part.3 決意

「むー」

「……ねえ、お兄ちゃん。どうしたらこんなネイアさんが不満気な顔しながらもぴったり離れないなんて状況が生み出せるの……?」

「分からない……」


 未だにご立腹なネイアさんは家に帰ったとたんに、ぴったりと側を離れようとしてくれない。

 まださっきのことを気にしているのかと思ったけれど、帰っている途中の様子は普通だった。

 考えれば考えるほど分からなくなる。


 開き直って、ネイアさんに訊ねようにも……


「あのー、ネイアさーん」

「………(ぷい」


 すねたように目を合わせてくれず、訳を訊ねることもできない。

 僕は何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか……してしまったのだろう。

 じゃなきゃこんな反応はしない。

 その割には、付きっ切りなのが分からないけれども。


 ともかくこんな様子だと僕もどうしていいのか戸惑ってしまう。


 ……一番困るのが、こうしてピッタリとくっつかれても居心地が悪いどころか心地良いと感じて、とても安心できてしまう自分の心だ。

 このままだとこっちの方が離れたくなくなってしまう。

 その前になんとかしないと。


「……名前」

「え?」


 その時、ぼそりとネイアさんは小さく呟く。

 普段なら聞き逃しそうな声量だったけれど、至近距離だったのが幸いして聞き取ることができた。

 でも、その意味をくみ取ることはできない。


「あの人だけ名前で呼ぶの、ずるいです」

「ええと……モネアのこと?」

「そうです! 私の時はさん付けなのに、どうしてあの人だけ初めから呼び捨てなんです!?」

「それは、呼び捨てでいいって言われたし……それにネイアさんは命の恩人なので」

「……その私が呼び捨てで良いと言ってもですか?」


 どうやら自分だけ仲間はずれなのがお気に召さなかったらしく、それですねていたらしい。

 ちょっとだけ不安そうに上目遣いで訊ねてくる彼女の頼み事を断るなんてできるはずもなく。


「まさか。そんなわけないよ」

「じゃあ、いま呼んでください」

「……。ネイア」


 なんだか意識すると、少しだけ恥ずかしい。


「っ! はい!」


 要望に応えて、名前で呼ぶと満面の笑みで返事をする。

 ただ呼び捨てで名前を呼ばれただけなのに、ここまで嬉しそうな反応をされるとは思わなかった。


「えへへ……」

「あの、そんなにくっつかれると……その」


 嬉しさのあまり、僕の左腕に思い切り抱き着いて喜びを現すネイア。

 だけど、その柔らかい体を思い切り押しつけられると、さすがに気にせざるを得ないというか……気まずい。妹も目の前にいるし。


「……ご、ごめんなさい。その、嬉しくてつい」


 耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに腕を放すけれど、隣に座るのは止めないらしい。

 それくらいなら別にいいか……と受け入れてしまう自分が怖い。





 名前呼びで一悶着あった後。

 ネイアはくっついていたことが急に恥ずかしくなったのか部屋にこもったってしまう。

 僕も少し気まずかったからありがたい。


「…………」

「ん? どうしたのティカ」

「んーん。なんでもない」


 ティカにいきなり腕を掴まれて、抱き着かれる。

 そのまま頬ずりするように強く掴まれるけれど、急に人肌が恋しくなったのだろうか。

 思えば、帰ってきてからあまり構えていなかった。


「よっと」

「わっ、お兄ちゃん?」


 腕に抱き着いてくるティカを持ち上げて、足の間に収まるように後ろから抱きかかえる。

 そのまま髪の毛を梳くように頭を撫でてやると、嬉しそうに体を預けてくれた。


 小さいころからこういうスキンシップを好むティカは、寂しかったり怒っていたりするときにやってあげると機嫌が良くなる。


「――やっぱり、ネイアさんの時と違うなぁ」

「……ティカ?」

「なんでもないよ。ただ、お兄ちゃんはお兄ちゃんなんだってだけ」


 何を当たり前のことを。

 ティカが生まれたその時からずっと僕はお兄ちゃんで、妹のために危険な迷宮に挑んだって後悔はしないだろう。

 心が折れて、死を前に膝をついたとしても決して妹だけは恨まないって決めているんだ。

 ……だからこそ、目の前にあって触れられる妹の命が病に蝕まれていると思うと居ても立ってもいられなくなる。


 迷宮に挑み、攻略すればその治療法が分かるかもしれない。


 それだけが僕の希望で、ずっと叶えたかった夢。

 どうしようにもならない現実に、いつしか諦めてしまった無謀な挑戦だけれど……今はそれが不可能だとは思いたくはない。


 ネイアとの約束もあるし、何より妹には長生きして幸せになってほしいというごく普通な兄としての願いもある。


 その思いを思い出すことができたのはきっと――


「お兄ちゃん、手が止まってるよ」

「ん、ああ。ごめんごめん」


 考えこんでしまったせいで、ティカの頭に手を乗せたままの状態になってしまった。

 再び頭を撫でる事を再開し、満足気なティカを見ながら僕は迷宮に挑み攻略する決意を固める。

 この子を絶対に助ける方法を見つけるんだ。

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