第5話 馳せ参じたもの、その名は
(これだ!間違いねえ!)
紙と目の前の白い花を見比べ、乱雑に紙をポケットに突っ込んだカシは、小刀で花を茎の根元から切ろうとして、思いとどまる。
(売ったら高い値段になるって聞いた。母さんに飲ませた残りを売れば、病み上がりの母さんが楽になる!母さんとトトにいい食い物を、ナナンに礼もできる!)
冒険者だった父が帰らなくなってからしばらくして、カシとトトの母のマリーは死に物狂いで働き始め、カシとトトを育ててきた。
その無理がたたって身体を壊したマリーは、それでも二人の子供には笑顔を絶やすことなく愛情を注ぎながら、働き続け。
働き続け。
働き続け。
突然、倒れた。
マリーは重度の肺の病に侵されていた。
●
(母さん、母さん、母さん!身体が治ったら、もう無理なんかさせねえからな!俺、商人の学校辞めて働くから!俺が!母さんとトトとナナンを守るから!)
時折小石に指を裂かれながら、零れる涙も指先もそのままに土を掘るカシ。
そして。
(やったぜ!根っ子までほとんど取れた!)
掘り出した花を紙に包み、麻袋に入れたカシ。
(よし!よし、よし!……あっ、ナナンはどうだ?トトはどこだ?)
土を掘ることに集中するあまり、二人の事を忘れていたカシ。
先ほどまで三人でいた方向にカシが振り返るのと。
「きゃー!トト、トト!ダメぇ!!」
花を手にしたナナンの悲鳴が上がったのは、同時だった。
よたよた、とトトが向かう十数歩先には。
荒い息を吐いて身体を揺らす、大人の背丈を遥かに超える熊が立っていた。
●
力の入らない足で、それでも必死に駆けるカシ。
先にたどり着いていたナナンが、震えながらトトを抱え込んでいる。
「ナナン、トト、逃げんぞ!ヤバい獣が出るのはわかってたから、目くらましを持ってきてんだ。ナナン、立って」
「う、うん」
トトを抱き上げたカシは、立ち上がれないナナンに手を伸ばした。
そして熊に視線を向けたまま、ナナンの服を引っ張ってじりじりと下がる。
ナナンもカシの真似をして、下がっていく。
熊は、同じ場所からまだ動いていない。
(頼む!このまま、逃げさせてくれ!母さんの病気を治す花なんだ!いつか……いつか必ずお礼をしに来るから、今は俺達を見逃してくれ!助けて!神様!)
目くらましの小袋を握りしめて、一心に願い、祈るカシ。
(……よし!願いが通じたのかもしれねえ!だったら……!)
カシ達を見てはいるが、変わらず動かない熊にカシは決断する。
(……ナナン!合図をしたら、一緒に柵に向かって全速力で走んぞ!熊の気が変わって追っかけてくる前に。トト、しっかり掴まってろ)
(わかった!)
「あーぃ!」
(よし……さん!にぃ!いち!)
「行くぞ!!」
地面を蹴って背後へと駆けだした二人。
だが。
「……!」
「ちっくしょう……!!」
すぐに足を止めざるを得なくなった二人。
三人は獣達に、遠巻きに囲まれてしまっていた。
●
獣。
獣、獣、獣。
獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣、獣。
数えきれない数の様々な獣達が、異様なほどに静かに、カシ達を見ている。
そして、その中に。
明らかに他の獣とは違う雰囲気の、銀色の毛並みの子狐がいた。
直感で、これが森の主だと確信したカシは、震える声を張り上げた。
「な、なあ!アンタがこの森のヌシか?!森に入ったことはすまねえ!勝手に花を取ろうとしたのも謝る!」
銀色の狐は呼びかけに何の反応も見せず、じっとカシを見ている。
「だけど……見逃してくれ!この花を持って帰って薬にして、病気の母さんに飲ませてやりてえんだ!頼む!頼む!いつか……いつか!必ず礼をする!そん時は俺の命をくれって言ってもかまわねえ!大好きな、大切な母さんなんだ……!」
カシは涙を零しながら土下座をした。
トトは不思議そうな顔で、カシと獣達を交互に見ている。
「ヌシ様、わ、私からもお願いします!カシとトトのお母さんは、孤児だった私にいっぱいいっぱい優しくしてくれました!美味しいご飯をいっぱい食べさせてくれました!いっぱい撫でてくれました!まるで本当のお母さんのように……笑顔をくれました!カシの願いと引き換えに、私の命がなくなってもかまいません!!」
ナナンが叫び、カシの横に並んで土下座をした。
「ナナン!お前……!」
「いいの。森に入るって聞いた時からそのつもりだった」
「ふざけんな!」
「カシ……今はマリーさんの事、お願いしよう?」
ナナンのその言葉に、改めて深々と頭を下げるカシ。
「お願いします!」
「お願いします!」
こおおおおおおおおん。
突然に響き渡った、森の主の鳴き声。
同時に、カシ達を囲んでいた獣達の咆哮が唸りを上げた。
オ、オオオオオオオオオオオオオ!!
「びゃああああああああああ!」
トトが泣き叫び、カシとナナンがトトを挟んで身体を寄せた。
「な、何?!」
「やべえ!ナナン、トトを連れて逃げろ!獣達が来る!」
獣達が思い思いの動きで三人に向かってきている。
「ふざけないで!トトを連れてカシが逃げなよ!私は!アンタがいない世界で生きていたって!意味がないんだ!」
ナナンは立ち上がり、一番早く襲い掛かってきそうな獣達の前で両手を広げた。
その全身は、誰が見てもわかるくらいに震えている。
「カシ!大好き!大好き!大好き!カシのお嫁さんになりたかった!!」
「や、やめろおおおおおおおおぁぁぁぁぁ!!」
とん。
迫りくる獣達が、あと数歩でナナンに辿り着くというところで。
ナナンの目前に、秋の稲穂の毛色を持った子狐が降り立った。
そして。
ふわり。
ファサッ。
子狐が大振りの尻尾を振った瞬間、襲い掛かる寸前だった獣達が倒れた。
ナナンとカシの動きが固まる。
「え?え?ま、魔獣?何で?!」
気を取り直したカシが、ナナンに飛びつく。
「俺達を助けてくれたのか……?!」
「わんわ!わんわ!」
犬だあ!と喜ぶトトに、子狐がキッ!と振り返った。
カシとナナンが慌てる。
「トト、狐……可愛い子狐様……だぞ!」
「そうそう!もっふもふの子狐ちゃんでしょ?!こんこんって!」
「こんこー?……こんこー!」
嬉しそうなトトを見つめていた子狐は、ふんっとそっぽを向いた。
大きな息をつくカシとナナン。
目の前で配下を倒された森の主は、怒りの咆哮を上げた。
がああああああああああああっ!!
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
主の咆哮に応えるように、獣達が再び動き始めた。
だが。
ふわり。
ファサッ。
稲穂色の子狐が尻尾を揺らす度に、獣達が泡を吹いて倒れていく。
そして、それが八回繰り返された時。
子狐の尻尾は九尾に増え、それぞれが意志を持つように揺らめいていた。
先ほどまでの子狐のつぶらな黒色の瞳には、闇が渦となって巡っている。
自分以外の全ての獣が倒れ伏した状況に、怯えを隠せない森の主。
それが、蓮次のもとに馳せ参じた妖魔の名であった。
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