第2章

 その夜――

 マサムネは宿舎を抜け出し、近くの広場で剣を振った。

 元は公園だった場所だ。今は遊具もなく、地面は起伏が激しいが、鍛錬をするには問題がなかった。

 刃が風を切る音は、公園だった頃の名残の林へ吸い込まれていく。

 まずマサムネは、自分の契約を解除する。同じチームメンバーからの抗弁は意味を成さないからだ。

 その後で異議を申し立てる。テッシューは異議を取り消させるため、自分の取り巻きに戦いをけしかけるに違いない。

 昼の騒動を見ている限り、レベルは高くない。

「――とは言ったものの」

 問題は人数だ。

 数の不利を覆せるほどの力があるとまでは自惚れていない。

 剣の修練をしていて、手詰まりの抜け道を考えていると、あまりの手段の無さに思考が停止し、無心に剣だけを振っている時がある。

 無の境地が、強い視線を捉えた。

 切っ先を林へ向ける。

「少し良いかな?」

「お前……」

 影から夜闇に姿を見せたのは獣であった。

 いや。身体は人間であった。

 胴着に似たズボンに、ベストだけを羽織り、引き締まった肉体を晒している。首から上が猫のように毛で覆われていた。

「オレを見ても動揺しないんだな」

「獣頭人は超人の生き残りと聞いた。超人に知り合いがいるからな」

 突如人類を襲ってきた異獣と土像兵に対し、全滅から救ったのは異形の戦士――それが超人であった。

 人ならざる姿の中に、獣の頭を持った超人がいるのは有名な話だ。

 目の前の獣頭人も、明るい毛質に、縁取りとぶち模様を暗い毛質が描くツートンの猫科であると、夜目にも伝えている。

「さすが伊達家長男」

 マサムネは眉を顰めた。

「勇者と呼ばれる次世代の英雄は名家に多い。聞いたことはないかい」

「私は該当しないぞ」

「謙遜をするな」

 獣頭人はベストの内側から何かを取り出して差し出した。厚みのある手に、輪っかが二つ乗っていた。

 よく見ると輪ではなく、円は途切れている。何かに嵌められるようになっているのであろう。両脇に翼の形の飾りが二対ついていた。

「レジェンダリーウエポンだ。お前の速さを目いっぱいに上げてくれる」

 靴の踵に装着することで、速度が上がると言う。

 普通なら眉唾物だが、レジェンダリーウエポンは勇者だけが使える特殊な武具だ。

 炎や雷も操れる――なんてものが本当にあると知られている。

 だからこそ、レジェンダリーウエポンであるのならば、速く動けるくらいわけもないだろう。

 しかしマサムネは躊躇していた。

 『伊達家に資格がある』というのならば、自分には無いのが分かり切っている。

 受け取ることを逡巡していると、獣頭人は近付き、ムリヤリ手渡してきた。

 その時、ふと鉄の錆びた臭いがした。

「必要になるだろ。きっとな」

 マサムネの言葉を待たずに、獣頭人は踵を返した。

「おい、トラ男」

「虎……?」

 振り向きつつ、「オレはチーターなんだが」と、憮然と言った。

「なんで血の臭いがするんだ?」

 音が止んだ。

 す――と彼の友好な反応が沈む。

 マサムネは剣の柄を握り締めた。

「オレだって超人として戦ってるんだ。ケガの一つや二つ」

「そうか?」

 猫科の口は牙だらけで、獣の顔の中で目だけが人間に近いが、それさえ今は、知性を奥深く沈め、野性味を帯びていた。

「お前が勇者となって楽させてくれれば傷つかずに済むんだ。頼むぜ」

 徐々に影へ馴染むように消えていく。

 再び一人になったマサムネの手に、羽飾りが二つ残った。

「名ばかりの伊達家である私が、勇者のはずがない……」

 そう思ったが、ブーツの踵に着けたら早く動けた。

 納得はいかなかったが、これで数に対抗する手段が出来たことになる。そう言い聞かせることにした。


     *      *      *


 次の日。マサムネは早速、テッシューの事務所へ解約の申し出に行った。

「ルーキーには適した場所だと思うんだけどな」

 丸坊主で目がやたら細い男が言った。見た目ほど口調が恐くない。さすが受付をしているだけのことはある。

「思うところがあるんだ。悪いな」

 事務所はテッシューのホームとなっているビルの一室にある。

 元は区役所の出張所だったらしく、ムダに広かった。

 使っているのは、受付としてカウンターが一つだけ。更に所員はこの丸坊主の男だけとくれば、あとは寒々しい空気が室内に漂っていた。

 解約が終わるとロキシーが入ってきた。

「やあ、ロキシー」

「ロクサリーヌ」

 と言い捨てると、ロキシーは窓口へ行った。

 しばらくすると、困惑の声が聞こえてきた。

「もう二回、更改してる」

「しかし坊ちゃまからは、損害賠償の申し立てがあって、その返済のための更改が必要とあるんだ」

「それは言いがかり」

「前も言ったが、この場合は君からの異議は意味を成さないんだ」

「でも――」

 マサムネがロキシーの横に立った。

 当惑の表情を浮かべたのは丸坊主のほうであった。

「何だね?」

「調べたのだが、次に雇う者が立てた異議は通るんだよな」

「お前――」

「君……何を?」

 やっとここでロキシーは、マサムネが自分のことを言っていると気付いた。

「私はロキシーを雇うため、ここから連れ出す」

 言葉の意味が全員に伝わらず、目を白黒させていた。

「さあ行こう、ロキシー」

 呆然としていたロキシーの手を引いてマサムネは事務所を出た。

 丸坊主がどこかへ電話してるのが見えた。

「かなりまずい」

「予定通りさ」

 建物を出ると、既に階段下へ戦士たちが集まっていた。その数は十人ほど。遠くからテッシューの神輿が近向かっている。建物からも六人出てきた。丸坊主も中には含まれている。

「まるで駆け落ちの途中で捕まったみたいだな」

「笑えない」

 ロキシーの声はこの状況下でも落ち着いていた。

 テッシューを入れても二十人弱。予測通りの展開であった。

「お前は昨日の無礼者か」

 テッシューが苦々しく言った。

「こいつは恐らく名家ですぜ」

「フリーの戦士をするくらいだ。たいしたことない」

「それは否定しない」

 マサムネは構わずロキシーの手を引いて降りていく。

「ロキシーは貰っていく」

「君が?」

 ロキシーの狸顔が豆鉄砲を食らったような顔付きになっていた。

「彼女から疑問が出てるんだけど……」

「逆に聞くが、私はロキシーの背中を守ると決めたんだ」

 一瞬、遠くの喧騒が聞こえるほどの静寂が訪れた。

「何を聞かれたんだ?」

「いや……」

「さあ――」

 皆が顔を見合わせている間に、マサムネとロキシーは階段を降り切った。

 巻き込まれないようにロキシーを横へ追いやると、戦士たちがマサムネを囲んだ。

「私がロキシーを雇うからと、管理委員会に申し立てれば、ロキシーの解約は成立する」

「領地を出られればの話だ。お前はここで半殺しにされるんだからな」

「ロキシーに頼らねば何にも出来ない戦士たちだろ。負ける気はしないよ」

 マサムネは膝の屈伸運動をしながらあっさりと言った。

 さすがにプライドを傷つけられたのか、殺気立った数人が剣を抜いた。

「殺すなよ。手足を折ってしまえば……あれ?」

 テッシューの威厳を込めた脅し文句が尻すぼんだ。

 抜いたはずの剣がなくて戦士たちが戸惑っているのが見えたからだ。

「素手でかかってこい」

「君は剣だらけ」

 ロキシーにツッコミを入れられたのはマサムネであった。

 やっと皆が状況に気付いた。抜いたはずの剣はマサムネが手にしていた。

 持ちきれないので、地面へ突き刺している。その数、六本。殺気だって抜刀した人数分だ。

「レジェンダリーウエポンだ……」

 半数が恐れて後ずさった。

「ビビるな! 速いだけだ! 数でかかれ!」

 テッシューに背中を押されるように、縮み上がっていない戦士たちが剣を抜いた。

 マサムネは一番遠い戦士の間合いへ入り、足をかけて転ばせた。相

 手を見失い、転んだ気配で振り向いた時には、マサムネはもういない。

 翻弄されている内にマサムネは次から次へ。その調子で呆気なく三人を転がした。

 さすがにいつまでも呆気には取られていない。

 剣を取り上げられた戦士が自分の得物へ走った。地面に刺さった剣の柄を掴む――より先に、マサムネが取り上げた。彼は空で拳を握っていた。狙っていた剣は別の所に刺さっていた。取りに行くと見せかけ、他の人の剣を狙う――が、これも空振り。剣は段々と離れたところへ逃げていく。

 しかもマサムネはこの間にも他の戦士を転がしてから戻る――を繰り返しているのだ。立っている戦士のほうが少なくなっていた。

 剣を奪われた男たちが全員で取り返しに来たが、誰一人柄に触れた者はいなかった。

 疲労で六人が座り込む。マサムネは一番初めの位置に戻っていた。手前には六本の剣が突き刺さっていて、まるで何もなかったかのようであった。

「ふざけてるのか! 相手は一人だぞ!」

「任せてもらおう」

 侍のような和装の戦士が名乗り出た。

 神輿の横にいつもいるランク上の戦士だ。数歩前まで出てきて足を止めた。

「目に頼るから惑わされる。気配を察すれば良いだけだ」

 柄に手を置き、目を閉じた。

「分かるものなのか?」

「拙者ほど武術に秀でていれば簡単だ」

「今はどこにいるのだ」

「黙っててもらおう。集中してるのだから」

「ふうん」

 侍が目を開けた。後ろにいたマサムネと目が合った。

「お前――」

 居合いだ。閃光のように切っ先が消える見事の抜刀であった。

 マサムネはかわした。

「遅い!」

 侍は再び剣を鞘へ収め、正面を向きながら退がるマサムネを追った。足を止めたマサムネへ再び居合術――と、そこにいたのは別の戦士であった。

 彼は剣で居合いの刃を受けて止めた。

「危ねえ!」

「すまん」

 マサムネが後ろに立った。

「そこだ!」

 振り向きざまに剣を振るったが、やはり他の戦士がいるだけであった。剣先が彼のアゴ数センチ下で止まった。

「おい! 殺す気か!」

 マサムネがその侍と二人の戦士を一気に蹴り飛ばして転がした。

 二十人が全員地面へ座り込んでいた。突き飛ばしたわけではないので、ケガをした者は一人もいなかった。

「お前、勇者なのか」

 マサムネは答えず、包囲網を抜けると、ロキシーへ歩み寄った。

 彼女はさっきと変わらぬ位置で待っていた。

「さあ行こうか、ロキシー」

「どうしてあたしを?」

 出した手を握り返さず、真っ直ぐ見返したまま訊いてきた。

「私が次にロキシーを雇いたいのだ」

「それはムリ」

「何故だ」

「だって君は――」

「おい! 他の臨時雇いの戦士を呼べ!」

 ロキシーの言葉を遮り、テッシューが事務員に言った。

 事務員が慌てるように階段を上り始めた時だ。

「そこまでだよ」

 凛とした声が響いた。

 事務所前のメインストリートを歩いてくるのは、レイローズとアウラであった。

「お前らでもいい! そいつを止めろ」

「ぼくたちはあなたに雇われてるわけじゃないので、命令は聞けません」

 アウラが小さな唇を笑みの形にしながら言った。

「雇われてない?」

「未契約なのさ」

「どういう……」

「別チームの戦士ってことですよ」

 二人はメインストリートの奥へ顔を向けた。

 それが合図であるかのように、蹄の音が聞こえた。

 リズミカルな音は、こちらへ近付いてくる。

「馬?」

 すぐに黒毛の馬に乗った女性が姿を見せた。

「ぼくたちのリーダーです」

 アウラに紹介された女性は手綱を取って馬を止めた。

 長い髪をポニーテールで結っていることもあり、凛々しい雰囲気と相まって、剣士のようなイメージが強い。

 小さな顔の中で、目が状況を読み取り、その結果、大きな疑問符を浮かべたような表情に変わった。

「集団で暴行を受けているのを、うちが止めるはずだったよね」

「意外と彼が活躍してしまいまして」

 レイローズがちらりとマサムネを見た。

「そりゃあ申し訳ない」

 マサムネが本気で謝ると、馬上の剣士はニコリと笑った。裏表を感じさせない気さくな笑顔であった。

「お前は誰だ」

「そちらはテッシュー殿か」

 言いながら彼女は馬を下りた。手綱をレイローズへ託し、テッシューの前まで歩み寄った。神輿の彼のほうが上にいる。

 意外と背は低い。だが、高い位置のテッシューよりも大きく感じられた。

「うちはアツヒメ。世田谷区で勇者をやっている」

「噂は聞いたことがある。だが豊島区まで何の用だ」

「戦士のお迎えだ」

 テッシューの顔が『やべえ』という感情に歪んだ。

「要は、次のミッションの中心となるタンクを指名して、契約が明けるのを待っていたんだけど、二ヶ月をオーバーしても来てくれない。困っていたら、トラブルに巻き込まれたらしいと知ったので、レイローズさんとアウラくんを偵察に出したら、一人バカをやりそうな奴がいると聞いた。そいつが騒動を起こしたら違法性を逆手にとって、テッシュー殿から彼女を解放しようと計画し、馬の乗って格好良く颯爽と登場したわけだ」

「長い」

「要約できてない」

 マサムネとロキシーが同時にツッコミを入れていた。

「――って、『一人バカをやりそうな奴』とは私のことか」

「本当はボコボコにされている所に出てきて、傷害で訴えることで介入するつもりだったんだがな」

 レイローズはマサムネに応えてるかのように見せて、テッシューへ圧をかけていた。テッシューにも分かったようで、ハッキリと怯えが見て取れた。

「さて、テッシュー殿。チームのいざこざに雇われ戦士を巻き込んではいけない、という組合ルールはご存知?」

 ここまで来て抵抗できるほど、テッシューはメンタルが強くないようだ。

「ロクサリーヌの契約を解除しろ」

 と、事務員に告げると、テッシューは退却を始めた。

 座り込んでいた戦士たちも、訳が飲み込めないまま、立ち上がると付いていった。

 悔しそうに神輿が去っていき、すぐに事務員が書類を持ってきた。

 これでロキシーは任期満了だ。

 アツヒメが満足げに頷いている。

 マサムネは頭二つ小さい彼女へと近付いた。

「いやあ。助かったよ」

「こちらこそ。なんで君は彼女を?」

「ロキシーを雇おうと思って」

「ムリって言った」

 ロキシーが困ったような声でさっきの続きを言った。

 流れを察したアツヒメが、その解をくれた。

「一戦士に他の戦士を雇うことはできないよ」

「なぬ?」

 マサムネは思いもよらぬ展開に声を上げた。当たり前といえば当たり前だ。同じ戦士同士で雇用関係が生まれるはずもない。

「コンビとして登録は出来るはずですけど」

「あたしはイヤ」

「お――?」

 アウラの提案も、ロキシーはにべもなく即断した。

 取り付く島もなく、マサムネは囲む四人の女性の中で右往左往だ。

「くたびれ損だな」

 と、レイローズが笑い、とどめはアツヒメが刺した。

「ちなみに、次に彼女を予約していたのがうちのチームだ」

「あ……れ?」

 マサムネは助けを求めるようにアウラを見た。

「ごめんなさい。騙してました」

 言葉ほど悪気のない笑顔でアウラに言われ、マサムネは崩れ落ちた。

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