お硬い娘はお好き?

Emotion Complex

第1章

 ネットで覆われた土壁を背に、地面より低い位置にその温泉はあった。

 大露天風呂だ。

 夜の寒さに対抗するような湯気が、ランプの濃い橙を分散させている。

 その向こうに白い肌が競演していた。

 これは年頃の男子たちには見ずにいられない光景といえる。

 マサムネは特に興味があったわけではない。

 誘われたから来ただけであった。

 戦士として生きることを選択したのは先月のこと。

 まだ初心者用ミッションをこなしている身の上で、横の繋がりを意図的に絶つのはまだ早い。そのくらいは心得ている。

 温泉から川を挟んだ崖上に、マサムネと四人の戦士たちは身を潜めていた。

 湯気が灯りを吸い、黄金郷のような風景を広げている。

「ローザベルは来てるか?」

「いや。まだだ」

「エルファニがいるじゃないか」

「引き締まった身体がいいねえ……」

「あいつの鎧って小さいから変わらねえじゃん」

 声を抑えつつも、誰もが高揚している。

「お前はどうなんだ、マサムネ」

「背中だ」

 さっきからマサムネは一人の姿しか追っていない。

 黄金の波に呑まれず晒された後姿に――

「背中?」

「凄い傷だらけだ……」

 温泉にスペースを多くとっているため、洗い場は立って済ませることになる。

 彫刻のように引き締まった女性たちが並ぶ中で、柔らかそうな背中に目を奪われていた。

 そのキャンパスは古傷や生傷で埋められていた。髪も肩までしかないので、シャワーの滴が流れ落ちる曲線はマサムネを捉えて離さなかった。

 普通の戦士なら疎まれる背中の傷が、何故か彼女には誇らしげに見えた。

「あれは……お前と同じ短期契約の――確かロクサリーヌと言ったか」

「ロクサリーヌ――」

「盾持ちのタンクだ」

 タンクとはチーム内で防御を担当する壁役のことだ。盾を持ち、前面で敵の進攻を防ぐ役目がある。

 マサムネはあの背中の傷に納得がいった。

 戦場は混戦だ。お行儀よく正面から攻められるばかりではない。

 カバーできない箇所を突破されたり、側面から攻められたり、回り込まれたりもするだろう。

 背後で戦闘が行われようと、前線を死守するという心の表れがあの傷なのだろう。

「あまり良い噂は聞かないぞ」

「疫病神だっけ」

「あいつのいるチームは全滅するらしいぜ」

「止めといたほうがいいって」

 マサムネは丸い目の中で瞳だけを四人へ向けた。

「逆に聞くけど、傷だらけだからこそ、あの背中は綺麗なんだ」

 ん?――と、四人の男子たちが動きを止めた。

 離れているはずの温泉の喧騒が聞こえる。

「何を訊かれたんだ?」

 皆は一様に困惑の顔を見合わせた。

「戦士なら背中に傷があるのは逃げの傷だ。でもタンクは皆を守るために盾を構えて正面に立つと、背中が無防備となる。たとえ攻撃を受けても、揺るがない姿があの傷だ。それを綺麗と言わずしてどうする!」

 独り言だ。

 もうマサムネは彼女を目で追うのを再開している。

 覗きの共犯者たちは話題を変えたようだ。

「最近入った二人はいるか?」

「レイローズとアウラだろ」

「あの女王様然としたレイローズとロリ少女全開のアウラ。おれはどっちでもOK」

「いたぞ」

 マサムネは傷だらけの背中――ロクサリーヌに注視していたため、彼らが指さした方を見ていなかったが、話題の二人が視界へ入ってきた。

 彼女たちは、身体をシャワーへ晒しているロクサリーヌへ声を掛けた。

 遠くて見えないが、若い戦士たちが評したように、背の高い女性は女王様のように毅然とした雰囲気を持ち、背が低い女子はお子様の印象をしていた。

 アウラと呼ばれていた背の低い女子がこちらを指さしている。

 ゆっくりとロクサリーヌがこちらを振り向いた。

「あ――」

「やばい」

 蜘蛛の子を散らしたように四人の男の子たちは逃げていった。

 残ったのはマサムネだけであった。

「決めたぞ、私は」

 マサムネは思いっきり仁王立ちで天へ向かい叫んだ。

「私はロキシーの背中を守ることにしたぞ」

 声が山間に響く。

 ロクサリーヌが投げた木桶がマサムネの足下へ直撃したのは、ほぼ同時であった。

 崩れ落ちた足場と共に、マサムネは下の湯へと落ちたのであった。


     *      *      *


 東京タワーが完成した一九五九年。異変は起こり始めていた。

 伝承にある竜のような姿をした者――恐竜が人型へ進化したような姿の者――地球上のどんな生物とも一致しない双頭の者――

 後に《異獣》と呼ばれる侵略者が五十体以上も現れたのだ。

 異形の姿は共通する部分は少ないが、一致している特徴は――人間を喰らうこと――であった。

 人間も抵抗した。警察や自衛隊も出動した。

 しかし《異獣》単体の強さも然ることながら、敵は更に土像兵を投入してきたのだ。

 土像兵とは土偶や埴輪を思わせるフォルムをした無人機動兵器の総称だ。

 人類の科学力を凌駕した土像兵は、人のみならず環境をも破壊した。

 侵略初期の戦いで、地形を変化させた場所の一つが、ここ豊島区駒込周辺だ。

 起伏の激しい地形になり、落差の激しい箇所は山と谷を思わせるほどであった。

 特に都営霊園の一つである染井霊園は完全に消滅した。墓所は無くなったが、代わりに巨大な穴に温泉が湧いたのだ。

 温泉は豊島区第五エリアを管理する城戸内家の重要な財源となっている。

 城戸内家の勇者――テッシューのミッションに参加する冒険者は、その温泉に無料で入ることが出来た。

 マサムネが運命の出会いを果たしたのが、この霊園跡の温泉だ。

 ただし、運命の出会いは罰金付きであった。

 その日もテッシューチームはミッションのため移動を開始した。

 ミッションは基本的に城戸内家の財源である温泉を守ることだ。

 城戸内家の長男の指揮の下、土像兵が領地内に入ってこないかを見回るだけの緩い仕事であった。

 二十人以上が一団となって臨んでいるため、危険度は低く、ルーキー向きの案件といえた。

 特に実家で剣の訓練を受けていたマサムネには全く余裕であった。

 仕事はローテーション制で、行軍に当たらない日は休みなのだが、マサムネは毎日参加するようにしていた。

 タンクのロクサリーヌ――マサムネが見初めた相手が、毎日参加しているためだ。

 温泉で見かけた時は顔まで見ていなかったのに、マサムネにはすぐ彼女だと分かった。

 内に秘めた信念が溢れているのが感じられたからだ。背中を飾るタンクとしての誇りは見せ掛けではない。

 しかし、その容姿は丸っきり真逆であった。戦士をしているとは思えないほど温和そうな顔付きだ。良い意味での狸顔で、普段は思考を停止したような面持ちをしている。

 おしゃれには特にこだわってないらしく、服は初期に協会から配られたワンピースを着ている。足が動きやすいように左右に切れ込みが大きく入っていて、女性戦士には不評の服なのだが、ロクサリーヌは気にしていないようだ。

 肩までのミディアムヘアーも、梳いただけで前髪を左右に流していた。

 その落差も、マサムネは容易く受け入れられた。

「やあ、ロキシー。私はマサムネだ」

 隙を見つけては声を掛けたが、一瞥をくれるだけで返事がない。

 戦闘になると、彼女はリーダーであるテッシューを守る位置にいる。何重かの円で彼を囲むのだ。

 一番新顔のマサムネは一番外側に立つため、彼女から一番遠かった。

 移動の時だけはなるべく傍に近寄っているのだが、まともに会話したことがなかった。

「ロキシー、今晩ヒマかい?」も、「ねえ、ロキシー。君にお願いがあるんだが――」も、見向きさえされず、大外で避けられただけであった。

 巡回の列の最後尾から、マサムネは相変わらず、中ほどを歩くロキシーを見ている。

「なぜダメなんだろう……。照れてるのか?」

 盾を背負う背中を見ながら頭を傾げた。

「思い切って、抱きついてみるか?」

「棍棒で叩かれて死ぬぞ」

「まず言葉で誘うものですよ」

「お風呂にか――」

「普通は食事です」

「ん?」

 気付くと、マサムネの横を二人の女性が歩いていた。

 身長差が四十センチ以上の凸凹コンビだ。

 背の高いほうは確かに『女性』の域にいるが、小さいほうは『少女』でも違和がありそうなくらい幼く見える。

「え――……と女王様とロリ少女」

「レイローズだ」

「アウラです」

 二人とも力強く言い返した。

「お……おう」

 乾いた地面が数十人の足踏みで砂埃を上げている。

 三人は最後尾を、その黄色い風を掻き分けるように並んで進んだ。

「先日あなたが覗いてた温泉に、ぼくたちもいたんですよ」

「全然覚えてないのだが?」

 二人の無言の返答に、無関心は悪いと思ったマサムネは、二人に目を向けることにした。

 『ロリ少女』のアウラは顔の造りが整い、しかもシンメトリーなので、成長したら美人顔になるだろう――と思っていると、

「言っておきますが、あなたより年上ですよ」

 と、心を読んだかのように返してきた。

「そうなの?」

「……一歳だけですが」

 確かに子供ではなかった。

 隣で声を堪えて笑う『女王様』ことレイローズは大人であった。きりっとした顔付きは隙がなかった。年齢差は四、五歳ではきかないな――と思っていると、

「何か不遜なことを考えてないか?」

 と、こちらも見透かしたように言った。

「いえ……」

「なら良い」

 口元が笑みに上がっている。ふと顔の左側を覆っている髪が揺れて、その下に隠されている傷が見えた。目を中心に眉上から頬まで縦へ伸びる剣傷であった。光の加減によってはないくらいの跡だ。

 レイローズの冬のような厳しさは、辛苦と愉悦を重ねたゆえの結果だろうが、ここで会った一部だけを切り取るのは失礼であるとも、マサムネは気付いた。

 アウラにも同じことがいえる。

「逆に聞くけど、二人は苦労してるんだな」

 変な言い回しで労ったせいで、レイローズとアウラの顔に疑問符が強く浮き出た。

 しかし、それを解消する前に事態が大きく動いた。

 《ハニワ》が襲撃してきたのだ。

 その数は二十体以上。いつになく多数だ。

 しかも意図的な攻撃が多用され、ルーキーの多い部隊は浮き足立ち、場はすぐに混戦状態になった。

 その中でロキシーは忠実に役目をこなし、テッシューを守る位置に立っていた。

 ロキシーの盾はいわゆるカイトシールドだ。凧を逆さにしたような逆三角形で、槍を乗せるためなのか、上部に丸い凹みがある。厚みがあって重そうな盾だが、《ハニワ》の動きを捉え、体当たりも難なく跳ね返している。

 卍巴の戦場で、正面の敵をいなすので精一杯のロキシーの背中に、一体の《ハニワ》が弾丸のように迫った。

 マサムネは一瞬でその間へ割って入り、《ハニワ》を剣で弾き飛ばした。

「あなた――」

「ロキシーの背中は私が守る」

 マサムネの言葉に、ロキシーは狸顔の中で目を丸くしていた。

「お前らが守るのは僕だろ」

「そうなの? 土像兵退治だと思ってた」

「勇者である僕を守るのが仕事だ」

 マサムネがテッシューと言葉を交わしている間に、《ハニワ》数十体が重なり、更に回転してドリル状になって襲い始めた。

 それを迎え撃った戦士たちは、剣を弾かれ、盾も吹っ飛ばされ、全く手も足も出なかった。

「お前たち! それを止めろ! 倒せ!」

「ムリだっつうの!」

 テッシューの命令に対し、地面をえぐる音の向こうから反論が上がった。

 戦士たちの陣形を崩したドリルは、テッシューへ方向を転換した。

「来る――!」

 テッシューが悲鳴を上げた。

 ロキシーが前に立ったが、ドリルは急カーブで盾を外れていった。

 棘付き球が先端についた棍棒――いわゆるモーニングスターを、ロキシーはドリルを追うように振り下ろしたが、全く届かなかった。

 ドリルがテッシューへ迫り、叫声がオクターブ高くなった。

 マサムネは回り込んで、神輿の端に跳び乗って起こした。

 乗っていたテッシューは弾かれるように飛んでいった。

 螺旋の渦は神輿を貫き、破片を撒き散らしながら天へ上っていった。

「た――助かった……お前、よくやった」

「邪魔だ」

 マサムネはすがり付こうとしたテッシューを足蹴にした。

 ドリルがUターンしてくる。

「中心にいる青い《ハニワ》を倒してください!」

 アウラが叫んだ。

「どうやってだよ!」

 戦士の一人が思考放棄の非難で返した。

 ロキシーが盾を構えた。

「止める」

「またかわされるんじゃねえか?!」

 別の戦士が懸念だけの意見をこぼす。

 そんな中、ドリルが戦士たちの上空を越え、逃げ出したテッシューの背中を追った。

「やばい!」

 レイローズの声が響く。

 テッシューまで十メートルに迫った辺りで、先行していたロキシーが間に合った。

 横から割り込むようにドリルの先端を盾で受け止める――が、回転を伴う勢いは止まらず、盾を構えたままのロキシーごと、螺旋はテッシューへ迫った。

 地面にロキシーの足が滑って作る二本線が真っ直ぐテッシューへ伸びる。

 止まる気配は全く無い。

 その先には崖がある。

 ロキシーごとテッシューを下へ落とす気だ。

 誰もが諦めかけた状況下――マサムネがロキシーに並んだ。

「え――?」

 驚くロキシーを追い越し、マサムネはテッシューへ追いついた。

「何で崖へ向かって走ってるんだよ」

 と、横へ蹴り飛ばして、ドリルの進行方向から外した。

 すぐにロキシーと螺旋状の《ハニワ》たちが、足を止めたマサムネとテッシューの間をすり抜けた。

 マサムネは剣を突き刺した。回転の隙間に見えた、青い《ハニワ》を――。

 途端にドリルが崩れ、数十体の《ハニワ》になった。数体は勢いに弾かれて地面へ激突したが、他は宙へ散り散りに逃げていった。

 群がる虫を払って現れた花のように、戦い終わったそこにロキシーが立っていた。

 崖まで十メートルの距離であった。

 マサムネは彼女へと歩み寄った。

「大丈夫だったか、ロキシー」

 彼女は周りを見回し、誰もいないことを確認したようだ。

「ロキシーってあたし?」

「そうだぞ」

「あたしはロクサリーヌ」

「だからロキシー」

 戦闘が終わると気が抜けるのか、狸顔が強まる。

 マサムネのネーミングセンスに首を傾げていた。

「立て直すから、一旦帰還するぞ」

 テッシューを回収した部隊リーダーが号令を出した。

「ロクサリーヌだから」

 と、一言だけを置き土産に、ロキシーもその一団へ駆け寄っていった。

 ベースとなっているビルへ戻る列は重々しい空気になっていた。緩い戦闘が当たり前のミッションなので、今回はハード過ぎたようだ。疲弊した戦士たちは無口になっていた。

 最後尾を歩いているマサムネに、アウラとレイローズが合流した。

「手強いですね」

「口も聞いてくれない人かと思ってた」

 内容は残念なものだったが、会話してもらえたことが嬉しく、マサムネは満足していた。

「知ってるか。ロクサリーヌの契約は明日で切れるのだが、あの勇者が手放さないらしい」

「契約は勝手に延長できないはずだろ」

「何かといちゃもんをつけて延長させるんだそうです」

「ふうん」

 マサムネに興味がないために対話が終了してしまった。

「助けてあげないんですか?」

「彼女は自分で何とか出来るだろ」

「この場合、争いになったらロクサリーヌに勝ち目はない。雇用関係で向こうが上だ」

 もっと乗り気になると思っていたのか、アウラとレイローズが珍しく慌てている。

「私が手を出したところで――」

「彼女がフリーになったら、君が雇えば良いのだよ」

 蒙を啓かれたように、マサムネの目が大きく見開かれた。

「そうか。それなら一緒にいられるな」

「う――うん」

 アウラが顔を真っ赤にしている。

「あの子はそれほど人付き合いが上手いほうでもなさそうだからな。誰にも相談できていないようだし」

 レイローズのその言葉が決定打になった。

「決めた。明日の契約更改を私が阻止する」

 二人が手を合わせるほど喜んでいたことが、いまいち得心がいかなかったが、マサムネは良いアイディアを得たことに満足していた。

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