第8章
ノックが二回。建て付けの悪いドアが余分な音を立ててノックを強調した。
特に許しを待たずにドアを開けて入ってきたのは、レイローズとアウラであった。
「調子はどうだい」
「忙しいよ」
レイローズに答えたマサムネは椅子に座ったままだ。
しかし言うほど忙しくは見えない。
「それは良かった」
八潮五丁目の外れにある、今にも崩れそうなビルの三階――そこが事務所兼寝床となっていた。
もちろんロキシーも一緒だ。むしろ事務所を切り盛りしているのは彼女である。
ドアを開けてすぐ飾り気の無い部屋がある。そこが事務所で、奥にあるドアがロキシーの部屋への入口だ。ちなみにマサムネは事務所で寝ている。
「仕事ある」
「暇だから受けますよ」
拾ってきた机がロキシーの居場所だ。
事務処理もこなし、書類は綺麗に整理されている。
彼女の仕事場である机の横に置いた背もたれの無い丸椅子が、マサムネの定位置だ。手伝いにはならないので邪魔なのだが、手を出さなければ居て良いことになっている。
レベヤタンから町を解放したマサムネとロキシーは晴れてパートナー契約をした。
アツヒメの推薦によるマサムネのリーダー登録によるロキシー雇用という道もあったのだが、本人が先頭に立つタイプではないと辞退している。
重傷を負ったガエルもチームに戻り、ほんのちょっと入院して戻ってきたソルベッドことロクサリーヌも町へ復帰した。彼女は町専属の戦士として復興のために働くという。
ロキシーを娘とも認めたので、時々ロキシーはあの町へ会いに行っている。マサムネもついていくのだが、復興のための力作業を手伝わされたりした。
概ね順調に進んでいるのだが、マサムネには納得いかないことが一つだけあった。
「レベヤタンを倒したのは私だって――」
「あたしたち」
「私たちだっていうのに、手柄はアツヒメのものだからな」
そう。異獣を倒して町を解放したのは、アツヒメチームということになっているのだ。
「この場合、采配の腕を買われた――ってことでしょうね」
アウラがフォローしたが、結果としてアツヒメのチームは磐石となった。
以前に制圧した土像兵の工場。この功績も大きい。
敵の出現率や行方不明となる人の数も激減し、アツヒメのエリアの安全性が高まったことで、住民も増えたのだ。
トップが優秀なら人が集まる。人が集まれば、中には腕自慢も少なからず含まれている。戦士層が厚くなれば、どんな仕事にも対応できる。ミッションクリア率や生存率が高まれば、また人が集まる――この好循環により、チームはかなりの大所帯になったという。
「おかげでわたくしたちも円満退社だ」
「今でも二子玉川園には行ってますし、仕事も回ってきます」
レイローズとアウラはのれん分けという立場だ。これが順調で、第二のアツヒメとも呼ばれている。独立しているが、案件によってチームに復帰することもあるという。
「なんだ。自慢話か」
マサムネは不服そうな顔で丸椅子を回転させながらも、レイローズたちの報告を嫌味と捉えてないことは、皆が知っている。
二人とも無事に生きていた――それだけでマサムネは嬉しいのだ。戦士として、死と隣り合わせの毎日を乗り越えた『今』を、誰だって大事に思っているのだ。
「あなたたちだって凄い快進撃だと噂になってますよ」
「そうなのか」
「悪評?」
ロキシーのストレートな受けに、マサムネは言葉を失くした。
「弾除けレベルの仕事で逆に《ドグウ》を倒した件とかな」
「ああ……あれね――」
レイローズの挙げた一例がすぐに思い至る。
土像兵は元々人間狩りをしている《ドキ》の護衛であった。
《ドキ》とは縄文土器に模した形をしている。全長十メートルの巨大さで、浮遊して移動し、付属している触手で人間を捕まえ、器の中に投げ入れるのだ。
異獣降臨時はよく見かけたタイプであるが、超人たちがまず倒すことに奔走したおかげで、数は激減していた。
消滅したわけではないので、現在でも浮遊し、遭遇した不幸な人間を捕獲している。殲滅対象としては上位にいるので、情報が入ると区域の垣根を越え、大部隊で事に当たるのだ。
レイローズが言っているのは、この討伐に参加した時のことだ。
依頼主は大田区の貨物管理業者組合だ。区内に現れた《ドキ》の被害を未然に防ぐため、かなり優秀な戦士チームに討伐を頼んだ。彼らは数合わせのために更に戦士を募集した。
マサムネとロキシーはそれに応募して仕事を受けたのだ。
本来は『弾除け』として前衛にだされるはずが、中心となった戦士たちが強くて出番がなかった。
しかも、大きいだけで攻撃力を持たない《ドキ》の討伐に損害が出るはずがなく、付属の《ハニワ》も二十体ほどだ。こちらはその倍以上もいるのだから、益々やることはない。孫受けで報酬もかなり低いとくれば、やる気が削がれてもしょうがない。
「適当に済ますことにしたのだ」
「マサムネくん、戦うフリしてた」
部隊の後ろで、ただ剣を振り回していただけだ。
「何をしてるんですか」
アウラが呆れた。
「いやあ。あれが悪かった」
全く反省の色もなく、マサムネは言った。
「《ドグウ》が現れたのか」
「真後ろから」
「本来なら全滅してもおかしくないですよね」
《ドグウ》は土像兵の中で一番大きい。しかも腕の先が発射口となっていて、そこから光線を放ってくるのだ。近接攻撃中心の戦士には天敵と言える。
その初撃の光線を、ロキシーが防いだ。二撃目が来る前に、俊足でマサムネが攻撃。揺らいだ《ドグウ》にロキシーの重い打撃がヒットする。
さすがに図体が大きい《ドグウ》はそれだけでは沈黙しなかった。
ここでやっと二発目の光線が放たれた――が、ロキシーの盾がそれを受け止めた。あまりに造作ないので軽い攻撃に見えるのだが、その足下は地面にめり込みつつ、後ろへと押されるほどの勢いだ。弾かれ枝分かれした光線は周囲の草木を焼き、建物を溶かした。
《ドキ》と戦っていた戦士たちが援護に入ってくるのを躊躇うほどだった。
たった一人。マサムネだけがロキシーと共に戦った。ロキシーが防いでマサムネが削る――これを繰り返すことで《ドグウ》はボロボロになっていった。
「聞いた話では、誰もが《ドグウ》に同情したらしい」
「いや。それはおかしいだろ」
結局、たった二人で《ドグウ》を倒した。
二十人近い戦士が目撃していなかったら、流言飛語で終わっていた所だ。
「ロクサリーヌはきちんと弾除けとして務めたんですね」
「私が役立たずだったみたいな言い方だな」
楽しそうにアウラが笑った。
「その後、似たような仕事がいっぱい」
「内容はどうでもいいんだが、孫受けがほとんどで儲けが少なくてさ」
「気にすることない」
「でも、せっかくだからロキシーには楽させたいじゃないか」
「はいはい」
ロキシーは書類をまとめながら軽く受け流した。いつものことなのだ。
マサムネもその対応を気にすることなく、話を続けた。
「そんな時、直に仕事が来たのだ」
「すぐ飛びついた」
すぐにアウラがその事案を思い至った。
「ああ。それが冒険者救出の仕事を受けたのに、逆に依頼人を倒した件ですね」
「その言い方には悪意があるだろ」
マサムネは憤慨したが、概ねアウラが言った通りの顛末なのだ。
田園調布を中心に活動している商人からの依頼であった。
地元の亀甲山古墳が異獣の拠点だった可能性があると、冒険者チームを派遣した。お宝を手にしたのだが、トラップに引っ掛かり、後見人だけを逃がして古墳内に閉じ込められてしまったという。
マサムネとロキシーへの依頼は、彼らの救出であった。
「怪しい臭いしかしないじゃないか」
レイローズは呆れた。
「真っ当な商人ならテリトリー内のアツヒメさんに頼みますよね」
「腕前を買われたものだと……」
「一緒に口封じできると思われてた」
散々であったが、マサムネはぐうの音も出なかった。
その通りだからだ。
冒険者チームは確かにお宝を発見した。それは異獣の物だと分かった。
アツヒメに渡すべきだという彼らの意見を、同行していた後見人が認めなかったのだ。商人の意思を受けたその後見人は冒険者チームを抹殺しようとし、逃げられたのだ。
マサムネとロキシー、そしてその後見人に、更に戦士が一人加わった四人で遺跡の最深部を目指した。この戦士は暗殺者だったため、冒険者たちに合流した時に、後見人と戦士は戦闘を始めてしまった。
「それで君たちはどうしたんだ?」
「両方ぶっ飛ばした」
ロキシーは言った。
「え――」
「そういう事態じゃなかったからな」
「異獣がいた」
狐面を被ったような異獣であった。白い巫女のような着物を羽織っていた。
「獣頭人じゃないんですか?」
「自分で異獣だと言ってた」
冒険者チームの手に入れた宝を奪いに来たのだ。
「大丈夫だったのか……っていうか、生きてるんだから大丈夫だったんだろうけど」
「全然。負けた」
ロキシーの狸顔が珍しく憮然としている。
アウラが説明をマサムネに求めたのも珍しいケースだ。
「『キツネ』には逃げられたし、宝はほとんど持っていかれた」
「ああ、そう……」
「生きてただけ良いと思うけどね」
マサムネとロキシーが異獣を追い返した――その場にいた者たちはそう思ったようだ。
そうなると敵対するのは得策ではないと、冒険者チームはもちろん、後見人と戦士も大人しくなったのだ。
「一緒に遺跡を出ることにしたら、待っていたのは商人と私設軍だったのだ」
宝を失ったことを知った商人は口封じも兼ね、皆殺しすることに決めたようだった。
そこでマサムネは冒険者チームに雇われ直した。商人の依頼は彼らの救出。これはクリアしたのだから、次に誰に雇われようと問題はない。
「それで商人たちは完膚なきまでに叩きのめされ、アツヒメに捕まったのか」
「受け取った金額は、冒険者チームからのみ」
「孫受けより少なかった」
マサムネは肩を落とした。
「異獣の宝って何だったんですか?」
「このくらいのビー玉だった」
マサムネが人差し指と親指で丸を作った。
「ビー玉?」
「みたいなもの」
ロキシーが補足した。
「三個残ったけど、全部壊した」
「どうして?」
「手元にあると知ったら、また『キツネ』が来るぞ」
マサムネは確信を込めて言った。理論ではなく八割以上が勘であるが、不思議とロキシーたちは納得していた。
その狐面の異獣は飄々として本気で戦うことをしなかった。にもかかわらず、あれほど頑丈だったロキシーの盾が壊れたのだ。
「それでロキシーの盾を新調することになったんだ」
「アツヒメから職人を紹介してもらったんだっけ」
訊いたレイローズに、ロキシーは「良い腕前」と、マサムネは「最悪の女だった」と、真逆の意味を重ねて応えた。
新調とは言ったが、ロキシーの達ての願いにより、母親から譲り受けた盾を改修したいということになった。
補強しつつ大きく――という希望を叶えるには、かなり重くなるのが分かった。
馬鹿力のロキシーなら扱えるが、どうせなら取り回しが効くくらい軽くなればとマサムネは提案した。
知り合いの伝で武器職人に数人会ったが、金属を使用していては限界があると皆に言われた。
そうしていると、チームで贔屓にしている職人が腕が良いと、アツヒメに紹介してもらったのだ。
それが治久丸紋であった。
「治久丸さんかぁ……」
「土像兵の残骸を利用して武器を造れる唯一の職人――だっけ」
アウラとレイローズは顔を見合わせて、微妙な表情を浮かべた。
土像兵の残骸は、そのままで建物の補修に使えたり、燃料に再利用できたりするが、素材に戻して、別のものに作り変えることは不可能であった。
ところが治久丸はそれが出来るのだ。
ソバージュをかけた長い髪、筋肉質な体格と浅黒い肌が特徴だ。フェミニンではあるが、『男前』という表現が一番しっくりくる。
「ロキシーには優しいんだが、私には妙に冷たかった」
「気のせい」
「倉庫に材料はいっぱいあったのを私は見てるんだ。なのに、私に取りに行かせたんぞ」
「それだけじゃ心許なかったんだろ?」
レイローズのフォローも少し片言だ。
「あいつ『新鮮な土像兵が必要だ』って。有り得るか? 無機物のあいつらのどこに新鮮さが?」
マサムネは思い出したようにイラつきが再燃し始めた。
「しかも『なるべく長く二人きりになりたいから東砂辺りの土像兵を頼む』だぞ。おかしいだろ」
「ああ――」
レイローズはさすがに治久丸の援護を止めたようだ。
治久丸の本拠地は、アツヒメのエリアから川を挟んだ向かい側――川崎市の下野毛だ。
工場と倉も備えた大きな家であった。そこから東砂までは25キロメートルほど。
激戦区でないとはいえ、川崎市でも充分土像兵の残骸なら手に入るのに、往復十時間の距離へマサムネを行かせたのは、人払いに過ぎない。
「待ってる間、治久丸さん優しかった」
「そうでしょうね……」
アウラが実感の込められた同意をした。少し怯えが見えるのは気のせいか。
「私も危険を覚えて大急ぎで戻ったさ」
「治久丸さんは女性」
「そ――そうだね……」
ロキシーには『百合』という単語はないらしい。
「マサムネもわざわざ東砂へ行ったんですか」
「別に近くでも分かりゃしないだろうに」
アウラとレイローズの指摘に、マサムネは顔を引き攣らせ、二人を苦笑させた。
「結局、三度往復。最後には《ハニワ》を一体生け捕りしてた」
「生け捕りですか――?」
「それはまた……」
ロキシーの結果報告に、今度絶句したのはアウラとレイローズのほうであった。
「レベヤタンの尻尾を使っただけだ」
マサムネは切り取った尻尾を回収し、武器としてその後も使っていた。先端の刃部分のみを鎖に結びつけ、鎖分銅のようにしたのだ。電撃効果も残っているが、放電により味方も痺れたり、鎖を伝わって自分に電気が走ったりと使いどころが難しい。それを打ち消すほど、土像兵にも有効だというのが一番の特長であろう。
「良質な材料が結構集まったので、マサムネくんの武器も無料で造ってくれると言ってた」
「『無料』をかなり強調されたけどな」
「でもかなり高額らしいですよね、治久丸の武器って」
「元は異獣の尻尾だ。手抜きもいいところだ」
「まあ、君は男だからな」
レイローズの返しに、ロキシーだけが笑いのツボに気付かなかった。
「武器らしくしてくれると言ってたが、どうなることやら」
言うと、マサムネは丸椅子を回した。
「順調そうで何よりだ。今じゃ直接仕事の依頼が来るんだろ」
「まあな。だが私が選ぶと碌なことがないから、ロキシーに任せてるんだ」
「尻に敷かれてるのかと思ってました」
「頭が上がらないだけだ」
回りながらマサムネが答えた。
「同じ意味だな」
レイローズとアウラが笑っていると、ロキシーが書類を二人に差し出した。
「今、三件依頼があって、一つがどうしてもムリ」
「激戦地でないことを祈るよ」
「あたしたちもそれほど攻撃力は高くない。そんな大きな案件はない」
レイローズは受け取った書類に目を通し、頷いた。問題ないようだ。
「力不足って言われてるみたいですよ、マサムネ」
「大丈夫だ。私はロキシーがいれば良いんだから」
マサムネは何気なく言ったが、ロキシーが息を呑んで、釣られてアウラも絶句して、一瞬空気が止まった。
「毎度毎度、君には度肝を抜かれるよ」
「そうか?」
レイローズとマサムネのやりとりのおかげで、ロキシーとアウラは嘆息を洩らすことで元に戻ったが、頬が赤く染まっていた。
「これだけ恋愛脳がない人も珍しいですね」
やっとアウラがそれだけを言った。
マサムネが丸椅子から立ち上がった。ロキシーも準備している。
盾と金棒を手にする。治久丸が手掛けたものだ。ロキシーの母親の盾を補強しつつ、それを中心に拡張してある。普通に構えると、ロキシーの膝から上が隠れるほど大きい。
合わせて新調された武器は、金砕棒とも呼ばれるもので、八角棒に鋲が打たれている。鬼が持っている金棒と言えば想像しやすい代物だ。
ロキシーは軽々とそれらを持ち上げるとマサムネに言った。
「まず田町。それから上野へ」
「上野――」
呟きよりも小さい言葉は誰の耳にも届かなかった。
あまり良い記憶の無い場所ゆえに多少落ちた影も、かしましく会話する女子三人に気付かれることはなかった。
普段着のままで剣を腰に差し、二の腕に羽飾りを着ける。ただそれだけだ。
その頃にはいつものマサムネに戻っていた。
「昼を食べてから田町に向かおう」
ロキシーが頷いた。
「一緒に食べていくだろ」
「奢りかい?」
「もちろん」
「ごちそうになります」
「ありがとう」
アウラに便乗してロキシーが礼を言った。彼女も奢られる気らしい。
「――え?」
疑問と異論を一言で返したが、当然ながら受け付けてもらえず、マサムネは女子三人に、なけなしの小遣いを全て食べつくされたのであった。
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