第29話 霊獣、動く。


 遠くに見えていた二つの点が、大きくなっていく。

 ゆっくりと羽ばたいては、滑るように近づいてくる。


「さて、おいでなすった。俺が殿しんがりで済まねえが、と奴らに物云ものいいがあるんでな。ま、姐さんの口上こうじょうで気合い入ったぜ。流石さすが、姐さんだ」


 子狐姿のまま蓮次の膝でのんびりと寝そべる玉藻前たまものまえはその言葉に、すっかり乾いた稲穂色の尻尾をふるりふるり!と揺らした。


 かなでやエルにフワフワのタオルで拭き拭きされ、同じく濡れねずみだった京に機嫌を直し、蓮次にご褒美の甘味を貰った結果である。


『れんじ。はやくはなびみたい。おいしーの、たべたい』

「んだな。ひと仕事終わったらみんなで腹いっぺえ食って飲んで、玉屋鍵屋と行こうじゃねえか」

『たまもやー。えへー』

「いいねえ、玉藻屋。ご機嫌だな姐さん」


 おどけた玉藻前をひと撫でした蓮次が立ち上がった。


「京、姐さん頼めるけえ?」

「あ、はーい。玉藻前様、僕で大丈夫ですか?」

『わーい。きょー、もっかいころんできてー』

「僕、着替えたばっかりなのに?!」


 京の腕の中で喜ぶ玉藻前を見て微笑んだ蓮次。


 すると。

 

 蓮次の傍の空間の揺らめきの中から、黒髪の竜眼の青年、燃えるような赤い髪の少年、白い顎髭を胸まで蓄えた翁の三人が降り立った。


 竜眼の青年が、蓮次に微笑む。


『我等も手伝いましょう。玉藻前にばかり美味しい所を持っていかれるのは癪ですからね。白虎と麒麟きりんは奏から貰った酒を八岐大蛇ヤマタノオロチと痛飲して不参加ですが』


 肩をすくめた青龍に、蓮次は破願した。


「うめえ酒はいいな。ま、馬鹿のかしらに血が昇りゃあ、何やらかすか知れねえ。、この町の人間には毛ほどの傷もつけたくねえ。頼まあ」


 そう言って頭を下げた蓮次と、そして聴いている三人は知っている。人間は逆上すれば獣と何ら変わらない、という事をである。


 蓮次は自分の過去から、また青龍、朱雀、玄武は永い時の中で生き物達を見続けてきたのだから。


 と、その時。


 陸へと近付いた二匹の竜が、大地を揺るがす程の咆哮を上げた。

 


 一方、グレブ帝国旗艦内では、皇帝ファルナスが口から泡を飛ばして叫び続けていた。


「よっし! 竜がおっぱじめやがるな! 何をモタモタしてやがんだ! 全速力で進めよ!」

「真正面からの向かい風です! 今しばらくお待ちを」

「くそ、こんな時に! 魔法で追い風起こすなり、木の板使って全員で漕ぐなり何とかしろ、この役立たず共が!」


 ファルナスが大声で怒鳴り散らす。その声に振り返った航海長や操舵長は唇を噛み締め、部下に指示を出し始めた。戦場であろうとなかろうと、大海原で常に命を張り続ける男達は皆、誇りを持っている。


 それをあろうことか、『役立たず』と侮蔑されたのだ。


 言った相手が皇帝でなければ、各々おのおのが自慢の膂力をって殴り倒しているであろう。


 そこに。


 宰相マルイエが大音声だいおんじょうで返した。


「ファルナス様、焦りは禁物ですぞ! 勝利をのであらば、ここは我が国が誇る海の男達にお任せあれ!」


 それを聞いたファルナスが、内心で舌を打つ。


(ち、ホントうっせえなあマルイエは。だがもうすぐだ。竜が行った。このままな町を奪えば、後は一気だ。そしたら用無しだぞ、じじい。ま、冥途の土産にいいカッコさせてやるか)


 僅かにしかめっ面をしたファルナスが、打って変わった笑顔を見せた。


「勝ちが見えて焦っちまった、みんな済まねえな。役立たずだ何だってのはもちろん本意じゃねえ。マルイエの言うとおりだ。ここはお前らに任せる。頼りにしてるぜ?」

「「「「はっ! お任せあれ!」」」」


 ガハハハ!と笑ったファルナスは気付かない。


 マルイエと、艦長や航海長といった指揮官達との、一瞬の悲しげな目線のやり取りを。


 そして。


 ダノンの町で何が起こっているかを。



 ヒュ、ゴオオオオオオオオオオッ!!

 コオオオオオオオオオオ!


 猛々しく口をガパリ、と開けた竜二匹が、身の毛もよだつ吸気の音を響かせ、胸部を膨らませていく。


 ゴアアアアアアアアッ!!!

 

 竜眼の瞳孔を収縮させて、蓮次達の左右前方から放たれた二筋の黒いうねりが、ダノンの町に向かう。


 シュン!

 シュウウ!


 が、波打ち際の辺りで搔き消えるブレス。


 グオオオオオオ!

 グ、ガアアアアアアアアアア!!


 その光景に、竜達が怒り狂う。


 駈けつけたダノン領主ゼペスは、呆然とその光景を眺める事しかできない。三階建ての建物ほどの大きさもある竜が放つ攻撃の全てが、目の前で何事もなかったように搔き消えていく。


「これほど、とは……」


 思わず呟いたゼペスの脇に並んだ弟、ダノン警備隊の長ガルディは苦笑いをして肩を竦めた。


「俺もさっきまで、ほうけたように口を開けていたらしい……こう言っちゃなんだが、今回ばかりはグレブと竜に同情するよ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る