第3話 わずか三本で平気な在庫
朝の山を乗り越えれば、あとはのんびりと仕事をするだけである。おばあさま方と話し込んだり、「恋人へのプレゼントを探していて……」なんていうお悩み相談に乗ったり、どこかでホコリまみれになってきたスティーユの毛をとかしたり、営業の行商人から小物を買い取ったり、そんな感じのゆるゆるの日々だ。あとは在庫の整理と欠品の補充、仕入れの計画を立てて、新しく調合しなくてはならない薬品類をピックアップしておく。
朝が早い分、午後三時には店を閉じる。閉店後に薬を調合したら、業務は完全におしまいだ。夜は田舎に住んでいるライトリィおばあちゃんに手紙を書いたり、最近凝っている刺繍を練習したりして、平常通りの一日を終える。
エルたちが冒険に出てから一週間後の昼下がり。
「よい鐘の音が聞こえたかい? アンリ」
「はい、よい響きでした。コルビックさんは――なんか、元気なさそうですね?」
コルビックは薬草の類いを納めてくれる行商人のおじさんだ。いつもだって明るくお話しするタイプではないのに、今日は溜め息ばかりでよりいっそう暗い。
入店してから実に五度目の重苦しい溜め息を吐き出して、
「言いにくいんだがね、今日納められるのはこれだけだ」
差し出された籠の中には、普段の三分の一ぐらいの量の薬草しか入っていなかった。
「え……」
思わず正直なリアクションが出てしまう。たったこれだけでは
「どうしてこんな……」
「西のダンジョンの、ほら、もともと危なかった《ピックホール》ってところがあったろう。そこが崩れて、モンスターがあふれ出したんだ」
「あー……」
「それで、いつもの採集場が荒らされてしまって……」
はぁあぁああ、と深い嘆息。
「なるほど、それじゃあ仕方ないですね」
口ではそう言いながら、アンリの頭の中では必要な
(ぎりぎり間に合うか……あ、無理だ)
そうだった、赤狼ランクの在庫があと三本しかないんだった。グレードアップするのに青花ランクを二本使う。赤狼ランクを必要とするのは《バトニアル》だけだが、彼らは必ず十本ずつ買っていく。それが休みを挟んで三日に一回は来るから――そこまで考えてはたと我に返る。胸がきゅっと縮こまる。
「そっか、あと一週間は帰ってこないんだった」
「誰が?」
「《バトニアル》です。今ちょうど長期冒険に出ていて。だから、
「そうかい。そいつはちょうどよかった。……けれど、長期冒険か。それじゃあずいぶんと寂しいだろうね」
「ええ――」
アンリはこの一週間で散々聞かされ続けたことを繰り返し言われて、ついに首を傾げた。
「皆さんにそう言われるんですけど、何でなんですか?」
「何でってそりゃあ」
言いかけたコルビックが、首を横に振ったスティーユを見て口を閉じた。
「《バトニアル》は常連さんだろう? 常連さんがしばらく顔を見せない、ってなったら、誰だって寂しくならないかね」
「ああ、そういうことか。ようやく納得できました」
アンリはにこやかに頷いた。これまでの人は「そりゃあ……なぁ」とか「そんなこと分かりきってるじゃない、ねぇ」と要領を得ないことばかり言ってきたから、全然納得できなかったのだ。しかしそういう意味だったのか。それなら答えははっきりしている。
「それは寂しいですよ。できることなら今すぐ帰ってきてほしいですね」
「うんうん、そうだろうな」
生暖かい目で頷いたコルビックは「次はちょっと早めに来るよ。いつも通り納められるよう頑張るからな」と言いつつ、なぜか来たときよりも元気な足取りで帰っていった。
「コルビックさん、大丈夫かな」
「あの調子じゃ大丈夫さ」
若者の恋バナに元気づけられているくらいならまだまだ余裕だ、とスティーユは心の中だけで呟いた。
「それじゃ、ボクは散歩に出てくるよ」
「行ってらっしゃーい」
スティーユは軽快な足取りでカウンターを飛び降り、魔法で扉を開いて出ていった。こういうことを平然とやってのける辺り、確かに猫ではないのだろう、と思いはする。猫の集会に交ざるのが趣味とはいえ。
「さーて、仕事仕事」
アンリは余計なことを考えるのをやめて、帳簿に向き直った。すっかり忘れていたけれど、《バトニアル》がいないせいで収支が大幅に変わるのだ。それに合わせた仕入れの調整と、魔法薬の必要本数の計算をしなければ。彼らが戻ってきたら、そこでも変動が起きる。それも先に計算しておいて――あとは、エルが戻ってきたときに備えての追加の仕入れを――。
(あれ、なんかすごく眠い……)
昼飯のすぐ後に小難しいことを考えていたせいだろうか、急に睡魔に襲われた。
(昨日は別に夜更かししてないのになぁ)
眠気覚ましにコーヒーを淹れようとして、そこでアンリは耐えきれずカウンターに突っ伏した。
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