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 明くる日、私は出勤早々、彼の姿を探した。事務の女性が出欠確認をとっているから、必修科目には出席しているはずなのだが、校内放送で呼ぶわけにもいかないし……。

 ようやく、それらしいうしろ姿をみつけたのは、もう最後のスクールバスが出発しようかという時間だった。

「ミスター・ラッセル?」

 声をかけると彼はふりむいた――まさか!

 昨日あれだけ腫れていた右眼も、切れて出血していた唇も、バンドエイドどころかあざのひとつもない。双子の兄弟か他人の空似かと思った。

「……なんだ、あんたかよ」彼はだるそうに言った。「兄貴に、近づくなって言われただろ。なんの用? 飯代返せっていうんなら、おとといきやがれだ」

「そんなつもりはないよ。それより、昨日のケガは……大丈夫なのかい?」

「あんなのケガしたうちに入んねーよ。で、なんなんだよ。こうみえても、俺、忙しーんですけど?」

 彼がクラブに所属していないことは調べてある。

「ちょっと話せないかと思って」

「残念だったな、俺はあんたと話したい気分じゃない。今も、これからも」

 私はひと呼吸おいて言った。

「カウンセリングルームにコーヒーが――ココアもあったかな。それからたしかカップケーキも」

 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた気がした。

「……マジで?」

 私はうなずいた。

「食い物で俺を釣ろうったって、なにもしゃべらないぜ」

「だったらそんなに警戒することもないだろう。私は甘いものはそこまで食べないし……せっかくの好意を無駄にしたくないからね」


「甘いものが嫌いだなんて、あんたどうかしてるぜ」

「べつに嫌いなわけじゃないんだが……」

 ピンク、白、レモンイエローの可愛らしいアイシングの上にカラフルなチョコスプレーやココナツスプレッド、ナッツのたっぷりかかったカップケーキ一ダースを、マグカップいっぱいのココア三杯と一緒にきれいに腹におさめた彼を目の前にして、私は本当に、一生甘いものを食べなくてもいいような気がしてきた。 

「なあ、そっちの包みももらっていい? クッキーだろ?」

「いいけど……中身がクッキーだってよくわかったね」

 カウンセリングルーム全体が、パティスリーのような甘い香りで充満している。

「あんたが作ったの?」

「いや、料理クラブの子がくれたんだよ。ひとりじゃ食べきれないから……」

「ふーん、いいなあ」

 スポンジとクッキーのかけらを口のまわりにくっつけている様子は、十五才よりもっと幼く見える。

 生徒の情報ファイルを読んだ限りでは、近隣の中学校ジュニアハイスクールからそのまま入学してきたことになっている。成績はよく言って下の上――なんとか落第をまぬがれたという程度だ。ただし体育だけは飛び抜けている。中学時代はあちこちの運動系クラブの助っ人みたいなことをしていたようだが、どれも長続きしていない。

「お家ではちゃんとご飯を食べているのかい?」

「――あ? まあね」ちょっと怪訝けげんな表情になる。「たださあ、ウチ兄貴が六人いるんだよ。だからいつも戦争なわけ」

 それはそれは。

「みんな君と同じくらい食べるの?」

「ああ」

 ……道理であの体格なわけだ。それで殴られたのだから――

「だけど本当に……体はなんともないのかい? 吐き気がしたり、物が二重に見えたりしていないか? それから歯も……」

「だからあ、大丈夫だっつってるだろ。俺は治りがはええんだよ。こんだけ飲んだり食ったりしてるんだから、わかれよ」

「……ああ、そうだね」

 ちょっと信じられないが。

「んじゃ、美味うまかったよ」

 彼はげっぷをひとつした。

「よかったらまたおいで」

 とたんに、きつい眼差しが向けられる。

「俺に近づくな、って言いたいのかい、お兄さんに言われたから? ――逆だよ。君が私に近づく分にはなにも言っていなかったじゃないか。カウンセリングルームのお菓子を食べることについてもね」

「……キリスト教の坊主なんか信用できねえよ」

「私は学校で説教したことはないよ。今日だってほら――神父の格好じゃないだろう?」

 彼は私とカウンセリングルームのドアのあいだに視線をさまよわせていたが、やがて、バッグをとりあげて、なにも言わずに出ていった。

 窓を開けて、バターとクリームとチョコレートの甘い香りを晩秋の冷涼な空気と入れ換えながら、焦る必要はないと自分に言い聞かせる。急がば回れだ溝に落ちるよりも迂回するほうがいい

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