迎えたのだ。
屋敷で既に擬似超人との戦闘は済ませ、おおよその能力と性能は理解した。
治久丸が届けてくれた《レベヤタンの尻尾》が有効な武器となることが分かった。
二十人の擬似超人たちが走り出した。抉れるように湾曲した地形を駆け下りてくる。さすがに筋力が上がっているので速い。
マサムネも坂へ躍り出た。
数人がその行動に表情を動かした。
戦いにおいて、下から攻めるのと上で迎え撃つのでは、高い位置にいるほうが有利だ。それを捨てたことに疑念を抱いた者が少なからずいたということだ。
マサムネはその人たちを先に叩くことにした。
《レベヤタンの尻尾》を取り出すと、先端をくるくると回しながら、左側へ逸れていく。
治久丸が名付けた《インドラの剣》は、アツヒメのホームを出る直前に届けられた。彼女が直接訪ねてきたのだ。
会いたくなかったので、アツヒメに預けておこうと思っていた――と真正直に言われた。
簡単なレクチャーのみを済ませると、治久丸は他の団員の所へ弾むように飛んで行ってしまった。
鎖部分は金属ではない。土像兵の装甲を再利用し、焼きこみを繰り返すことで金属以上の硬度を持たせていた。しかも電導性も高く、先端の刃部分を回すことで鎖部分にも電気を溜められるのだ。
武器を使っているマサムネも通電しないために、手の甲だけを覆う小手を装着している。同じ素材で電気を逃がしているのだ。
もっとも治久丸は最初これを渡さなかった。マサムネが気付いたからこそ受け取れたが、舌打ちを隠しもしなかったところを見ると、危ないところであった。
治久丸は性格に問題はあるが、腕は確かだと納得する出来栄えであった。
元々電撃力の高い刃だったものに、電気を更に溜めることで放電性も高められるのだ。つまり、振り回しただけで攻撃できるようになっていた。
疑念に思っていた擬似超人たちも、マサムネの特攻に戦闘態勢を取った。
視界の端で、広がって侵攻していた他の者たちも方向を転換し、マサムネをとり囲む動きを見せていた。
マサムネは鎖の先端を握り、大きく刃を振り回した。
まだ距離がある――そう判断したのだろう。彼らは足を緩めもしなかった。
刃だけを避ければ良い――大振りの軌跡だけを気にして、回り込んできた。
マサムネへ向かって擬似超人が突っ込んできた。
そこに放電の網が張られていることも知らずに。
電撃を浴び、数人が卒倒した。
マサムネは韋駄天で既に移動していた。
同時に鎖を振り回す。多対一。しかも肉体強化により警戒心の薄い彼らは、相手の攻撃を理解することを後回しにしていた。
そのせいでマサムネの攻撃が電撃だと気付く間もなく、どんどんと撃沈していった。
感電に耐えた者や、放電の外側にいた者には直接攻撃を当てて倒した。
擬似超人が地面へ倒れ落ちるまでに五分とかかっていない。
「まずいな。時間稼ぎにもなってない……」
言いながら、マサムネは屋敷へ視線を向けた。
今頃は家財を持てるだけ持ち、使用人たちと地下通路へ進んでいるはずだ。
別れ際、マサムネは義父の真吾に、伊達の名前を捨てるよう助言した。
「私もこれからは橘宋地を名乗ります」
マサムネがそう宣言すると、絹波だけではなく、義父も少し寂しそうな表情を浮かべた。
落ち着いたら連絡を――そんな手段があるわけもないのに言ってしまう。
分かっていながら、向こうも頷いた。
見送ってからまだ二十分も経っていない。通路はまだ十分以上は歩くはず。
その後で地下鉄跡の線路に出て、そこから先は彼ら次第だ。
「少なくともあと二十分は稼がないと。もしくは――」
土煙がマサムネの横で大きく立ち昇った。
巻き上げられた砂塵の中に赤い鬼がいた。
尾鷲だ。大きな腕を振り下ろしてきた。
マサムネは速度を上げて、初撃を避ける。打ち付けられた地面が大きく爆発するように弾けた。
吹き上げられた土が、雨のように降り注ぐ。
三十メートルの距離を取って、マサムネは尾鷲と対峙した。
「尾鷲さんを倒す――かだ」
小さく呟いた。
尾鷲の別名は『赤鬼』。赤い身体に二本の角を有している姿がその名の由来だ。刺青のように走るラインは更に赤黒く、これは擬似超人たちの特徴として現れている。
空けた距離を尾鷲は一瞬で詰めた。目の前で振り上げた拳は、岩のようにごつごつしていて、大人の顔くらいの大きさがあった。
それを連続で打ってくるのだ。重さを感じさせない速度である。
しかし、マサムネはそれらを全てかわした。レジェンダリーウエポンは持っていない。だが速い。もっと速くなる。体感で伝わっている。これは自分に備わった力。
「本当に神能力だった――」
テッシューのメンバーと戦った時も、アツヒメのチームをストーカーしてた時も、レベヤタンと戦った時も、それからずっとロキシーとミッションをこなしていた時も、全てが自分の力だったのだ。
レジェンダリーウエポンの恩恵は全く受けていなかった。にも関わらず、レベヤタンに対してはリミッターだけが働いていた。道具が持ち主の意に反する不可思議さ。
マサムネはその出処に不安要素を見出していた。それを使う危険さも――
「戦いながら考えごととは」
尾鷲が筋力によるバネで追ってきた。瞬間速度がぐんと上がった。
速く動くことは、動体視力も備わってこその能力だ。自分より遅い相手の動きが見えないはずがない。
マサムネは地を一蹴りし、詰められた距離の三倍遠くへ移動した。
尾鷲は拳は唸りを上げて空振りした。
表情は堅い尾鷲だが、珍しくどこか嬉しそうに口角が上がっている。
「すばしっこいな」
「それが取り柄なんで」
そう。アウラが伝えたことは真実だった。
最後にマサムネは母親と話した。
家族と使用人たちは屋敷を脱出するため、地下道へ向かった。奥の暖炉の横壁に、地下への階段が隠されているのだ。
皆は既に降りて、残るは義父、妹、母親だけになった。
離れがたい佇まいに戸惑っているマサムネたちを尻目に、母親が階段へ向かった。
マサムネが呼び止めると、眉間に皺を寄せ、唇を歪ませた顔で、紅緒は振り向いた。
「露骨に厭そうな顔しないでください」
「何ですか」
表情を崩さず、母親は話題を急がせた。
「私がお腹にいる時に、何かを願いませんでしたか」
「願い……? ろくでもない子になったら、ただじゃおかないぞ――とか」
「それは脅しですね」
マサムネはツッコミつつ、真剣な面持ちで紅緒を見返した。
母親はやっといつもの美人顔に戻して、小さくため息をついた。
「ちょうど前の夫……つまりお前の父親が死んだのです。バカな男で、私が止めるのも聞かず――」クールな外面とは裏腹に、声色がヒートアップしてきた。「雨の日に食料の配送に出かけて――。本当にそんなバカな所がお前にそっくりで――」
鼻息まで荒くなってきたのを、横から義父と絹波が「まあまあ」と抑えた。
深呼吸と咳払いをしてから、母親は続けた。
「荷物なんか放って逃げれば良かったのに……と思ってね。お腹の子には、逃げ足が速くなるようにと祈った――……そんな記憶が微かにあります」
マサムネは確信した。
本当に『神能力』だったのだ。胎教のように、母親の願いを受け、身に付けた力。マサムネの素早さは、母の紅緒が授けてくれたものだったのだ。
「母さん、ありが――」
「本当に逃げる算段だけは早くて、こんな弱虫な子に育つとは思わなかったわ」
「悪かったな」
「でも――」
紅緒は振り切るように、身を翻すと、階段へ足を踏み入れた。
「生きているのが一番だと私は思うわ」
小さくそう言い残し、光のない地下へ、背中が陰に紛れていく。
「母さんもお元気で」
「これでお前の顔を見ずに済むなんて、私はすごい幸せだよ」
涙声だけがマサムネの所へ上ってきた。
絹波と義父も、名残惜しそうに別れを告げて、母親の後へ続いた。
マサムネは深く頭を下げた。しばらくしてから、壁を元に戻し、スイッチを《レベヤタンの尻尾》の電撃で壊した。
「もしもの時でも、これで時間が稼げる」
ふとマサムネの脳裏にロキシーの姿が浮かんだ。全く見た目は違うのだが、何となく、ロキシーは母の紅緒に似ている気がした。
「ロキシーに会いたい」
マサムネはそう思った。
尾鷲と戦っている今も、真摯に願っていた。
倒れた擬似超人たちを巻き込まない位置で、マサムネと尾鷲は戦った。
巨大な溝が作る内円の弧が二人の戦場だ。平らではない足場で鬼ごっこは続く。大きな拳で空気を裂くように打ってくる。
本気はさすがに出してこない。手加減はされているのだが、受けることはもちろん、掠っただけでダメージを負ってしまうレベルだ。
「ロキシーがいれば――」
一人ではこんなに弱いと思い知らされていた。
「でも勝たなければ前に進めない」
「勝つつもりか、わしに」
「倒します」
「やってみろ!」
その一瞬間に尾鷲が筋力を上げ、速度を上げた。
マサムネの進行方向を塞ぐように回り込んだ――が、韋駄天はそれを超える。
尾鷲の一撃は空振り、勢い余って地面を抉った。土が吹き上げた。
マサムネはそれを五十メートル離れた所で見ていた。土の噴水が及ばない位置だ。
雨のように振ってくる土の中で、尾鷲がマサムネの姿を探している。
降り止んだ土が今度は足元でもくもくと土煙に姿を変えた頃、細く鋭い目がマサムネを見つけた。
その刹那にマサムネは地面を蹴った。韋駄天による加速で、マサムネは真正面からぶつかった。膝蹴りを分厚い尾鷲の胸へ打ち込んだのだ。
呼気を打ち洩らしながら、尾鷲が数歩後ずさる。
「ぐ……まだまだ――」
耐え忍んだ時、マサムネは尾鷲から八十メートル横へ距離を取っていた。
「韋駄天!」
顔を上げて無防備になった顎へ、マサムネの膝が吸い込まれるようにヒットした。
尾鷲は倒れない。
肩辺りで浮いていたマサムネを巨大な手で掴んだ――が、そこまでであった。ゆっくりと背中から倒れていった。
超人チームの面々が、尾鷲の名を呼んでいる。
マサムネは手を外して、彼から離れた。
赤鬼は大の字になった。
「尾鷲さん……」
母親が再婚して、名家の暮らしに慣れずにいた頃、よく尾鷲は外へ連れ出してくれた。一緒に地面を転がり、空を見上げたのは良い思い出だ。
叔父と甥のような関係なのだ。
本気で戦えるはずがない。
決着はついたが、勝った気はまるでしなかった。
超人チームの面々が復活し、再戦かとも思えたが、現れた戦士の集団がそれを抑えた。
レイローズが編成したチームであった。アウラもいる。
「伊達家の屋敷はわたくしたちが頂戴します」
超人たちを抑えつつ、数人が屋敷へ走っていく。
レイローズとアウラが歩み寄ってくる。
「全て計算づくか」
「チームのホームが必要なんだ」
「任せるよ」
あっさり言うと、マサムネは勾配を上り始めた。
「バイクがある。それに乗っていけ」
振り向くと、レイローズが申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「タワーまでは距離がある。疲れてたら戦えないだろ」
マサムネが真意を測りかねていると、「せめもの罪滅ぼしだ。受けろ」と、ぶっきらぼうに言われた。
アウラが小さな四角い機器を持ってきた。
「通信機です。ぼくがこれで誘導します」
「そうか。頼む」
マサムネはアウラとレイローズに頭を下げた。
「助力ありがたく頂戴するよ」
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