第10章
「ああああああ――」
マサムネの口から何度目かのため息が洩れた。一緒に声も溢れていてかなり煩い。
「頼むから余所でやってくれないか」
これも何度目のセリフか。
アツヒメはデスクワークから顔を上げると、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
ここはアツヒメのチームがホームとしているビルだ。
屋敷とは別に用意した、チームが集まれる場所であり、事務所もここに入っていた。
窓を背にした席で書類を書いているアツヒメを目の前にして、マサムネはため息をついているのだから、そう言われてもしかたがない。
「だって、私はロキシーの手を払ってしまったんだぞ。これを悔やまずにいられるか」
「じゃあロクサリーヌとはもう縁が切れたってことで、このままこのチームに入ればいい」
と言ったのはガエルだ。
レベヤタンの件はガエルの独断であったため、謹慎を申し渡されているのだが、それはケガの療養の名目もあった。
つい先日退院したばっかりで、まだ実務には戻れず燻っていた所に、マサムネの来訪を聞いて駆けつけたのだ。ソファーに腰をかけて楽しげにマサムネを見ている。
「縁は切れてないって」
「言い切るんだな」
アツヒメが苦笑した。
「ああああああ――どう謝ればいいんだ?」
「謝るのは決定なんだ」
今度はガエルが苦笑を浮かべた。
「ロクサリーヌ殿は伊達の屋敷にいるのか?」
「え――恐らく……」
「置いてきちゃったんだからいるでしょ」
「そうなんだああああああ――」
ガエルがマサムネの傷口に塩を塗り込むように何度も開いて楽しんでいる。
アツヒメは大きくため息をついた。
「うちが現状を調べといてやるよ」
「出来るのか?」
「これでも顔は広いほうだからね」
マサムネは感激にアツヒメの手を握りそうなほどデスクに身を乗り出していた。
「それに状況が分かれば、すぐ出て行ってくれるだろうしね」
「アツヒメさん、ポロリと本音が」
ガエルがやはり楽しげに笑った。
レベヤタンの町では張り詰めた顔しかしていなかったが、これが本来の彼女なのだろう。
「それくらい有名なら、今回だって勝利から依頼が来たんじゃないか?」
「来てたよ」
「どうして断ったんだ?」
アツヒメが神妙な顔を上げた。
「レジェンダリーウエポン持ちの勇者は、異獣相手では役に立たない」
「限定なのか」
「作戦は成功しない」
揺るぎない死刑宣告のような口調で言い放った。
「言い切るんだな」
半信半疑のマサムネの物言いに、アツヒメは少し考え込むと、ガエルへ視線を向けた。
「ガエル。今日は確かレイローズさんとアウラくんが来てるね」
「先日の依頼に対しての結果報告と報酬の受け取りで、業務部にいるはずです」
ガエルは答えた。さすがにリーダーに対してはしっかりした口調で話すらしい。
「マサムネ、アウラくんと話してごらん」
「なんでアウラなんだ」
「君とロクサリーヌがコンビである必要性を、一番理解している子だからさ」
マサムネはアツヒメの勧めを受け、応接間を借りてアウラと会うことにした。
応接間といっても、幾つかある部屋の中で最低ランクに当たる。荷物が置かれた中に無理やり空けたスペースに、接客テープルとソファーが押し込まれていた。
元々男子禁制の本部だ。アツヒメの許可が無ければ、とっくに放り出されている。
他のメンバーが安心できるようにと外れの部屋が解放されたに過ぎない。ドアも無いから、内緒の話はできない。
アウラと向かい合って座ると、開口一番に言った。
「ぼくはマサムネはロクサリーヌと一緒にいるべきだと思います」
「何故だ?」
「二人が揃っていれば、ぼくの友達の悲願が成就するからです」
雲のない青空のように晴れ晴れと言い切った。
「自信あるの?」
「あります」
「友達ってレイローズさんだろ」
アウラが頷いた。
「悲願って――」
「名家を全て潰すことだ」
レイローズが部屋へ入ってきた。
「アツヒメさんも?」
「例外はない」
レイローズは頑なに言い放つと、アウラの横へ姿勢良く座った。
よほどマサムネが苦汁をなめた顔付きをしていたのか、アウラがフォローを入れてきた。
「このことはアツヒメ殿も知ってますよ」
「そう……なのか?」
「ああ。知ってる」
いつの間にかアツヒメがマサムネの横にいた。ソファーの後ろから、背もたれに腕を重ねて置き、その上に顎を乗せていた。小さな顔が同じ目線にあった。
びっくりしつつも、マサムネはアツヒメにその真意を問うた。
「それで良いのか」
「伊野瀬家がそれで潰れるならその程度だってことさ」
実にあっけらかんとしている。
敵といっても過言ではない相手も、仲間と称すことができる懐の広さは、アツヒメの魅力である。
「それにしても何でそんなことを?」
「要するに、喜歌ちゃんは実家を潰された腹いせに、他の勇者を有する金持ちは許せねえ――と八つ当たりも兼ね、名家全てを同じ地面へ引き摺り下ろしてやろうとしているのさ」
本当は怒っているのではないかと思っているほど言い方がえげつなかった。
「まあ合ってる」
「合ってるんだ――。……ん?」
「どうしました?」
「喜歌ちゃんって誰?」
「わたくしだ」
レイローズが少しだけ赤面して手を挙げた。
「昔は鴻上喜歌またの名をトモエ――」
「今は安丘久未またの名をレイローズ」
アツヒメとアウラが説明した。
「めんどくさい女だな」
「そんなこと言うなよ」
いつになくレイローズが弱々しい。
「つまり喜歌ちゃんは勇者なんだな」
「元……な」
伊野瀬家と鴻上家は仲が良かったらしい。
「アツヒメさんと喜歌ちゃんは顔見知りだったんだ」
「すまん、マサムネ。レイローズで……お願いする」
息も絶え絶えだ。
「……で、私とロキシーが一緒ならば、全ての名家が滅ぶのか?」
「はい」
やはりアウラは明朗に返事をした。そこへの飛躍が唐突過ぎるのに、一番真実を語っているように思えた。
「マサムネ、その中でも伊達家は、先んじて今日滅ぶ」
レイローズは冷ややかに宣言した。
「何か仕掛けたのか」
「元々伊達家は超人のスポンサーだよな」
「尾鷲さんだ」
とマサムネは肯定した。
「伊達勝利が勇者となった今、超人を有する必要は無くなった。だから送金をストップすることにしたらしい」
「父上じゃないな。決めたのは恐らく勝利だろうな」
「その情報を尾鷲に流した」
「現在ミッション中だから勇者がいない。攻められたら一溜まりもないぞ」
人類を救ってきた超人が人間を傷つけはしない。ただ財源の確保のために伊達家を幽閉し、管理するだけだ。それはつまり滅ぶことと同等だ。
レイローズは無言の肯定で応えてくれた。
しかし、それゆえに分からないこともあった。
「なんで私に教えてくれるのだ? 潰すなら放っておけばいいだろうに」
「あなたはガエルを救ってくれた。それには感謝してるからだ」
「ガエルはレイローズの妹分みたいなものなんです」
アウラが補足してくれた。更にアツヒメが付け足した。
「それにも増して、素直に礼を言うのが恥ずかしいだけなのさ」
「アツヒメ――」
納得できる話であった。潰したいが、礼はしたい。レイローズらしいといえば彼女らしい。
そこは素直に、マサムネは感謝した。
超人尾鷲の伊達家襲撃――この情報を聞かなかったことにできない。
でも動くのを躊躇してしまう。これが本音だ。
「ぼくはマサムネに、自分のお母さんを助け、ロクサリーヌと合流し、そして世界を救ってほしいと願っています」
「その中で一番簡単なのが、世界を救うことなんだが?」
マサムネは本気でそう言った。
アツヒメが声を出して笑った。
「困りましたね」
「どうしてアウラが困るのだ」
「じゃあ、とっておきの秘密を話します」
「おっぱいの下にほくろがあることなら知ってるぞ」
全員があんぐりと口を開けた。
アウラの目の温度が氷点下まで下がった。
「どうして知ってるのか、詳しく聞き出したいところですが――」咳払いを一つして続けた。「ぼくの能力についてです」
アウラには未来を見る力があるという。
完全なる予知ではなく、断片的な絵が浮かび、強い勘として認識されるくらいだという。しかも行動の選択によっては簡単に変わってしまうほど、脆い未来だ。
「ぼくたちの間では『千里眼』と呼んでいます」
知っているのはごく一部――アツヒメとレイローズだけだ。
遠くの場所を見たり、相手の深層心理に入り込んで真実を見出すことも出来る。
簡単に出来るわけではなく、視力を代償として払っている。二日ほど目が見えなくなったこともあったため、乱用はしていない。
知られると人付き合いに支障が出る能力であるため、秘密にしてきた能力だ。
「君だって何度か見ているだろ」
アツヒメの言葉で思い出す光景はいくつかあった。ドリルの形になった《ハニワ》の弱点を見出したのはアウラだ。他にもアウラのおかげで危機を脱したことがあったが、それだけに疑問がマサムネの頭に浮かんだ。
「だったら、上空から《ハニワ》が指令を出してた時や、棺桶の罠に嵌った時は、前もって避けられたんじゃないのか?」
「助けられることが分かっていたので」
「予知したの?」
アウラは首を横に振った。
「レイローズの目的を果たすために、マサムネとロキシーを一緒にすることで、ぼくにも騎士ができる未来があったのです」
「へえ」
場が微妙な空気になった。
「君のことだぞ」
アツヒメが小さな声で言った。皆に聞こえているので、意味はないのだが。
「そうか」
確かに危機を脱する手伝いはマサムネがしていた。
目を逸らしつつ、アウラが頬を赤らめている。自分で言ってて恥ずかしかったらしい。
「そんな夢みたいな力があるとは驚きだな」
「良い未来をちょっとした言葉一つで失ったり、悪い未来もどんなに足掻いても変えられなかったり――と、持て余すことが多いんですけどね」
力なく笑うアウラに、マサムネは過去に何かあったことだけは感じ取った。
「これから良いことはあるさ」
「ええ」
潤いかけた瞳を伏せ、感情を飲み込むように一呼吸置くと、アウラは続きを話し始めた。
「この能力を、お二方も持っています」
「ロキシーと……私がか?」
「ロクサリーヌの高い防御力。そして馬鹿力。これが同じ類の能力だと思っています。便宜上『金剛力』と呼びましょう」
「ふむ。ああ、そういえばロクサリーヌさん――ロキシーの母親ね。前に言ってたな。『あたしより頑丈に生まれておいで』と、お腹に話しかけてたって」
アウラは頷いた。
「そうです。母親が胎内の子供へ向かってかけた願いが能力となって発動しているんです」
夢見心地のような表情を浮かべ、アウラが語った。彼女にとって母親は愛すべき存在なのだと分かる。
「ぼくのお母さんは、たとえ今日が暗くても明日を見通せるような子になってね――そう願ったそうです」
「うちはそれを神が与えてくれた能力――《神能力》と名付けた」
皆の顔が「え――」と固まった。
「本当だよ。今思いついたわけじゃない」
アツヒメの狼狽に全員が苦笑を浮かべた。
アウラが気を取り直して、マサムネへ顔を向けた。
「マサムネ――君もその《神能力》を持っています」
「そう言われても、身に覚えはないぞ」
「君の俊足は《神能力》です」
「あれはレジェンダリーウエポンによるものだろ」
「レジェンダリーウエポンは異獣の前で特殊能力を発動しない」
レイローズが苦々しく搾り出すように言った。
「わたくしはそれを過信して異獣に挑んで負けたのだ」
鴻上家の若き勇者として、破竹の勢いでミッションをこなしていたレイローズ――トモエは、誰も成し遂げなかった異獣退治に乗り出した。
アツヒメは止めたが、助言を弱腰と嘲笑し、十五人パーティーで勝負に挑んだ。
「結果は、惨敗だった」
まずトモエのレジェンダリーウエポンが役に立たなかった。『アマテラス・銀峰』は氷結の能力どころか、急に重みを増し、鉄の棒よりも使えなくなった。
レイローズは『銀峰』を放り出し、身を挺して部隊を救った。左目の傷はその時のものだ。生き残った半数の戦士と共に戦場を離脱した。
「しかし逃げ切れなかった。わたくしを残し、異獣にみんな捕まってしまったのだ」
戻ったレイローズは、救助隊を編成すべく、近隣の勇者を有する名家にも声を掛けた。しかし手を貸してくれる者は一人もいなかった。
マサムネはアツヒメを見た。
「うちには声を掛けてくれなかったのだ」
「出来るわけないだろ。助言を無視したのだから……」
そこでレイローズは実家の財源を上げて、部隊を再編した。
しかし、倍以上の四十人の大部隊で救助に向かったのに、異獣も二人増えていたため、為すすべなく奔走することとなる。
「ところが、全員が捕まった。わたくしも一人の異獣に捕まり、あるゲームを仕掛けられた」
「『椅子取りゲーム』だろ」
「……やはり気付いていたか」
「あなただけ棺が閉まっていなかった」
橋上で罠にかかったアツヒメチームを、マサムネは棺を開けることで助けた。その時に、レイローズだけは棺の扉に剣を挟み、閉まったフリをしていたのだ。罠の存在を知っていたからこそ、一人だけ攻撃をせず数に入らなかった。マサムネが吹っ飛ばされたので、結果的に棺に入ったが、主旨が分かっていたので剣を挟み、逃げられるようにしていたのだ。
過去に経験し、生き残ったからこその対応だ。
その時は十人が棺に入れられ、レイローズが外で《シャドウ》を相手にした。
「わたくしは――全員を殺した」
抑揚のない声であった。
異獣はレイローズを放免した。
二回の討伐戦を、どちらもたった一人で生き残ったが、救助作戦も失敗し、財力と信用を失った鴻上家は没落した。
家族は名前を変え、離散することとなった――
「アツヒメはああ言ってくれたが、実家は潰されたんじゃなく、わたくしが潰したんだ」
家族も失った彼女は、名家を滅ぼすことを目的に生きる選択をする。
当時の勇者たちが手を貸したところで結果は同じだった。筋違いの逆恨みだが、立ち上がるための糧として絶望の時を生きてきたのだ。
「レジェンダリーウエポンなんて、ないほうが世のためなんだ。勇者なんて存在も……」
沈む声でレイローズとなった勇者トモエの話は終わった。
「その事実を知っているからこそ、うちも異獣相手の作戦には参加できないのだ」
アツヒメが今回の作戦を断った理由を述べた。
ならば『俊足』も異獣相手には効かない。それのにトラ男はタワーへ挑む提案をしている。自殺行為である。それを超人であるトラ男が知らなかったというのであろうか。
考え込んでいると、アウラが元の話へ軌道を戻した。
「だけど君は異獣と戦って、これを打ち倒しました」
《俊足》がレベヤタンの前で全く機能しなかったことを思い出した。
足から外して腕輪にしたことでやっと発動した――と思っていた。
「初めから機能してなかったということか」
勇者にのみ使えるレジェンダリーウエポン――羽飾りは伊達家の血脈が発動できる能力だ。
この話が本当なら、マサムネは初めから使えていなかったことになる。レベヤタンと対峙して動けなくなったところを見ると、リミッターだけは効いていたようだ。
「不都合な道具だ」
「全くだな」
レイローズが泣きそうな笑顔を見せた。レジェンダリーウエポンを過信し、チームで異獣に挑み、負けた過去を持つ女性。左目と心に、今だ癒えぬ傷を負っている。
そんな表情であった。
「金剛力に乗じて名付けるなら、マサムネの能力は『韋駄天』でしょうかね」
レイローズが自らの汚点を晒してまで証明してくれた能力を認めないわけにはいかなかった。
「さてマサムネ。この能力はどうやって君のものとなったか――です」
アウラの理論から言えば、母親がマサムネを宿していた時に願掛けをしたことになる。
「まさかぁ。あの人がそんなことを――」
「確かめに行っては?」
マサムネは返事を飲み込んだ。
言葉は軽めだが、アウラの大きな目は揺るがない。彼女にとって母親の存在は大きいのだ。絶対なのだ。
家族の仕打ちに打ちのめされ、母親を信じられなくなったマサムネを救いたい――という真摯な姿勢が強い視線に出ていた。
「そういうことか」
「そういうことです」
場の空気は決着を見て落ち着いたように緩やかになった。
「行くなら早いほうがいい」
「そりゃあ、超人が迫ってるんだからな」
レイローズは自分のことを棚上げし、他人事のように言った。
「いや。東京タワー攻略作戦に間に合わなくなる」
「行く――とはまだ一言も言ってませんよね」
確かに今の話の流れは、伊達家を助けに行くまでで、その後までは決まっていない。
「今回の作戦に参加するメンバーが発表されて回ってきたんだが――」
アツヒメが皆に見えるように紙を見せ、指を差した。
「君の名前がちゃんとある」
本当にマサムネとロキシーが並んで書かれてある。
「ロクサリーヌが登録したんですね」
「そういうことか」
「何が?」
納得したレイローズに、今度はマサムネが訊いた。
答えたのはアツヒメだ。
「要するに、登録してないのに参加するのは全く問題ない。初めて会った時の君みたいにな。だけど、登録しているのに参加しないのは大問題なんだ。厳罰が下される。本人だけじゃなく、チーム全体の責任としてだ」
「ロキシーはそれを知ってるのか」
「当たり前だろ。あなたより戦士歴は長いんだ」
「君をパートナーと認めているんだ。これは誇って良い」
アツヒメの優しい口調に、マサムネは頷いた。
不器用だから誤解を受けやすい。言葉も少なく、真意を簡単に明かさない。それでもそこには他者への慈愛が強く含まれている。
思ったら一途。だからこそ信用したら貫き通す。
マサムネが見初めたロキシーとは、そういう人間なのだ。
「ロクサリーヌは、マサムネ以上にマサムネを信じてるみたいですよ」
アウラの言葉は、心を奮い起こすのに充分な力があった。
マサムネは立ち上がった。
「行くのか」
「謝る言葉が決まったからな」
凛とした声色だが中身は微妙で、アツヒメたちから強いため息が洩れたのは言うまでもない。
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