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 とにもかくにも十一月からのほぼ一か月を真面目に走り通し、私は料理の(特にお菓子の)レパートリーを増やし、彼は語彙と文法知識を……少しは……なんとか……おそらく、最低限、必要とされる程度には……増やした。

 あとはもう祈るしかないだろう。こういうとき、聖書は祈りの文句には事欠かないから。

 補習最終日、いわば最後の審判の日を、私は日中意味もなく忙しくすることでやり過ごした。午前中に訪れてくれた生徒たちへの応対は……帰ったら司教座聖堂カテドラルに電話して、告解の依頼をしよう。



 彼はノックもせずにカウンセリングルームに入ってくると、バックパックをテーブルに投げ出し、パイプ椅子にどさりと腰かけた。

「どうだった?」

「……」

 神妙な顔つきで、カバンの中から二つ折りにした紙を取り出す。こちらへ放るようにしながら、

「六十五点だったんだけどさあ……」

 私は落胆が顔に出ないようにおさえた。

「……スペルミスだったんだよ。だから……なんとかならねえのかって食い下がってみたんだ。そりゃ、俺が阿呆だからしかたねえけど……だって、つきあってくれたあんたに悪ィだろ。けどあいつ、俺の顔も見ねえで、フンって鼻を鳴らして言ったんだ、『あとは静寂』って」

「……」

 私はなにをするでもなくテスト用紙をたぐり寄せた。適当に折られた紙の端から、青いペンで書かれた数字がのぞいている。

 ……この、+5というのはなんだ?

「……このクソったれと思ったから言ってみたんだ、『ハムレット』ですかって。そしたらさ」

 ディーンはまっすぐ顔をあげてこちらを見た。

「俺の手からテスト用紙をひったくって、殴り書きしてよこしたんだ。あんた前に言ってただろ、今度あいつがなにかワケのわからない嫌味をブツブツ言うようだったら、ダメもとでそう言ってみろ、そしたら止まるからって。マジだったな」きれいに揃った白い歯を見せて笑う。

 どれほど口が悪かろうと、この子は絶対薬物もやっていないし、前に言っていたとおり前科もないのだろうと思える。

 急いで紙をひらくと――65+5!

 私は彼を抱きしめたくなるのをかろうじてこらえた。確実に嫌がられるだろうが、シルヴェストル教諭にキスの雨を降らせてもいいとさえ思った。

 代わりに小声で感謝の祈りを唱えると、ディーンは顔をしかめた。「それ、マジでやめろ」

首の皮一枚でつながった歯の皮のみで逃れたというところだね――なにはともあれおめでとう」

「はあ? 歯に皮なんてねえだろ」彼は椅子の上で思いきり伸びをした。「それにしても、腹減ったあ!」

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