第9章

「やはりここか……」

 道路からは石柱とそれに挟まれた鉄の格子門がマサムネを出迎えた。

 台東区に入った時点で悪い予感はしていた。

 ロキシーの歩みに無言でついていく。仕事を受け、住所を知ってるのは彼女だからだ。

 一九五九年の異獣との戦いで荒野と化した上野公園を左に北上し、山手線を眼下に陸橋を渡った。

 行き先は東日暮里。

 もう覚悟は決めていた――はずだった。

 黒鉄の格子からは石段と脇を埋める木々の青しか見えない。

 しかしマサムネにはその先にある白い洋風の屋敷が目に浮かんでいた。

 足が止まってしまう。

 呼び鈴へ伸びた手を止め、ロキシーが振り向いた。

「何?」

「依頼主は……」

「伊達家の勇者ムサシ」

 マサムネは眉をしかめた。

「おやおや」

 冷ややかな響きが鉄門の向こうから放たれた。

 聞き覚えのある声に、マサムネは更に眉間の皺を深くした。

 上品な仕草で二人の視界に現れた貴婦人は、マサムネの母親――伊達紅緒であった。

 紅緒は切れ長の目で睨みながら吐き捨てるように言った。

「『負け犬』宋地殿ではないですか。よく戻ってこられましたね」

 ロキシーが驚きの表情でこちらへ向いたのを横目で感じつつ、マサムネは鉄格子のように視界を遮る門向こうへ応えた。

「どなたか存じませんが、私はマサムネ。戦士としてこちらの勇者の依頼に応えるために参上しました」

「まあ。それは失礼いたしました。あまりに貧相な姿が、私の愚息にそっくりだったもので」

「それは残念なことで」

 しかし母親は上品な立ち姿で動こうとしない。門を開けるつもりはないようだ。

「マサムネくん、帰る?」

「そうしなさいな。伊達家の澄んだ空気を乱して欲しくありませんから」

 さすがにマサムネはむっとした。

「戦士として、依頼を聞かずに断るわけにはいかないもので――」

「お母様、また戦士様ですか?」

 鈴を転がすような優しい声は聞き慣れた妹――絹波のものだ。

 静々と紅緒の隣まで歩み寄って並んだ。

 季節の花が咲き誇る庭に、もう一つ大輪が加わったようだ。

 性格は冷淡だが美人の母親と、華族の上品さを兼ね備えた義父との血を、上手く受け継いだ顔立ちの整った娘であった。少しやつれたようだが、それを差し引いても、将来母親を超える美人になるという確信が、マサムネにはあった。

 家族としての繋がりが薄い伊達家において、マサムネの唯一のオアシスであった。

 そのはずだった――

「そうですの。この方なのですが、逃げた兄君にそっくりなのです」

「まあ。これは本当に瓜二つですわ」

「マヌケ顔が同じですからね」

 二人がコロコロと嘲るように笑った。

 実の母親からの蔑みよりも、仲の良かった妹からの揶揄のほうが、マサムネには痛かった。まだ続く嘲笑に耐えようと、拳を強く握った。

「仕事は他にもある」

 ロキシーが察したように言ってくれたが、マサムネは首を横に振った。戦士として、依頼を聞かずして断るわけにはいかない――そんな建前の根底に、意地もあった。

「門を開けてもらえませんか」

「入る気ですか?」

 紅緒は本気で嫌そうに顔を歪めた。美人だからこそ、そんな表情には冷たさが増す。

「お母様。かわいそうではないですか。わたしの股の下を潜るなら入ってもよろしくてよ」

 と、絹波が楽しげに笑った。

「そこまでして門を潜りたいですか」

 母親の声には、拒否の姿勢が強く盛り込まれていた。絹波も笑みを収め、じっとマサムネを凝視している。

 二人の共通の意思は、門を開ける気はないということだ。

「そんなに私が来るのがイヤなのか」

 自分の呟きが自分の強がる心を刺してくる。

 逃げそうに片足が一歩退がった。

「兄上。来てくれたんですね」

 屋敷から少年が歩いてきた。マサムネの義弟である勝利だ。

 依頼をしたのが伊達家の勇者だというのなら、彼がムサシである。名家の血を深く受け継ぎ、上品な顔付きをしている。

 勝利が近付くにつれ、絹波は母親の背中へと隠れるように移動した。ちらと見えた表情に、悔しさが織り込まれているのがマサムネには分かった。

 母と絹波に声を掛けもせず、勝利はあっさりと門を開けた。

「来たんだ。来てくれたんだ」

「私が戦士をやってると?」

「噂で聞いたんだ。だから是非参加して欲しくて」

 マサムネとロキシーが中へ入ると、紅緒と絹波は無言で母屋のほうへ歩み去った。

「説明会は明日なんだ。控え室へ案内するからゆっくりして」

 去っていく母と妹を横目で見送りつつ、勝利の案内で正面玄関へ向かう。

 二人は振り返りもしなかった。

 伊達家の屋敷は、社交場など客を招き入れる主館と、家族が暮らす母屋、そして生活施設が別棟の三つの建物で構成されている。主館と母屋は直接繋がっておらず、間に生活施設が渡り廊下で間に挟まっている。

「他の招待戦士たちは大部屋なんだけど、兄上だからね。特別だ。特別なんだよ」

 勝利の言葉通り、他の戦士たちは主館の一部屋で雑魚寝らしい。

 ホストである勇者ムサシこと勝利の計らいで、マサムネが使っていた部屋を開放してくれると言う。

「案内は不要だろうけど、一応ね。僕がホストなんだし」

 勝利は笑顔を浮かべたが、それが外付き合い用の接客スマイルだと知っている。

 マサムネがいた頃はほとんど使われることがなかった主館が、活気に満ちて見えた。

 逆に生活施設と母屋は沈んでいるようにマサムネには感じられた。

 生活施設に入り、赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。母屋への渡り廊下へは進まず、奥側へ。

 ロキシーがちらと視線を寄越してきた。疑問を抱いたのだろう。しかも答えが導き出されたから何も言わないのだ。

 マサムネの部屋が母屋にないという疑問――

 前から髭の男性が歩いてきた。

 館の主人である伊達真吾だ。マサムネの義父である。

 三人は横へ避けて、義父を先に通した。

「父上、兄上ですよ」

 勝利の言葉に、義父が足を止めた。

 マサムネをほぼ通り過ぎていた。

 紳士という言葉が義父を表すのに一番しっくりくる。カイゼル髭が特徴的で、上品な顔付きは勝利とそっくりだが、厳格さが年齢相応に加わっていた。

「お久しぶりです」

「ん」

 義父はしきりにカイゼル髭の先を気にするように撫でている。

 目を合わせることなく、一言だけを残し、義父は歩み去った。

「無口だ。いつになく無口だよ」

 勝利は小声で楽しそうに言いながら、また歩き出した。

「兄上は昔から遠慮がちだった。それは本当の家族に思えなかったからだろ」

「そんなことはない」

「絹波は異父兄妹になるけど、僕とは全く血がつながらない他人だ」

 明るい口調で勝利は続ける。

「だから家を出たんだろ」

「母さんに追い出されたんだよ」

「本当の親なのに? 嫌われてる。嫌われてるんだね」

「ほっとけ」

 勝利の表情は笑みのままだ。嘘の笑顔は本当の気持ちをひた隠す。義弟が何を考えているか、マサムネには全く分からなかった。

「僕が物心ついた時には既に兄上はいた。だから兄弟に思えてるけど、兄上には突然一緒に暮らすことになった年下の子を弟と思うことはできなかった」

「それは誤解だ」

「パーティとか良くあったじゃないか。そんな時、僕は兄上を紹介するけど、兄上が僕を弟と紹介したことはないよね」

「知り合いがいなかっただけだ」

 本音だが、勝利が欲しかった言葉ではなかったようで、興味はロキシーへ向いていた。

 後ろを歩くロキシーに並ぶと、声を掛けた。

「あなたは兄上の恋人?」

「パートナー」

「それって……夫婦?」

「パートナー」

 帰って来た言葉は同じだが、言い方にはイラつきが混じっていた。

 勝利は気圧されない姿勢を保とうと会話を続けた。

「何にせよ、兄上の相手は疲れるだろ。面倒な人だから。面倒な人だし」

 相手のない会話は身勝手に進んだ。

「そうだ。この戦いが終わったら、僕のチームに――」

「うるさい」

 静かだが憎々しさを隠しもしない口調に、勝利が怯んだ。

「マサムネくん、こいつ殴って良い?」

 本気だ。ここへ来てからのやるせない想いが積もりに積もって、フラストレーションが限界に達したようだ。

「よせ、よせ。ロキシーに殴られたら、大抵の人は潰れるぞ」

 冗談ではない。マサムネも本気で止めた。

 舌打ちが返ってきた。狸顔は不機嫌そうに顔を歪めても、そう見られないことが多い。しかし戦士として修羅場を乗り越えてきて身についた気概に、感情が込められたまま洩れることがあり、それは時として殺気に似た波動を相手に伝える。

 勝利が無口になったのもそのせいだろう。

 生活施設の外れに辿りついた。

 普通のドアの前で勝利が振り向く。

「元の兄上の部屋だ」

「そうだな」

「今は物置になっているけど、平気だろ。普段は野宿だろうし平気でしょ」

「ああ。大丈夫だ」

 ドアを開けると、押し込められた荷物しか見えなかった。人が歩ける隙間はあるが、逆に言うとそれしかスペースが空いていない。

「うわあ。思った以上に狭い。狭いね」

 マサムネは何も応えず、隙間を縫うように奥へ入っていった。ロキシーも続く。前を通った時、勝利が少しびくついていた。さっきのロキシーが相当怖かったらしい。

「食堂と風呂は勝手にどうぞ」

「そうさせてもらう」

 マサムネは荷物を動かしながら言った。

「ごゆっくり」

 勝利は逃げるようにドアを閉めた。

 さすがに狭い部屋は閉ざされると、息苦しさを覚える。積み重なる荷物の隙間にベッドが見えた。シーツだけではなく、掛け布団もきちんと準備されている。わざわざその上に荷物を置いて使えなくしているのだ。

 マサムネはベッドを諦め、床の荷物を寄せてスペースを空けた。

 ベッドに背中を預けるように座ると、隣にロキシーも腰を下ろした。

「マサムネくん、ゴメン」

「私の家だと知らなかったんだから、しょうがないさ」

「うん」

 いつになくロキシーの返事が弱々しい。

 本当に申し訳なく感じているようだ。

 マサムネは説明する必要性を感じ、嘆息で気持ちを整えてから話し始めた。

「私は元々橘宋地という名前だった。生まれてすぐに父さんが亡くなり、四歳の時に母さんは伊達家の当主と再婚をし、伊達宋地となった」

「勇者ムサシは?」

「その時二歳だった。再婚してすぐに妹が生まれた。こうして不完全な家族が出来た」

 他人とは必要以上に一線を超えないロキシーが珍しく興味を示している。

「私は名家の暮らしに慣れることがなかった。成長するにつれ、皆とのズレを感じ始めた。母さんさえ味方にはなり得なかったんだ」

「どうして……」

「父さんと父上は親友だったらしいんだけど、母さんは父さんを選んだ。しかし父さんを失った心の隙間を、今度は父上に求めた」

 悪いことではない。マサムネはそう思っている。

 だが、当人たちは違った。

「私は父さんに似ているらしい。父上と母さん、二人の罪悪感を引き出すほどに」

 一枚だけ隠し持っていた本当の父親の写真。マサムネには分からなかったが、周りには絶対に親子だという確信を与えるほどらしい。

「父上は僕に怯えの目を向けるようになり、母さんはそんな父上を守るように私を遠ざけるようになった」

 マサムネの部屋が母屋にない理由だ。生活を一緒にすることがなくなっていった。

「結局、私は家を出ることにした。一人で生きていくためには戦士になるしかなかった」

「名前だけの名家――」

「そう……。私は橘で登録したのだが、伊達家と知っていた人が登録所にいて、気を利かせてしまったのだ」

 そんな身の上話も済ませると、夜も更けたので、ロキシーが風呂へ入るだろうと、マサムネは浴場へと案内した。

 出てからまだ二年も経っていないのに、家の雰囲気は変わってしまっていた。

 良いとか悪いとかでは考えられない。どちらも拒絶された空間でしかないのだから。

「マサムネくんも入る?」

 浴場を前にロキシーが振り返りながら訊いた。

「逆に聞くけど、今日は風呂は止めておくよ」

 マサムネの答えはいつものキレがなかった。家族と会って、戦士としての自由も削がれた感じがしていた。

 せっかくのチャンスを棒に振ったことさえ気付かない。

「そう」

 ロキシーもそれ以上誘うわけにもいかなかったようで、一人で浴場へ入った。

 ゲスト用の棟だ。この階は女性用の施設が多い。それなりに戦士たちが来ているらしいが、女性は少ないのか、廊下にはマサムネ一人だ。

 浴場の前でボーっとしていては、不審者と扱われてもしょうがない。

 移動しようとした時、「宋地兄さん――」と絹波が近付いてきた。

 手を伸ばせば触れられる距離で向かい合う。

 まだまだ幼いが、母親に似て整った顔立ちは美人になる要素が強い。大きな目がマサムネを見上げている。

 いつもなら軽口の一つで対応するのだが、声が出なかった。

「失礼する」

 やっと言うと、マサムネは踵を返した。

「その髪飾り、今でも付けてくれてたんですね」

 マサムネは記憶にある妹の声に驚き、足を止めて振り返った。

 絹波がもじもじと恥ずかしそうにしている。久しぶりの兄妹の会話に照れているようだ。

「これは大事な妹からの贈り物だから」

 マサムネが髪からぶら下がる飾りをいじりながら正直に答えた。

 すると絹波は明るい表情を浮かべて、開いた距離を詰めるように歩み寄ってきた。

「嬉しいですわ」

「今も飾り細工が趣味なのかい」

「――いえ」

「止めちゃったの?」

 絹波は躊躇いながら、小さい声で答えた。

「宋地兄さんにプレゼントしたくてやってた趣味なので……」

「そう――なのか」

 他の階の喧騒が、この廊下では他人事のように静寂が二人を包む。

 装飾職人を訪ねたり、材料を自分で仕入れたりと、一所懸命に趣味に没頭する妹が、マサムネの記憶に強く残っている。

 それが自分のためだったと聞くと、嬉しくて言葉に詰まってしまう。

 絹波も、胸に秘めていた真実を告白したはにかみで俯いてしまっていた。

 そんな間であった。

 家を飛び出す前の二人に戻れたような空気感を受け、絹波が顔を上げた。

 意を決したような強い瞳がマサムネを見上げる。

「宋地兄さん、実は――」

「絹波殿」

 鋭利で冷たい声は母親の紅緒だ。

 絹波はその呼び声に肩を窄めた。開けた口が強く結ばれてしまった。

 上品な足運びで二人の横にやってくると、

「粗野な戦士たちが屋敷内にいるから歩き回るなと言っておいたでしょ」

 優しい口調で絹波に言った。その裏にある棘がマサムネを突いている。

 紅緒はマサムネに目もくれず、絹波を連れて廊下を歩み去っていった。

 絹波も振り返ることはなかった。

「何かあるのか……?」

 ふと視線を感じ、頭を巡らせると、反対側の廊下の端に勝利がいた。表情もなく見返したまま、姿を消した。

 そこで、やっと気が付いた。

「私はもしかして最大なミスを犯したような気がする……」

 ロキシーとお風呂に入るチャンスを棒に振ったのだが、今更であった。

 ミッションの説明会は次の日の夕刻だ。晩餐を兼ねて行われた。

 会場は主館二階にある応接間だ。昔は舞踏会が行われたとされる広さは、五十人の戦士が介しても狭さを感じさせなかった。

 六十センチほどの高さで壇が設置され、中心に演台、奥側に椅子が三つ置かれていた。

 食事会でもあるので、戦士たちは剣や鎧の類は置いてくるよう言われている。素直に従っている者もいれば、暗剣などを隠し持っている者もいるであろう。どちらにしても落ち着きがないように思えた。

 そんな中で、どっしりと構えているロキシーはさすがである。

 今は普通のワンピースを着ているので、知らなければ町の女子にしか見えないが、立食形式の食べ放題に乗じて、皿に肉をてんこ盛りに積んでくる姿は、他の女性では味わえない頼もしさだ。

「太ったら困るという会話を前にした気がするが……」

「食える時に食う」

「稼ぎが悪いと言われているようだ」

 と、言いつつマサムネも遠慮なく食べた。

 時間は夜へと移行してきた頃、壇上に伊達家の者が姿を見せた。義父と母が奥の椅子へ座った。一つ椅子が空いていた。絹波は来ていないようであった。

 厳格さを兼ね備えた義父と、冷淡なほどの落ち着きを持つ母は、名家を守るにふさわしい夫婦に見えた。

 演台の前に勝利が立った。

「食べながらでいいから聞いて。聞いてくれ」

 革製のジャケットの下に金属製の胸当てを仕込んでいる。スーツしか見たことのないマサムネにとって、初めて見る義弟の戦士姿だ。

 勇者ムサシ――コードネームを手に入れているということは登録は済んでいるのだ。しかも、勇者と呼ばれるからには勝利もレジェンダリーウエポンを所持していることになる。

「複雑な気分だ」

「本気?」

 食べてていいと言われて、本当に食べているのはマサムネとロキシーだけであった。

「義弟が勇者としてやっていけるように見守る義務がある」

「チームに入れと言われたら?」

「断るに決まってる」

「見守らないんだ」

「手は出さない主義だからな」

 なんて会話を、食べ物を頬張りながら続けているのだ。

「今回のミッション。名の知れた戦士に声を掛けている。これだけの人数だ。目的の大きさを察してくれたのではなかろうか」

 勝利が説明を始めた。線の細い上品な顔付きには一片の迷いもなく、五十人近い戦士を前に臆することもなかった。

「そう。このミッションが成功すれば、異獣に一矢を報いるどころか、敵戦力を分断し、人類が逆転できる可能性が出るんだ」

 会場がざわめいた。

 勇者が集うミッションは大掛かりなものが多いが、ほとんどは土像兵相手だ。異獣の名が出ることは珍しい。だからどよめきはするが、それだけで逃げ出す者はいない。

 ここにいるのはそれなりのレベルの戦士たちだからだ。実力と判断力、そして情報力に長けている。

 情報の中には『異獣を倒すことが可能だ』というものも含まれる。

 戦士が異獣を倒した噂は、事実であることが解放された町の人たちにより伝わっている。

 事実であるなら、自分たちでも戦える――そう考えているからだ。

 この一報が戦士たちの心根を変えたのだ。

 勝利はその変化を見抜いていたからこそ、作戦決行を思いついたのだろう。

「その作戦名は――」

 勝利はざわめきの中を貫くように言葉を続けた。

「東京タワー奪還作戦」

 場がしんと静まり返った。

 まさかの本拠地だ。

 反対意見やブーイングが出る前に、勝利は矢継ぎ早に説明を始めた。

 異獣が出現して以来、まず占拠されたのが東京タワーだ。

 何度となく奪還しようという試みはあった。その度に多大な犠牲が積み重なった。そのおかげで分かったことがある。

 まず、警備をしている土像兵の数が半端なく多いこと。外だけではなく、中までも隙間なく配置されているのだ。最高四階までが限界だというのが通説だ。

 異獣がいるであろう展望台までは遥か遠く感じられている。

「敵は上にはいない。実は地下にいるのだ。地下だ」

 勝利は言った。

 タワー自体は電波塔として、各地の異獣を繋ぐ転送装置の役目があった。操作しているのは地下の施設だが、ここにはタワーからでは行けないという。

「そこで――」

 勝利がズボンのポケットから出したのは、透明なプラスチックの四角柱が十字架のようにクロスしたものだ。

 マサムネには見覚えがあった。

 アツヒメが制圧した学校地下の土像兵工場。そこに潜入したトラ男が逃げていく時に手にしていた物だ。

「タワー近くの公園に入口がある。これはそのカギだ」

 勝利の作戦は単純だ。その入口から潜入し、施設を制圧するだけだ。

「土像兵はいるだろうが、タワー内部ほどではない。施設を管理している異獣も戦闘型ではなく、研究員型だから充分太刀打ちできる」

 周りの戦士たちの顔に希望が生まれていた。良い事ずくめなのだから。

「どこからそんな情報を?」

「トラ男だろうな」

 ロキシーはまだ食べているが、マサムネは皿を置いた。

「まだ声を掛けているチームがある。最終的には百人以上の大部隊で攻めることになる」

 歓声が沸きあがった。

 しばらくホールを揺るがせておいて、勝利が頃合で手を広げてそれを止めた。

「もう一つ。僕が勇者である所以――レジェンダリーウエポンが手に入る。これで作戦の成功は約束されたも同然だ」

 素早い動きでトラ男が入ってくる。マサムネには捉えられていたが、他の人には風が巻き上がって、勝利の足下に跪く異形の戦士が現れたように見えたろう。

「異獣?」とか、「いや……獣頭人だ」や「じゃあ超人?」という疑問が口々に洩れる。

「そもそも何でここに――」と、ざわめくだけで、取り乱さないのはさすがに歴々の戦士だ。

 マサムネが少し前へ出た。

「やはりお前か。トラ男――」

 騒々しさがピタッと止んだ。同時に皆の頭に大きな「?」が浮かんで見える。

 言葉も溢れ、「虎ではないよな……」と、「ライオン――も違うよな」という考察に、「豹だっけ」と「パンサー?」が重なり、「一緒だろ、それ」というツッコミまで入った。

 閉口したのはトラ男だけであった。

「彼はシュミエルさん。超人の生き残りだ。超人。今回のすべての情報を提供してくれた。協力者でもある」

 トラ男が立ち上がった。

「発言をお許し願おう。伊達家の正統な血を受け継いだムサシ殿に、レジェンダリーウエポン『スサノオ・俊足』を渡す」

 その言葉を待っていたかのように、絹波がレジェンダリーウエポンを持って現れた。

「絹波――?」

 あれはマサムネが部屋に置いてきた《羽飾り》であった。

 絹波から母親へ。そして母親が中央の勝利へと渡した。

「兄上。返してもらいましたよ」

 ニヤリと勝利が笑った。

「レジェンダリーウエポンはムサシ殿のものだ」

 トラ男の声に会場が湧き上がった。

 マサムネは抗議の声を上げることも出来なかった。

 ただ妹の不義に心を震わされていた。

「どうして……」

 絹波は彩光を失った目を逸らしもしない。

 不完全な家族の中、マサムネにとって絹波は唯一の拠り所であった。

 勝利がマサムネの荷物から取ったのであれば、いつものように軽口の一つでも叩くこともできた。

 他の誰でもなく、気心の知れた妹が、マサムネを陥れたことに心が震えていた。平然としていられることが信じられず、悔しくてしょうがなかった。

 直接問い質したくて一歩踏み出したが、横の母親が冷たく首を横に振って止めた。

 義父も目を逸らし、カイゼル髭をいじっているだけだ。

 壇上の華族とフロアーの一戦士――これが伊達家とマサムネとの距離なのだ。

「マサムネくん」

 すぐ後ろからロキシーが、気遣った優しい声音で名を呼んだ。おかげで唇を噛み締めつつも堪えることができていた。

 しかし、それが限界であった。

 勝利が『俊足』を靴に装着し、段上で跳ねていた。瞳がオレンジに染まる。隣のトラ男と同じ色だ。

「兄上、どうです。もし僕がこれを使いこなすまでに捕まえられたら返しますよ」

 マサムネは返事も反応もしなかった。

「いきますよ」

 壇上から一瞬で姿が消えた。同時にマサムネが横へ吹っ飛んだ。倒れこんでテーブルがひっくり返った。しかしすぐに立ち上がったのは戦士として身についた性だ。

 今度は正面だ。飛んできた膝を両腕でガードした――が、そのまま後ろへ転がった。

 床で寝転ぶマサムネの横に勝利が立った。手がすぐ届くところで挑発してくる。

「どうした、兄上。どうした? どうしたんです?」

 ちょんちょんと跳び跳ねている。

 マサムネはゆっくりと立ち上がった――その後ろに勝利が現れ、転ぶ程度に背中を蹴られた。

 デモンストレーションくらいにしか他の戦士たちは見ていない。

 マサムネの無様さより、レジェンダリーウエポンの凄さを目の当たりにして興奮しているようだ。

 四つん這いのマサムネへ勝利が迫った。

 ロキシーがその間に入ってきた。素手でその蹴りを受け止める。

「な――」

 すぐに姿を消した勝利は、次にマサムネの真横へ現れた。やはりそこにロキシーが駆けつけ、突いた拳を掴んで止めた。

「お前、どうして――」

「マサムネくんの方が速い」

 感情を抑えた言葉には真実が込められている。

 勝利は悔しさも忘れて息を呑んでいた。

 その間に、ロキシーは振り向いてマサムネへ手を差し出した。

「母と子の絆は思う以上に強い――だよね」

 マサムネはその手を払いのけた。

 弾いた手の音が会場に響く。

 静けさの中、マサムネは一人立ち上がった。

「私と母さんに限っては……例外だ」

 そう言い残し、会場を飛び出した。そのまま屋敷を出て、陸橋で振り向いたが、ロキシーが追ってくる気配は全くなかった。

 マサムネは諦め、再び走り出した。

 嘲笑するように滲む月が、いつまでもマサムネの背中へ付きまとっていた。

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