Ω
2-1
携帯電話が鳴ったのは夜も十一時を過ぎたところだった。
「はい、マクファーソンです」
『……神父、あんた?』
ささやくような声だった。
「そうだよ」
『そこにいんのあんたひとり?』
「ああ」
どこか切羽詰まったような感じだ。
「なにかあったのかい?」
彼は電話口で口笛のような音を立てて、
『女がいるんだ』
とだけ言った。
「女?」
『あ――兄貴がもってきた車の……トランクの中に』
「――なんだって?!」
しーっ、大声出すなよ、と彼は言った。
『頼むよマジで……開けたらいたんだ。若い女だよ。なんでそんなとこにいんのかわかんねえ……なんかぐったりしてるし……』
「その人は息をしているのか?」
『――わ、わかんな……』ちょっとしゃくりあげるように言う。
「お兄さんが持ってきた車って言ったね。お兄さんは知っているのか?」
『あ……兄貴じゃないよ。兄貴もびっくりしてたもん』
トランクに女性だなんて……絶対レンタカーじゃないだろう。
『いくら兄貴だってそんなことするはずないもん、女の人をそんな……』
一体全体、彼の“兄”たちはなにをしているんだ?!
頭痛がしそうな頭を必死にめぐらす。
「誰か……頼れる人は近くにいないのかい、その――“まとも”なお兄さんとか?」
『いっ……今いないんだよ、電話もつながんねえし、一番上の兄貴も出かけたままで帰ってこないし……』
通話口を手でおさえたらしく、しばらくごそごそという音がし、
『ヤバいよ……ギルの兄貴が、その人をどうしようかって言ってる……死んでるならどっかに捨てにいかなきゃとかって……それとも……ああ……まさかそんな……嘘だろ……』
頭の中の最悪の想像を無理やり脇へのける。
「とにかくすぐ救急車を呼ぶんだ」
『でっ……できねえよ』
「どうして」
『こ……ここがどこだかわかんねえだろうし……』
「君は今どこにいるんだ」
『……言えない』
「家かい?」
『家じゃない……』
「じゃあすぐにそこから離れるんだ。なんでもいいから理由をつけて」
私はうしろめたさを押し殺して早口で言った。
「そして911に電話するんだ。公衆電話から。そこから遠ければ遠いほどいい。使いかたはわかるね?」
『……できないよ』彼の声は、今にも泣き出すのではないかと思うくらいふるえていた。
『できないよ、俺……そんなことしたら、兄貴をサツに売ることになる……』
「ディーン」
『無理だよ……んなことするぐらいなら俺が……』なにかぶつぶつ言っているが、電波状況が悪いのかほとんど聞こえない。
「それならどうして私にかけてきたんだ」
かなりきつい口調で言ったので、電話口の向こうで彼が息を呑むのがわかった。
「私は神父だよ。なにかよくないことが起きているのを知りながら、なにもなかったみたいにふるまえなんて言うわけがないだろう」
無言になったが電話が切れたわけではなかった。息づかいだけが聞こえる。
「……君だって、そう思ったからかけてきたんだろう?」
スピーカーが誰かの声を拾った。おそらく彼を呼んでいるのだろう。またごそごそいう中でディーンがなにか叫び返し、
『――よっっくわかったよ、こんちくしょう、マジで肝心なときにちっとも役に立たねえな、あんたに相談なんかするんじゃなかったぜ、このクソ坊主』
と言って電話は切れた。
私はしばらくのあいだ、真っ暗になった画面を見つめていた。
わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、
それをあなたの魂から離してはならない。
それはあなたの魂の命となり
あなたの首の飾りとなる。
こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、
あなたの足はつまずくことがない。
あなたはにわかに起る恐慌を恐れることなく、
悪しき者の滅びが来ても、それを恐れることはない。
あなたの手に善をなす力があるならば、
これをなすべき人になすことを
さし控えてはならない……
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