1-1「飴玉ではない神秘の玉」
小さな頃の記憶。
思い出せる限り、最古の記憶。
ビー玉が好きだった。
丸くて、すべすべしていて、小さくて、飴玉のように綺麗で、好きだった。
ビー玉は独特な色をしていると思う。
小さな小さな子供の頃、絵本などで教えてもらう赤・青とは違う色に見える。
これは青ではあるが、本で見た色とは違う。
あれは赤も青も交じっているように見える。
そんな不思議な色を持った丸くて小さなものが"ビー玉"なのだと思った。
幼子だからと言ってしまえばそれまでのことだが、あの時の僕は馬鹿だった。
ビー玉を喉に詰まらせたのだ。
食べ物ではないと分かっていた。
硬くてかじることは出来ないし、飴のようにべたべたしないから、きっと舐めても甘くはないはずだ。
それでも神秘的で、1つくらいなら自分の手にも握れるくらいの大きさで、つるつるすべすべした丸いものは、無性に口に入れたくなる不思議な魅力を持っているのだった。
僕は我慢していた方だと思う。
母が駄目だと言うから、やってはいけないことなのだと、何度も自身に言い聞かせた。
だから見る度触れる度、この不思議で綺麗なものを飲み込んで自分の中に仕舞い込むことは出来ないだろうかと思いつつも、食むことのないように毎回グッと堪えていたのだ。
そんなある日、僕はある遊びを発見した。
子供用のおもちゃの掃除機があったのだが、それを組み立てるパーツの1つに、ちょうどビー玉が入るくらいの太さの透明な筒があったのだ。
長さはおそらく、10~15cmくらい。
あまりにぴったりとしたサイズ感であったものだから、ビー玉を筒に通して遊んでいた。
透明な筒を通過していくビー玉をもっとよく見てみたいと思い、目の位置まで持ち上げたとき、持ち方、つまり手の角度によってビー玉が転がることに気が付いた。
そっとそっと持ち上げる。ビー玉が転がって筒を抜けてしまわぬように。落とさぬように。
しかしそこは幼児。上手く真っ直ぐに持ち上げることは出来なかった。
お腹の辺りまでは良いのだが、目の高さまでとなると途中でビー玉が落ちてしまった。
ようやっと上手く持ち上げることが出来ると、じっくりビー玉を観察した。
少しだけ傾けるとビー玉がゆっくりと筒の中を転がる。
日の光を受け、転がるたびに少しずつ異なる色を放っていく。
そして、落ちる。
そうして暫くの間観察を続けていると、筒の片側を手で塞いでいればビー玉を落とさずに持ち上げることが出来ると気が付いた。
しかし傾ける角度がなかなか掴めない。
ビー玉が筒の中を転がっていく様子と、それを落とさないようにバランスを保ちつつ揺らし続けるという遊びが面白くはあったものの、操作は簡単ではない。
そして僕は気付いてしまった。
美しき玉を
筒を塞ぐ手を、口に変えたのだ。
だって口に変えた方がビー玉を近くで見られるではないか。
それに手で塞ぐのであれば筒を傾けないとビー玉を転がすことが出来ないが、口であれば息を吸ったり吹きかけたりするだけで、筒を傾けるよりずっとゆっくりビー玉を転がすことが出来る。
ビー玉を口に入れてはいけない?では口を閉じていれば良いのだ。歯を噛み合わせていれば口の中に入ることは無い。
それまでは近くで家事をしつつも、あまりこちらを気にしていない様子であった母だが、僕が"ビー玉を入れた"筒を口にしていることに気が付くと「絶対に口に入れちゃだめよ」「気を付けてね」「危ないよ」と何度もこちらを振り返り口酸っぱく注意した。
正直に言おう。それまで、母がこちらに背を向けて家事をしていることが少し不服だったのだ。
別にどんな用事があったわけでもないが、僕を見ていて欲しかったのだ。
母からすれば、わざわざ僕の近くに家事の道具を移動させ、近くで作業をしていたのだから十分に"面倒を見ている"状態であっただろう。
僕ならそう思う。僕は子供が大嫌いだ。なんと面倒臭い生き物か。
脱線してしまった。その話はまた今度。
そうして事件は起きた。いや、起こるべくして起きた。自業自得だ。
ビー玉の上手い転がし方を発見し、ようやく母の注目も集めることが出来て大満足であった僕は「大丈夫だよ、見て見て」なんて笑いながら、相変わらず筒に口づけたまま遊んでいた。
息による操作でビー玉はゆっくりと転がったが、今度はスピードが足りず面白くない。
僕は上手くバランスを取ることが出来るんだから、もっとスリルも味わいたい。
だから息を吸いつつ、筒も、傾けた。
突然、全てが止まる。
きゅぽっという間抜けな音と共に何かが止まる。筒の中にビー玉が無い。
「ママ、ごめんなさい、口に入っちゃったかもしれない」
そう告げるはずの口からは、何も出てこない。
言葉も、音も、苦しさに喘ぐ息の
手を伸ばしたいのに、あまりに苦しくてそれしきの力も出ない。崩れ落ちる。
それが良かったのだろう。母がこちらの異変に気付く。
「飲み込んだの⁉早く吐き出しなさい‼」
前に倒れた僕を見て、バシバシと背中を、強く、強く、何度も叩かれる。
「痛いよ、ママ」
そう言いたかったが、相変わらず声は出ない。
吐き出せと言うは言うものの、何故か息を吸うことも吐くことも出来ない。
ビー玉は幼児の喉に対して「あまりにぴったりとしたサイズ感」だったのだろう。
頭が痛くなってきた気がする。
おそらく酸素が脳に届いていなかったのだ。
そして何度目かの、驚く程力強い母の殴打により、口から何かが零れ出た。
とたんに視界がクリアになっていく。
苦しみの余り涙が滲んでいた。
顔を上げ、母を見つめる。
「出た?出た?」
動き出した僕を見て確認を取ってくる。
そこからは大号泣だ。
そして僕は今、気付く。
苦しみに、恐怖に泣くということは、息が出来ないと不可能なのだ。
つい先程まで泣いても可笑しくないくらい苦しかったというのに。
息が出来るようになって初めて声が上がり、涙が
「だから、だめって言ったのに」
ごめんなさい。ごめんなさい。大丈夫だと思ったんだ。
気を付けていたし、実際暫くの間は大丈夫だったから。
もうしないよ。
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