part.5 帰還と妹への紹介

 十階層での休息も終えて、僕たちは再び迷宮を下り始める。

 そこを境に怪物の数や強さはぐんと下がり、今の僕たちなら余裕で無視して逃げることができた。

 


 そして、それからの道のりは特に危機に陥ることもなく、順調に下っていき――


「ようやく……見えてきた」

「! この先が、外なんですね!」


 迷宮、第一階層。

 その入り口を目視できるところまで帰ってこれた。

 入り口から見える外は暗く、それだけ長い時間を迷宮の中で過ごしたということになる。


 罠にかかり、死にかけたときはもう駄目かと思った。

 けれど、生きて帰ってきたんだ。 


 ここまで一気に駆け抜けて、足がもう痛くてふらふらなのに、不思議と僕たちは入り口に向かって走っていく。


 だんだんと近づいていき――迷宮を通り抜けた。


「――ぃよっしゃあああああ!!!」


 外聞なんて気にもせず、生還をただただ喜ぶ。

 体はボロボロで今にも倒れてしまいそうだけど、そんなことも気にせず叫び続けた。

 拳を突き上げ、どうだ見たかと天を突き刺す迷宮に向かって、咆えたやる。


 迷宮の入り口は街の中心にあり、そこから急に現れて大声を出す僕はさぞかし不審者に見えただろう。

 だけど、通行人にとって迷宮から生還したものの奇行は見慣れた光景で、「なんだ、冒険者か」と一目見たらすぐに興味を失くしその場から歩き去っていく。



 ひとしきり喜び終わったことで、このまま家に帰って妹に会いたいけれど、その前に、


「ネイアさんの宿をどうするか……」


 迷宮の中にいたネイアさんに身寄りがあるとは思えないし、そもそも記憶喪失で一般常識にも欠けている。

 そんな彼女を一人にしておくのも、心配だ。そもそもこんな時間から宿を探して見つかるとも思えないし……


 となると、選択肢は一つしかない。


「ネイアさん」

「これが空……とても広い……」

「ひとまず、今日は――」

「――あっ、あれが星ですね! ……不思議ですねえ、記憶にないのに知識だけはあるなんて」


 僕が生還を喜んでいる横で、ネイアさんはおそらく初めて見るであろう外の景色に感動していた。

 キラキラと星にも負けないくらいの輝きを瞳に宿し、ずっと夜空を見上げている。

 他にも街並みや建物にも興味を示すけれど、一番に惹かれるのは星らしい。

 飽きることなくずっと見上げている。


 ネイアさんが言うように記憶喪失の割には一般知識はあることから記憶は全部なくしてないのかもしれない。

 もしかしたら星はネイアさんに残された記憶の手がかりなのだろうか。


 けれどそういうのは、


「ネイアさん、ひとまず腰を落ち着けてゆっくりと休みません?」

「あ、ごめんなさい。ついはしゃいじゃって……えへへ」


 肩を叩いて現実に引き戻し、改めて声をかける。

 少し恥ずかしそうに口元を両手で覆い、顔を真っ赤にしながら流し目でこちらを見つめては、嬉しそうにほほ笑む。


 はしゃいだことへのごまかしだとは思いつつも、効果は抜群で……そんないじらしいネイアさんの姿にドキリとさせられる。


「それで、私はどうしたら……行く当てもないですし」

「それなんだけど……もしよかったら僕の家に来ない?」





「……へぁ?」


 間をあけてその言葉の意味を理解したネイアさんは、なぜか少し間抜けな声を上げて、先ほどよりも更に顔を赤くするのだった……。





 迷宮の入り口――すなわち、街の中心部から少し離れたところ。

 人通りも少なく、住民たちの多くは寝静まりかえっている。


 そんな住宅街の隅っこにある質素な古い家。

 そこが僕と妹が暮らしている家。

 もともと、両親と妹の家族四人で暮らしていたのだけど……幼いころに死んでしまってからは、広い家を持て余していた。


 だから寝泊まりするスペースは大丈夫だとは思うけれど……


「……………………えっと、し、静かですね……」

「……そう、だね」


 先ほどからガチガチに緊張して黙り切ってしまったネイアさんのせいか、空気が妙に重苦しい。

 いやまあ、出会ったばかりの相手の家にいきなり行くのは緊張するだろうけど……それにしたって妙にソワソワしてるというか。

 視線があっちにこっちにと大忙しだ。

 手をモジモジとさせて、縮こまるみたいに肩をすくめている。


「何か気になることでもあるの?」

「へっ!? いえ、その……大したことじゃないので、気にしないでください!」

「…………」


 いやその反応で気にしないでと言われても……

 ……気にはなるけれど、そのことを聞き出す前に僕の家に辿りついてしまった。


 妹はもう寝ているだろうから、起こさないよう慎重にドアを開ける。

 気を遣っているだけなのに何だかイケないことをしているみたいで、やけに心臓の鼓動がうるさかった。


「な、なんだか迷宮にいるときよりドキドキします……」

「奇遇だね。僕もだよ」


 それはネイアさんも同じようで、胸の辺りを押さえながら僕の後ろについて玄関をくぐる。

 ドアを閉めるまでに物音ひとつ立ててはいけないような気がして、額から頬に汗が一筋。


 妹はぐっすりなようで起きてくる気配もなく、僕たちは静かに家の中に入ることができた。


 家の間取りは二階建てで、玄関はそのままリビングに繋がっており、奥には台所。

 リビングには、四つのイスとダイニングテーブル。

 一階には物置と化している空き部屋。

 二階には、僕と妹のそれぞれの寝室と、もともと両親が使っていた寝室が二つ。


 少しほこりっぽいかもしれないけど、定期的に掃除はしていたから使えないことはないだろう。


「それじゃあネイアさんは二階にある部屋を――」

「――お兄ちゃん? 帰ってきたの?」

「――――」


 今日のところはお互いにゆっくり体を休めて、明日に備えよう……というところで、階段から降りてくる妹が僕に声をかける。

 僕はその声を聴いた途端、冷や汗がだらだらで、返事をするのが遅れてしまう。

 明かりである蝋燭を灯しながら僕のほうへと近づいてくる。


「お兄ちゃん、その隣のひ――」

「ティ、ティカ! ごめんな、帰りが遅くなって。ちょっと迷宮で大変なことがあってなー!」


 そして当然、近くにいたネイアさんの存在にも気づかないわけもなく……少し低い声で僕に問いただそうとするのを強引に割り込んで、話しを遮る。


「そうなの? それで、その女の人は……?」

「迷宮でこの人に助けてもらってなー……それで、記憶喪失で行く当てもないってことで、しばらくウチで一緒に暮らそうかと思ってー……そのー」


 素直に上の階層に転移して、死にかけたところを助けてもらって一緒に迷宮を脱出した仲ですとは言い出しづらく、こんな説明にしかならない。


 なんだか、説明を重ねるごとに『女の子を連れ込むための言い訳』にしか聞こえなくて、妹もそう思ったのか僕のことを胡乱な目で見つめてくる。


「ふぅーん……そうなんですか?」

「へっ? あっ、はい!」


 突然、話しを振られてびっくりしたネイアさんを妹――ティカはじろじろと無遠慮に眺める。

 その間、居心地悪そうにする僕とネイアさん。


「――お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」


 しばらく観察されて、ティカが口にしたのは感謝の言葉だった。


「えっと……どうしたんですか?」

「ちょっと見れば分かります。……お兄ちゃんの嘘つき。ほんとは死にかけたんでしょ」

「っ、あー、まー……ちょっとだけ」


 やっぱりこれだけボロボロだと簡単に見抜かれてしまうか。

 あんまり心配はかけたくないから、大したことじゃないってことにしたかったけれど……そうはいかなかった。


「……はぁ……もう、ティカのために無理しないでって、いっつも言ってるのに」

「ごめん。でも、今回のは……不測の事態だったから」


 妹に心配をかけてしまったけれど、こんなやり取りをするのも生きて帰ってこられたからだと思うと、なんだか感慨深い。

 なんて思っていたら、


「生きて帰ってきてくれたならいいけ――ごほっ、げほっ」

「ティカ!?」


 突然、咳き込み始めて、胸のあたりを苦しそうに押さえてうずくまってしまう。

 慌てて、背中に手を置いて、ゆっくりと落ち着くまでさすってやる。


「……大丈夫か?」

「うん……ごめんなさい、今日はもう寝るね」

「ああ。……僕たちも疲れてるし、詳しいことは明日にでも話そう」


 そう言って、部屋に戻るティカ。


「ティカちゃん、大丈夫なんですか?」

「うん。まあ、ちょっと心配で具合を悪くしただけだと思うけど」


 突然のことで驚いていたネイアさんはティカのことを心配してくれていた。


「……とりあえず、部屋に案内するよ。あとで水桶と布と着替えを持ってくるから」

「ありがとうございます。お互い、ボロボロですもんね」

「……そうだね」


 苦笑しつつ、土や血で汚れてしまったネイアさんの白い儀式装束を見る。

 左腕の燃やされてしまったところはアレだけど、他は汚れているだけで、意外と丈夫なのかもしれない。


 薄茶色の髪を押さえるベールも汚れてはいるけど、洗えば全然使えそうだ。



 どうして、この人が迷宮の中にいたのか。

 それも記憶を失くして、隠し通路に閉じ込められるように。

 ……まるで、初めからそこに居たかのような……。


「考えすぎだな」

「? どうしました」

「いや、なんでもない。さ、こっち」


 僕はそんなバカげたことを考えるのはやめて、ネイアさんを部屋に案内するのだった。

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