殴ってしまえ


 慎ましく暮らせる、……わけがなかった。


 研究所では挨拶程度しか言葉を交わさなかったノア様が気付いたら側に居るし、それなりの付き合いだった令嬢達からは茶会の招待状が大量に届く。

 招待状なんてひどいもんだ。婚約破棄されたときよりもひどい。殿下との噂話よりノア様との噂話の種が欲しいのか。

 さすがに招待を全て無視はできないので、ある程度絞って参加の可否を一通ずつ綴る。これがまた大変な作業で、参加の可否だけだとあまりに簡素過ぎてしまうためレースペーパーと既製品の安価なリボンで飾り付けるのだ。

 最近は押し花で装飾するのが流行りらしいのだが、そんなことやってられない。高いし手間は掛かるし、届いたときに崩れていたらもっと最悪。

 貧乏伯爵家出身の母直伝である“招待状返し”はしっかり娘の代にも受け継がせてもらった。


 しかし同時に、ノア様の大人なところにも感心してしまう。

 オンオフがしっかりしているというか、仕事に私情を持ち込まないというか、好きだからと理由で依怙贔屓なんて絶対にしない。

 そりゃあ挨拶以外にも会話は増えたが、私の仕事内容に何ら変わりはなかった。もちろん給料の面でも。

 これが殿下だったなら、と考えると、(……うぅ〜〜ん、私情なんて挟みまくりね)

 想像してみるだけでも殿下がどれだけ迷惑だったかが浮き彫りになる。私はよく我慢したもんだ。


 そういえば先日、ノア様と一夜の過ちを犯しそろそろ家へ帰らねばとホテルの部屋を出ると、偶然殿下と鉢合わせした。

 王族しか泊まれないフロアだから仕方ないといえば仕方ないのだが、物凄く面倒だったのを覚えている。


 「シャーロット!? まさか、今までノア兄と部屋に……!?」

 「そうですけど……。あの、出来れば呼び捨ては控えて頂けると助かります」

 「今更変えるほうがおかしいだろう! それにそんなことは今どうだっていい! 重要なのはお前が今までノア兄の部屋で何をやっていたかということだ……! この俺と別れたばかりだというのに!!」

 「別れたばかりって……。まぁそうかもしれませんが別れているので問題はありません。何をやっていたかって、それは……大方殿下が想像されることをしていましたかね」

 「何!? この俺はミーシアとは結婚するまで禁欲生活だというのに!!?」


 知らんがな。

 と言ってしまいそうになったのをグッと我慢したっけ。

 あと『この俺』と言うのもやめてほしい。もう貴男アナタ基準では無くなったからそういう風に主張されてももう知らん。ついでに言うと婚約中に浮気してたお前に言われたくない。

(なんて口には絶対できないわね……)



 ──そして今。

 仕事の書類作成が早く終わったので、今日中に宮廷へ届けようと書類を携え向かっていたときだった。

 気象学研究員は15年前まで宮廷勤務だったが、専門的な資料の増加と職員も増えたため城の敷地内に研究所が造られた。建築物としての歴史は浅いが、気象学の歴史は長い。


「シャーロット。ちょっとこっちに来い」

「はい?」


 あとは届けるだけで早く帰れると思ったのに。聞き慣れた声。振り返ると、殿下が眉間に皺を寄せ手招きしている。

 これはもう面倒な予感しかしない。けど相手は王族であるから無視もできない。


「な、なんでしょう……。まだ仕事中なのですが……」

「そんなものは俺に関係ない!」

「えぇ……そんな……」


 つい心の声が漏れてしまった。

 加えて困るんだけど、という顔が気に入らなかったのか、グイと手首を掴まれ引っ張られる。

 そのままグイグイ引っ張られ、部屋に連れ込まれてしまった。途中、書類が1枚はらりと落ちたが、それを拾う暇もなかった。

 いや困る。非常に困る。

 相手は元婚約者だし、新しい婚約者も居るし、落とした資料がコンプライアンスに引っ掛かるものだったらどうしよう。

 もう私が責められる要素しかないのだが。


「あああの殿下、この部屋には他に何方かいらっしゃるのでしょうか……?」

「居るわけないだろ」

「はい!? いやっ、あの、男女が部屋に二人きりはちょっと……、殿下も婚約しているわけですし……」

「お前と俺は元婚約者だろう。だから問題ない」


(問題大アリですが!?)

 突っ込みが喉元まで出かかった。甘やかされて育ったを通り越して常識がズレ過ぎでは。というか王族なら尚更気を付けてほしい。


「シャーロット。良いか、お前にもう一度チャンスをやろう」

「はい……?」

「ふん、そうやって首を傾げては男を惑わすんだな。全く、相手が俺だったから良かったものの。ノア兄もまんまと騙されて可哀相に……」

「な、なにを……??」

「ええい! 今はそんなことどうだっていい! シャーロット、お前の気持ちはよく分かった。強がらなくていい。特別に側室の契約を結んでやるから。それなら将来の心配もしないで済むだろう?」

「は?」

「王家と帝国の結婚は政治的な契も意味する。それはお前にだって分かるだろ? ミーシアのことはもちろん愛しているが結婚しても閨の日は決められているからな。大丈夫、俺は国を背負う王子だから。国民を愛することは当たり前なんだ。だからお前も愛せる」

「っ……」


 意味が解らない。本気で理解が及ばない。

 貴男アナタの考えが毎度斜め上だから首を傾げているのに。

 言葉も出ぬほど混乱していると、何を勘違いしたのか「ああシャーロット……心配なんだな。大丈夫、前みたいに俺に身を任せればいいんだ」、そう言って其処にあったソファーに押し倒された。携えていた書類はバサバサと床へ落ちる。


「や! お止めください! 殿下っ!」

「大丈夫だから」

「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないッ!」


 不敬とか、そんなものはどうでもいいから6割本気で抵抗。

 6割の本気で抵抗しているのにも関わらず、婚約者だったときの距離感で迫る殿下。

 なにが腹立つって殿下は王族であるから護身術を身につけ結構鍛えていることだ。

 成人男性でもまま力が強いのに、キチンと身につけた相手から逃げるのは至難の業である。一応これでも貴族の端くれで殿下の婚約者だったから、私自身も護身術を身につけているのに。全く役に立たない。何度も身体を重ねてきた相手だから余計に不利だ。


 懐かしい手つきがスカートを捲くり、順調にシャツのぼたんを外していく。

 やばい。このままではヤられる。非常にやばい。

 ヤられてもどうせ私が責められるんだ。そうしたら違う意味で各方面からられる。家族共々終わるかもしれない。


「殿下ッ! お止めください殿下ッ……!」

「前みたいに呼んでくれて構わないんだぞ? 遠慮するな」

「遠慮してない……! 本気です! 本気でやめて……!」


 殿下もジャケットを脱ぎ始めたが、その下半身に血液が集まっているのが見て取れる。

 これはあれか。不敬罪承知で殴るしかないのか。

 殴ったとしても、誘惑してきたくせに暴力を振るったとかなんとか言われるのだろうか。結局そうなるのならば、大人しくヤられて側室になったほうがマシなのか。


 頭の中で様々なパターンを考えていると、ブチブチっと音を立てて着ていたシャツが開かれた。釦まで外したのだからせめて丁寧に開いてほしい。


「シャーロット……。お前、コレは何だ……」

「? …………、っ!」


 恐ろしいほどに眉間に皺を寄せ開かれた胸元を見下ろすものだから目をやると、あの夜つけられた痕がある。それも沢山。

 首まで苛められたから、次の日からは極限まで首が隠れるシャツを着て隠していた。


「お前という女は本当に……! 馬鹿なふりして顔と身体でノア兄を誘惑したのか……!! 信じられん! この俺を差し置いて!!」



(…………よし殴ろう)

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