第3章
四月の夜はまだ寒い。冷え切っている――と言っていい。
マサムネはそれを身を持って知った。なにしろ野宿中なのだから。
ここは永安寺の境内である。
勇者アツヒメが管理担当する世田谷第三エリアに位置している。
アツヒメは、伊野瀬家の長女で、まだ若いがリーダーシップがあった。
勇者所以のレジェンダリーウエポンは身の丈近い斬馬刀で、『イザナミ・巌鉄』と呼ばれている。凛々しい雰囲気と華奢な体躯と『巌鉄』の猛々しさがミスマッチで、同性に人気の女性勇者だ。
第三エリアには異獣襲撃前にオープンしたデパートがある。さすがにショッピングセンターの機能は無くしているが、周辺の物品売買を一手に引き受け、いざという時の避難場所になっている。
アツヒメこと奈海を当主とする伊野瀬家は、その辺り一帯を取り仕切っていた。
勇者としての実力も然ることながら、名家としての手腕も確からしい。町が大きく賑やかなことがその証拠で、安心して暮らせることが分かるからこそ人が集まるのだ。
今回のアツヒメチームのミッションは定例巡回であるが、新人戦士の育成も兼ねている。
その安全を図るため、タンクであるロクサリーヌの力が必要だったのだ。
アツヒメのチームは全て女性で構成されている。レイローズとアウラもそのメンバーだ。
他チームで男性冒険者に嫌がらせを受け、逃げた先で辿りつく現代の『駆け込み寺』がアツヒメのチームなのだ。だから一団の後ろを離れてついていくマサムネへ向ける視線には敵意が隠されていなかった。それでも許されているのはアツヒメの大らかさと、レイローズとアウラの尽力があったからといえる。
テッシューの所でロキシーと一時は別れたマサムネであったが、すぐに後を追いかけた。
戦士に成り立てのマサムネはネットワークが狭い。ここで縁が切れると、もう一生会うことができない可能性があったからだ。
遠征に出た一団に、離れた位置からでもついていくことにしたのだ。
彼女たちは野川を北上するルートを取った。
遠征一日目は、人間を探して浮遊する《ハニワ》を駆逐しつつ鎌田町へ入った。
アツヒメたちは永安寺に宿をとることにしたようだが、メンバーではないマサムネは当然野宿だ。
幸い境内は寄りかかる木も寝床になる草も豊富だった。
契約していないパーティに参加している以上、収入が無いことを考慮し、倹約しなければならない。冷えてはいるが、焚き火なしで寒さを凌ぐことにした。火もタダではないのだ。
しっとりした草に寝転び、保存食のジャーキーを齧っていると、足音が近付いてきた。
逆さの視界に入ってきた影はロキシーの形をしていた。
「ついて来ないで」
「だって会わないでいると私を忘れてしまうだろ」
「覚えるつもりもない」
「そんなつれないな」
「あたしの力が必要なら冒険者協会に依頼すればいい」
マサムネは身体を起こした。
寺側からの薄ぼんやりした灯りでも、ロキシーの姿を影から解放してくれた。
無表情を装っているようだが、マサムネにはそれが無理をしているように思えた。
「私が欲しいのは力じゃなくて、ロキシーそのものなんだって」
ロキシーが息を呑んだようで、返事は数呼吸遅れてきた。
「あたしはロクサリーヌ」
言うと踵を返し、本堂へ遠ざかっていく。
「だって言い辛いじゃん……」
建物の中へ消えるまで見送ると、マサムネは寝ることにした。
次の日も天気は良かった。まだ気温は上がってはいないが、澄んだ空気に寝惚けた眼はすぐ覚醒した。
だから分かった。
寝過ごしてしまっていた。一団は出た後であった。
境内を掃除していた住職に礼を述べると、マサムネはすぐにロキシーたちを追いかけた。幸い行き先は分かっている。
川沿いの道を上流へ向かう。一時は川水は汚れていたが、今では川原の草木と共にむせ返るほどの自然の香りを発していた。
今は使われることの無くなった首都高を潜り抜けた頃、ふと空気が騒いでいる気がした。ほとんど勘に過ぎないのだが、マサムネは道を逸れて世田谷通りへ入った。
道すがらに《ハニワ》の残骸が落ちている。続く先には荒地があるのが分かる。そこから剣戟と悲鳴が響き、土煙が上がっていた。
《ハニワ》に囲まれているアツヒメチームが見えた。敵の数は三十を下らない。浮遊する《ハニワ》が渦を巻くように女性戦士たちを取り囲んでいた。
突然襲われたのか、まだパニックを抜け切っていないようだ。
まともに応戦できているのはアツヒメ、レイローズ、アウラ、そしてロキシーだけだ。周囲を回りながら仕掛けてくる攻撃を四人が必死に食い止めている。
だが、《ハニワ》たちは、攻撃力の高いレジェンダリーウエポンを持つアツヒメの攻撃も、素早い攻撃回数の多いレイローズの攻撃もうまくかわしていた。
その上で四人の隙間を縫って、中央で怯える他の女性たちを攻撃してくるのだ。
ロキシーのフォローがあるからこそ犠牲者が出ずに済んでいるに過ぎない。
「このままじゃ保たない。……ん?」
遠くから全体を視界に収めていたおかげでマサムネは気付いた。
上空に一体の《ハニワ》が浮かんでいたのだ。
「あれが司令塔だ」
上から動きを見て指示を出しているから《ハニワ》の動きに無駄がないのだ。
その時、連撃を防いだロキシーの背後に、《ハニワ》が忍び寄っていた。
他の誰も気付けていない。
マサムネは体勢を低く、「加速!」と、土を蹴った次の瞬間――《ハニワ》の包囲網を呆気なくすり抜け、ロキシーの背後に回っていた。
接近していた《ハニワ》をマサムネの剣が粉々にした。
皆の目がマサムネへ向く。
「君――」
「時間がない、ロキシー。あそこまで私を放り投げてくれ」
指で上空の《ハニワ》を差すと、やっとその存在に気付いた。
「あんな所に土像兵が――」
「ぼくの銃でも届かないですよ」
アツヒメとアウラが攻撃を防ぎながらも対策を練る。
それに対してマサムネが提案する。
「だから私が行く」
「空へ飛んで、その後はどうする?」
レイローズの問いはマサムネを心配してのことではない。無策で無謀な思考の持ち主かどうかを試しているような声色であった。
マサムネは北東を指差した。
「こっちの方角ならなんとか出来る」
川に着水することで落下のダメージを抑える意図はロキシーには伝わったようだが、まだ迷っているのが狸顔にありありと浮かんでいた。
決心するのを待っている時間はない。
マサムネの突撃で『司令官』は勝負に出たようだ。包囲網が狭まっていた。距離が短くなれば、攻撃回数が増える。フォローが間に合わなくなるのは目に見えている。
「思いっきり頼むぞ」
返事を待たずにマサムネは走り出した。ロキシーが慌てて構えた盾に飛び移る。マサムネを乗せたまま、盾の角度と身体の向きを調整した。宙の『司令官』が射軸に入ると、ロキシーは全身の力を空へ放った。
同時にマサムネも加速を発動。相乗効果で一瞬で《ハニワ》の間合いへ入り、通り過ぎざまに剣を振るった。
その場にいた人は、きっと《ハニワ》が勝手に爆発したように見えたであろう。
それほど刹那の出来事であった。
功労者のマサムネはそのまま放物線を描き、狙い通り川へ落ちていた。少し気を失っていたようで、流された結果、元の永安寺の近くにいた。
歩けるほどに回復した時、もう陽は傾いていた。
戦闘は当然ながら、もう終わっていた。アツヒメたちが戦っていた荒地は綺麗なものであった。土像兵の破片は加工して町の復興に使っているそうで、業者が倒された《ハニワ》を回収していた。
彼らに聞いたところ、アツヒメたちに犠牲者はなく、態勢を整えるために道の先にある観音寺へ移動したという。
観音寺はお堂も多いので、ミッション中の戦士たちが宿にするため良く立ち寄っていた。林もあるので、野宿するにも不自由はなかった。
さすがに今日は全身ずぶ濡れなので、焚き火をすることにした。
池の近くで炎に揺られていると、人の接近を感じた。
無造作に歩いてきたのはアツヒメであった。
武具も身に付けず、柔らかめのワンピースを揺らしながら歩み寄ってくる。
「やあ、マサムネ」
「アツヒメさん、こんばんわ」
焚き火を挟んだ正面にしゃがんだ。
風呂に入ってすぐなのだろう。下ろした髪がしっとりと濡れ、灯火を照り返してきた。
「今日は助かったよ」
「ロキシーに手を貸しただけさ」
「うちのチームは知っての通り、男性のいるチームでやっていくことが困難な女子が集まってきている」
アツヒメは焚き火を枝でいじりながら言った。どこか楽しげである。
「私が近くにいるだけでもイヤだ……と?」
「ん? うちはそんなこと言ってないぞ」
驚いた顔を上げた。
「んん?」
首を傾げながら、また炎へ向き直った。
「今回の遠征は冒険者として日の浅いメンバーがいるから、防御を上げるためにロクサリーヌ殿に協力を願ったんだ」
「彼女につきまとう私が邪魔だ……と?」
「ん? いや。全くそんなことはないぞ」
また顔を上げたが、今度は笑みが口元に浮かんでいる。
「んん?」
アツヒメは包みを差し出した。
「何だ?」
「おにぎりが二個入っている」
「そんなつもりはないぞ。さっきも言ったが、私はロキシーの背中を守っただけだ」
「堅苦しいな。奢りだと思えばいい」
「そうか」
焚き火の上で包みを受け取った。
「じゃあ遠慮なく」
マサムネは早速開いて食べ始めた。
「君はロクサリーヌ殿と結婚したいのか?」
「どうしてそうなる」
アツヒメは口元に手を当てて、言葉を転がすようにゆっくり言った。
「要するに……ロクサリーヌ殿を雇おうとしたが、先約があった。はぐれると次に会える可能性は低くなるから、同じチームと契約しようとしたが、女子限定のチームだったから諦め、後ろから付いて来ることにした――と」
「全く要約できてないが、その通りだ」
「一緒にいたいからだろ」
「うむ」
「それは結婚したいということじゃないのか」
「逆に聞くが、梅干が好きだからといって結婚したいわけじゃないのだ」
「全く聞かれてないな」
アツヒメは立ち上がった。
「だが分かった」
「分かったんだ」
マサムネは本気で驚いていた。
「一週間ほどエリア北部を巡回する。その間に一途さを見せて、彼女の次の契約を取れるよう頑張るんだな」
そう言い置くと、アツヒメは寺へ戻っていく。
それが言いたかったことだと、マサムネは察した。
「アツヒメさん、おにぎり美味かったよ」
アツヒメは手を上げて応えた。
「礼ならロクサリーヌ殿に言ってくれ」
「……ん?」
マサムネは静かに微笑み、大きく伸びをしながら地面へ倒れこんだ。
樹冠の隙間を抜け、星が強く光をマサムネへ落とす。
次の日も、マサムネはチームから離れた位置をついて回った。
彼女たちは喜多見を北上し、成城側へのコースを取った。
ほとんどが周遊している《ハニワ》との遭遇戦だが、四日ほど戦闘を繰り返していれば、自然と練度も上がってくるもので、さして苦労もせずに戦えるようになっていた。
一人も脱落する者もないことは珍しいと、アツヒメが評価しているのが聞こえた。
ロキシーのおかげだという声に、マサムネも嬉しくなった。
しかし肝心のロキシーとの距離は全く近付いていなかった。
今は使われていない成城学園前駅は、簡易宿に改築されていた。戦士たちはもちろん、往来する一般の旅人の重要な中継地点となっていた。
アツヒメチームの本日の宿もそこであった。
マサムネは一般人に紛れ、宿を利用することにした。
事あるごとにロキシーに声を掛けているのだが、完全に無反応であった。
晩御飯の後、かつての線路への階段を降りていくロキシーを見つけた。
「ロキシー、ここの食堂にシュークリームがあるんだが、一緒に食べないか?」
マサムネは段上から呼びかけたが、ロキシーは一瞥するのみで、そのまま降りていってしまった。
「甘いもので釣る作戦も失敗か」
「手段が最低ですね」
後ろから声を掛けてきたのはアウラであった。言葉ほど声色は辛らつではない。その証拠にマサムネの前へ回ったアウラの口元は笑みを湛えていた。
「恐らくですけど――」
数段降りて、アウラは肩越しに振り向いた。
「ロクサリーヌはシュークリームを知らないんですよ」
「そうか」
と、マサムネは仁王立ちのまま腕組をして頷いた。
その間も、泊まりの女性客が邪魔なマサムネを避けるように階段を降りていく。
「マサムネは食べたことがあるんですね」
アウラが見上げながら訊いてきたが、マサムネは答えに躊躇した。
「伊達家なら当然ですか」
「――知っているのか」
「一戦士になって何をしてるんです?」
「私は名ばかりの伊達家だ。……これで良いんだよ」
アウラが折り返しの踊り場で振り返った。着いて来いと目が言っている。
断る理由がないので、マサムネも薄暗い階段を下った。
「マサムネはロクサリーヌのどこに惚れたんですか」
「背中の『綺麗』なところだ」
横に並ぶと、アウラが訊いたので、マサムネは素直に答えた。
「変態さんなんですね」
「なんでそうなる」
「身体が目当てじゃないですか」
「いやいや。あの『綺麗』さが表すのは、ひたむきなほどの真面目さだ」
一緒に下まで降りる。昔は電車が走っていた線路も今は埋められていた。ここから行ける部屋は一つだけのようだ。壁で仕切られた空間にはベンチが再利用されて、数人の女性が語り合っていた。奥の突き当たりに引き戸が見えた。
アウラがそちらへ向かっているので歩を合わせる。
「正直、私は女性が苦手だ。恐らく母親の厳格さを子供時代に目の当たりにしたせいだと思うが、上手く話せなくなるのだ」
「ぼくは女性に分類されてないのは分かりました」
根底にある怯えは本音だが、マサムネも言うほど苦手意識は低い。
「彼女は目下だろうが、目上だろうが関係なく、守ろうという気迫があるのだ」
「それが『タンク』では?」
「誠実の体現だと思う」
マサムネのロキシーに対する思いを言葉にすれば、そうなる。
檜の香りが強まってきた。
「ロクサリーヌにそう言ってあげればいいんですよ。正直に言葉にすれば、分かってもらえますよ」
「そうか――」
まともに取り合ってくれてはないが、マサムネも気持ちを伝えたことはない気がした。となると、居ても立ってもいられなくなってきた。
「行ってくる!」
と、走り出した。部屋は一つしかないのだ。ロキシーはここにいる。
「今はダメですってば――」
声が遠ざかった。
こういう時でも加速が発揮されてしまう。一瞬でドアへ達し、引き戸を滑らせた。
「ロキシー! 私は君の――」
白い肌の競演だ。籠に服を脱いでいる女性たちが一斉にマサムネを見た。脱衣所の向こうにはガラスで区切られた空間があった。タイルで飾られた空間は銭湯そのものだ。
「そこは女風呂ですってば……」
アウラの言葉は麻痺したマサムネの頭には届かなかった。
右側の奥に一糸纏わぬロキシーがいた。傷だらけなのは知っていた。しかし、肌の白さと桜色、そして茂んでいる部分まで見逃すことはなかった。
狸顔が目を丸くしていた。
「――背中だけじゃなく、正面も綺麗だな」
「――ありがとう?」
会話をかわして、マサムネは何事も無かったかのようにドアを閉めて退散した。
もちろんお咎めなしというわけにはいかず、やはり罰金を支払わされたのであった。
せっかく縮まったチームの信頼が遠ざかったのも言わずもがな、宿の女性全ての警戒心を強めてしまった。
その次の日である。アウラとレイローズ、そしてアツヒメに説教を喰らった。
「バカですね」
「バカだ」
「バカだね、マサムネは」
しかし、アツヒメだけは大笑いしている。
ここは改札前を改築したロビーだ。泊まらず休憩する旅人のための場所だ。
その一角でマサムネはこってりと絞られていた。
「面目ない」
彼女たちが弁護してくれたから罰金で済んだのだ。
それが分かってるからこそ、マサムネは素直に謝った。
悪気はないことを知ってるから、アウラとレイローズもため息のほうが多くなる。
そこへロキシーが現れた。
駅の管理組合から、土像兵に関した依頼書を持ってきたようだ。
本来はチームのメンバーが持参するのだが、マサムネがいるから――と拒否されたのだ。
「ケダモノは嫌だって」
「私のことかい。……ん? じゃあ、ロキシーはそう思ってないってことか」
「次はグーで殴る」
言い切ると、ロキシーはアツヒメへ書面を手渡した。
ロキシーの本気を感じ取り、マサムネは素直に謝った。
「ん」
短いが、ロキシーが返事を寄越した。
立ち去りかけたフワフワ髪が足を止め、振り向いた。
「しゅーくりーむ……って?」
「このくらいの大きさで、サクサクのパイ生地の中に、クリームが詰まっている洋菓子だ」
「甘い?」
「死ぬほど。ここのはカスタードと生クリームの二種入っているからな」
ロキシーはお腹の辺りを押さえた。
「太りそう」
「大丈夫! 私はロキシーが太っても嫌いになったりしないぞ」
マサムネは言い切った。
だが、氷点下の空気がロキシーとの間に流れ、彼女はそのまま歩き去ってしまった。
マサムネは訳が分からず、呼び止めることさえ忘れていた。
「バカですね」
「バカだ」
「バカだな、マサムネは」
さっきと同じ言葉だが、口調は完全に呆れ果てていた。
意味が分かっていないのがマサムネだけという残念な状況が残った。
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