part.2 死に瀕したとき、人は最も大切なことを思い浮かべる

 ――真っ赤に燃える視界を白い魔法陣が防ぐ。


「しっかりしてください!」

「――ぷはっ」


 自然と止まっていた呼吸を再開する。

 なぜこうなったのか記憶が曖昧で、よく思い出せない。


 見れば、恐ろしい火の手が僕らを呑み込もうとしており、それをネイアさんが防いでいる。

 けれどゴウゴウと火の勢いは止まらず、徐々に魔法陣に亀裂が走る。ネイアさんはその可愛らしい顔を険しそうに歪め、額に汗を浮かべていた。


 そこで僕は、何が起きているのか……何に攻撃されているのかを思い出す。


 ――『バベルの塔・第一の試練』。


 そう、迷宮の十階層には強敵となる『壁』が配置される。

 この先に進むには必ず、その強敵を倒さなければならず……相手となるのは、


「『翼のない竜』――竜モドキ」


 竜であることを奪われ地に落ちた怪物。

 だけれど、その強さは圧倒的。

 ……通路に配置される雑魚敵に苦戦する僕らじゃ絶対に勝てない相手。


「っ! ノゥスさん! 立って!」

「あ……えと……」


 絶望が心を覆う。

 迫る火の手で姿は見えないけれど、その存在感は見えなくても体に重く伸し掛かる。


 一体、誰のおかげで今この瞬間を生き延びているのかを考えることすら放棄してしまう。


「――もうっ、しっかりしてください!」


 放心して腰を抜かしたまま何もできない僕を庇うように前に立ち、必死に竜の息吹を押し返そうと杖に力を込める。

 だけれど、限界を迎えた障壁はガラスのように砕け散り……ネイアさんの白い服の端々は焦げてしまった。


 火の勢いは弱まっていたはずなのに、ネイアさんの左腕は痛々しそうに火傷を負ってしまう。


 ……なのにどうして僕は無事なのか。


「あ、……っ」


 そこで、現実に思考が追いつく。

 守られていたからだ。

 僕は情けなくも、目の前の出来事を否定したくて、考えることに逃げてしまった。


 放心して、動くことを忘れて……


 自己嫌悪に唇を噛み占める。

 でもそんなことをしたって、何も事態は解決しない。


「ぐぅっ……」


 不格好に立ち上がり、苦しそうに火傷を抑えるネイアさんの元へ駆け寄り、肩を貸して次の攻撃が来る前に撤退する。


 来たばかりの階段を上り、十一階層まで戻ることに。





 通路に飛び込むように倒れ、急いでネイアさんの様子を確認。


「ぐっ……」


 左腕の火傷はひどいもので、目をそむけたくなる。

 けれどこれを招いたのが自分だということを忘れてはならない。

 それに、放っておけば共倒れしてしまう。


「……くそっ」


 ……悪態も付きたくなる。

 こんな怪我をさせておいて、自分ではどうしようもない現実に嫌気が差す。


 結局、僕に思いつくのはネイアさんに無理をさせることでしかない。


「ネイアさん、回復魔法を自分にかけれる?」

「……は、い」


 苦しそうに、けれどしっかりと返事をし……喉を震わせる。


「【静寂な森で妖精は謡う、輪を作り花を咲かす、その中心に傷つき倒れた苗木がひとつ、踊れ妖精たちよ、森の静寂は癒しの唄へ】……【フェアリー・サークル】」


 ネイアさんを囲うように花束の輪が現れ、翡翠色の優しい光で包む。

 苦しそうな表情は穏やかなものへと変わり、火傷も徐々に癒えていく。


 よかった、とひとまずはなんとかなりそうで僕はその場にへたり込んでしまうのだった。









 数分もしないうちに起き上がれるくらいに回復したネイアさんは気まずそうに佇む僕の前まで来ると、勢いよく頬に平手打ちをする。


 いきなり起き上がって、いきなりビンタされてしまった。


「……どうして」


 ビンタされた僕よりも苦しそうに痛そうになりながら、ネイアさんは話しをする。


「どうして、諦めたんですか」


 どうしてだろう。

 死ぬ寸前まで行って、それでも這いずりまわって生き足掻こうとしていたはずなのに。


 妹は僕がいなければ生きていけないと分かって居るはずなのに。


「……勝手に大切なものを託して、犠牲になるなんて、どうかしてますよ」

「え?」

「覚えてないんですか? あの竜が私たちに向けて火を吹いた途端、『妹を頼む』って言って私のことを突き飛ばそうとしたの」

「僕が、そんなことを?」


 まったく記憶にない。

 でも、生き残る確率が高い僕よりも、貴重な能力を持つネイアさんのほうが生き残るべきだとは思う。


 なにより、彼女がいなければ僕はとっくに死んでいたのだから。


「馬鹿です。記憶もなくて知識もない……出会って間もない私をどうして生かそうとするんですか」

「お、覚えてないからなんとも……」

「ッ!」


 キッ、と短い付き合いだけれど、見たこともない剣幕で睨みつけられる。

 だというのに、ネイアさんは僕の手を取って額に押し付ける。

 そのままうつむいて、


「私は、自分が誰なのかもわからない。頼れる相手とか、いないんですよ」

「あ……」

「正直、あなたに頼るのは初めて出会ったからですけど……それでも、悪い人ではないと、思っています。自分の命よりも大切なものがあるあなただから」


 そのままポロポロと泣き崩れてしまう。


 僕はかけるべき言葉を迷っていた。


 そんな簡単に人を信じないで。

 僕は大した人間じゃないとか。

 この世で妹以外に大切には思えないだけだとか。


 ……だけど、


「ごめん。僕が馬鹿だった」


 出てきたのは謝罪の言葉だった。


「ひとまず一緒にここを出て、一人で生きていけるまでは隣にいるから」


 忘れてはいけない。

 僕はこの人に二度・・も命を助けてもらっている。

 なら、その恩はきちんと返すべきだ。


 彼女が望む形で。





「ごめんなさい。取り乱しました」

「いえ……一緒に、頑張りましょう」

「……ええ。ありがとうございます」


 お互いが落ち着いたところで、距離が近いことが気まずくなり、一人分くらいの距離を空けながら腰を下ろす。


「怪我は大丈夫そうです?」

「はい。回復魔法でばっちりです」


 何ともないと証明するように左腕で力こぶを作る。

 火傷で開いてしまった服の穴から覗く肌は火傷なんてなかったように真っ白だ。


 回復魔法がどこまで働いてくれるかは分からなかったけど、ここまで綺麗に治るものなのかと驚いてまじまじと見つめてしまう。


「……あの、そんなに見つめられましても」


 怪我なんてどこにもありませんから! と少し的外れな指摘をして、真っ赤にした顔を覆って照れてしまった。

 

 そんなネイアさんの様子が面白おかしくて、ずっと眺めていたいけど……そういう訳にはいかない。


「あれ、どうしましょうか……」

「……倒さずに通り抜けられないんですか?」

「無理、かなぁ……十階層はだだっ広い空間で、下に降りる前に火だるまにされてしまうかと」


 翼がないとは言え、ドラゴン……最強の怪物だし。

 素通りさせてくれるとは思えない。

 むしろ、なんで生き残れたのか理解できないレベルの相手だと僕は思ってる。


 ネイアさんが居なかったら僕は生きてなかったと改めて思い知った。


「……せめて、あいつを倒せるくらいの火力でもあれば話は変わってくるけど」


 そんな都合のいいモノがあるわけもないか。

 やっぱり、どうにかして倒されずに通り抜ける方法を考えないといけない。


「……あの、奥の手ならあります」

「奥の手?」

「はい。……アイギスには続きがあるんです。それと、これを」


 ネイアさんはどこからか、金色の輪に、真っ赤な宝石が付いた指輪を取り出す。

 ただの指輪に見えるけど、それを見た途端に背筋が凍るほどの嫌な予感がした。


「これは、『悪魔の指輪』……悪魔を呼び出して、無条件・・・で契約して力を得ることができるものです」

「悪魔の……そんなものをどうして」

「黙っててすみません……実は、最初から持っていたんです。ですが、これは危険だ。安易に打ち明けてはいけないって、そう思って……」

「それは、まあ。悪魔の契約と言えば、危険なものだって有名だし」


 そんな危険な代物を持っているなんて明かせなくて当然だ。

 悪魔というのは、ある意味では誠実だが、本質は邪悪で危険な存在。

 身に余る力と引き換えに永劫の苦しみを与えられると言われるほどだ。

 ……でも、逆に言えば、それだけ強い力を手にすることができる。

 それを無条件で。

 そんなもの、誰もが欲しがるに決まっている。


「ですが。ノゥスさんになら、渡してもいいかなって」


 はいどうぞ、とそんな代物を渡される。

 そう簡単に渡していいものなのか……


「……これがあれば、あの竜に勝てますか?」

「……もちろん」


 けれど、お陰で十階層を突破するための『鍵』を手にすることができた。


 あとは、どうやって倒すのか。

 それを考えるだけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る