第4話 もふもふの四つ足は頼りになる


「――リ、アンリ」

「ん……?」


 何かふわふわとしたものに顔を叩かれて目を覚ますと、スティーユが目の前にいた。


「いくらなんでも不用心が過ぎないかね」

「あー、寝てたんだ、私……」

「ぐっすりだったよ。昨夜はそんなに夜更かしをしてたのか」

「いや、いつも通り十時には寝たんだけどね」


 座ったまま寝ていたせいで固まってしまった背中を伸ばす。ごきごきと音が鳴って「うああ」と奇怪な悲鳴が漏れた。


「何事もなかったろうね」

「さぁ? 寝てたから分からないね」

「それはそうだろうが……もうちょっと危機感を持てよ」


 スティーユが呆れた表情を浮かべたが、寝てしまったものは仕方がない。時は戻せないのだ、とアンリは開き直った。

 ところが、


「あれ、一本足りない」


 店を閉める段になって、店頭に並べていた青花ランクの魔力補充薬ポルトが一本少なくなっていることに気が付いた。

 とたんにスティーユが鼻にしわを寄せる。


「そら見たことか。泥棒が入ったんだよ」

「うわー、そっかぁ」

「危機感ないな。君に危害が加えられていてもおかしくなかったんだぞ」


 そうか、そうかもしれない。とアンリはようやくこちらの常識を思い出した。いつの間にか慣れきっていて、昔の感じで過ごしてしまっていた。

 スティーユの尻尾が苛立たしげに左右に振れる。


「《バトニアル》が留守だと知ってちょっかいを出してきた輩かもしれないな。少し警戒しておこう」

「よろしく、スティーユ。私その手のことはてんで駄目だから」

「分かっているさ。明日は散歩を控えよう。君は早めに寝たまえ」

「了解」


 アンリはスティーユの忠告に従って、その夜は早々に寝室へ引き上げた。ところが、


(参ったな……)


 昼間の変な時間にぐっすり寝てしまっていたせいか、全然寝付けないのだ。ベッドの上で無駄に寝返りを打つ。


(……エルは今頃どうしてるかな)


 ダンジョンには入り口辺りにちょっと近付いたことしかない。それでも死にかけたのだ。あんな危険な場所に飛び込んでいって、一番奥を目指すなんて考えられない。怪我をしていないだろうか。お腹を空かせていないだろうか。病気や呪いにかかっていないだろうか……。


(あ、駄目だこれ。眠れない)


 アンリは起き上がって、やりかけだったハンカチの刺繍に手をつけた。こういうときの思考は嫌な方向に進みがちである。何かに集中して頭の中をリセットしないと。

 そうして没頭して、どれぐらい経っただろうか。一枚のハンカチが仕上がって、わずかに集中が切れたとき、


(……ん? 何の音だろう)


 しゅんしゅんしゅんしゅん、と湯を沸かしたときのような音が聞こえてきた。耳を澄まして方向を聞き取る。


(ああ、なんだ、お隣さんか)


 何をやっているかは知らないが、煙を出す何かを動かしている音だろう。いつもは寝ている時間だから全然気が付かなかった――


「――ってことは、え?」


 パッと時計を見れば、時はすでに十二時を回っている。


「しまった、やっちゃった」


 アンリはハンカチを放り出してベッドに飛び込んだ。幸い、集中していた分の疲れがどっと出てきて、すぐに眠りに取り込まれた。

 それでも翌朝はきっちり寝坊して、アンリはスティーユにしこたま詰られたわけだが。


「早く寝ろとあれだけ言ったろうに!」

「眠れなかったんだよ、昼に寝ちゃったから」

「まったく……困った子だよ。ライトリィに戻ってきてもらったほうがいいんじゃないのか」

「おばあちゃんと一緒に暮らせたら楽しいだろうな」

「そういう話をしているんじゃないぞ!」


 これは下手なことをすると長引くぞ、と察したアンリは「外の掃除をしてきまーす」と逃げ出した。


 いつものメンツが欠けた、ほぼいつも通りの朝を終えて、いつもより寝不足気味なアンリはカウンターにぐったりと頬をつけた。


「うぅ……在庫のチェックをしないと……」


 平常通り姿を消していたスティーユがどこからともなく現れて、ふわふわの尻尾でアンリの肩を叩いた。


「ほら、気張りたまえよ」

「はーい……」


 重たい体を引きずって、売れた品物の数と残っている品物の数をチェックし、金額を出していく。


(誰かレジとか開発してくれないかな……科学の力ってすごかったんだな……)


 無い物ねだりだ、分かっている。アンリは無益な考えを振り飛ばしながら、のろのろと数を数えていき、


「――あれ」

「どうした?」

「一本足りない」

「何だって?!」


 間違いない。何度数えても魔力補充薬ポルトが一本足りないのだ。


「おっかしいなぁ、売るときに間違えたのかな」

「まさか万引き犯がいつもの連中の中にいたなんて!」

「そうと決まったわけではないよ、スティーユ」

「そうとしか考えられないだろう!」


 スティーユは露骨に苛立ってアンリの足下を行ったり来たりした。


「相手はよく見ているな。ボクがいつも混雑を嫌って店を出るのを知っているんだ。ようし、そう来るなら明日はここに張り付いて絶対に動かないぞ。絶対に犯人をとっ捕まえてやる」

「そんなにカッカしてもいいことないよ」

「万引きは犯罪だ! それにただでさえ魔力補充薬ポルトの在庫が少なくて厳しいときなんだ。それをわざわざ狙って持っていくなんて、輪をかけて最低だろう!」

「そうだけどさ」

「どうしてそんなに呑気なんだ!」

「いや、一本ずつ、っていうのが……」

「それがどうかしたのかね?」

「腐る物じゃないんだし、持っていけるタイミングがあったら二、三本いっぺんに持っていきたくない? 特に昨日なんかは、私は眠っててスティーユはいなかったんだから、持っていき放題だったのにね」


 スティーユはふんっと鼻を鳴らした。


「なんだか妙なこだわりでも持っているんだろうよ。どうでもいいことだ。盗みであることに変わりはない」

「それはそうだけどさ」


 今日こそは早く寝るんだぞ、と口を酸っぱくして言うスティーユに、アンリは苦笑しながら頷いた。

 そうして翌日は万全の状態で朝を迎え、スティーユが一日中魔力補充薬ポルトの棚に張り付いた。

 結果、アンリは勝利のガッツポーズを掲げた。


「数、合いましたー!」

「ふぅ、そうでなくっちゃ」


 店仕舞いをすると、スティーユが溜め息をつきながらアンリの膝の上に寝転がった。


「しかし相手はなかなかに狡猾だな。警戒されることを見越して来なかったとは。盗まれなかったのはよいことだが、捕まえられなかった以上、警戒を続けなければならない」

「あぁ、そっか」

「これを毎日となると、さすがに少々厳しいものがあるな」


 と、スティーユは不満げにひげを震わせた。


「まったく、屈強な連中が揃いも揃って、ボクを触りたがるのは何なんだいったい」

「スティーユの毛並みは最高の癒やしだから。仕方がないね。もふもふは愛でられるものですよ、古今東西世界を問わず」

「人という奴はよく分からんな」

「まだまだ勉強が足らんのですな」

「五百年生きてもまだ足らんのか……」


 先が思いやられる、と尻尾を揺らして呟いたスティーユを抱え上げて、アンリは二階に引き上げた。



 その翌朝、また魔力補充薬ポルトが一本なくなっていることに気づくなど予想もしないで。


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