part.1 信頼と試練

 答えを先延ばしにした僕に、むしろ申し訳なさそうにさせてしまったことに罪悪感を抱いてしまう。

 だけれど、この危機的状況を打破しないと何も始まらない。


「――というわけで、僕は普段とは別の階層にやってきてしまったんだ」

「なるほど……つまり、下へと降るために、私に協力してほしいと?」


 私のお願いは断っておいて、と微妙に棘のある言い回しだけど僕だけだと確実に死んでしまう。

 そこに変わりはないから、恥を忍んでお願いするしかない。


「……分かりました。いいですよ」

「本当!?」

「ええ。……私もここに長居できそうにないですし、案内役が必要ですので」


 ですが、とネイアさんは人差し指を突き立てる。


「私は、【アイギス】――防御魔法と、回復魔法しか使えません。怪物に襲われれば撃退することは無理です」

「え、回復魔法が使えるの!?」

「ひゃっ!」


 ネイアさんが回復魔法の使い手と知り、思わず詰め寄ってしまう。

 回復魔法といったら、使い手が少なくてどんなパーティーも欲しがる人材。


  魔法はきっかけとか素質があれば誰でも使えるものだけど、回復魔法は魔法使いの50人に1人くらいの確率らしい。


 冒険者になって日が浅いけれど、回復魔法が使える人がどれだけ貴重かは知っているつもりだ。


「そ、そうなんですっ。だから、できるとしても攻撃を防ぎながら逃げるくらいしか……」

「あ、そっか……でも、僕も大した装備とか力があるわけじゃないし」


 もともと採取用に大きなバックパックや護身用の短剣くらいしか持ち歩いていない。

 あとは……


「『剛力』、ですか」

「はい。まあ、大したスキルじゃないんですけど……一時的に筋力を強化することができるんです」


 デメリットもなければ、目立ったスキルでもない。

 素の筋力が強化されて腕力や脚力が増すという便利ではあるけれどパッとしないスキルだ。

 おまけに長続きせず、ずっと使えるわけじゃないからきちんと意思を持って使わないと発動しない。

 なので、先ほどのように不意を突かれて集中を乱されるとスキルを使えなくなる。


「――とまあこんな感じで、僕の身体能力じゃあ特に役に立つものでもないので、いざという時の気休め程度だと思ったほうがいい」

「……分かりました」



 そのあとも自分のできることや、もしもの時の対策を練りながら……十分後。

 水も食料もないので、一日だって速く迷宮から脱出するために行動を開始する。


「では、生きて無事に出られることを祈りましょう」

「……ええ」


 ネイアさんのその言葉と共に、隠し通路から飛び出す。

 幸いにもコボルトの姿が見えず、用意していた魔法の出番はなさそうだ。


 青白い岩ブロックの通路に囲まれながら、物音に注意しながら慎重に進んでいく。

 バクバクと心臓がうるさく、指先の震えが止まらない。


 迷宮の中は静かなもので、自分たちの足音が反響するのみ。

 話すことさえためらわれる状況で、僕たちは下に続く階段を見つけることができた。





「――――【アイギス】!!」

「――くっ!」


 あれから、何度か階段を見つけて、五回は降ったころ。

 怪物に遭遇せず、順調に進んで油断してしまったのか、通路の端で休憩しているところを襲われてしまった。


 ファットバットと呼ばれる巨大コウモリで、天井に張り付いているのに気づかず上から奇襲を受けてしまう。

 紙一重でかわして、二人で慌てて逃げるのだけど……向こうは羽で簡単に追いつかれる。


 そのたびにネイアさんが防御魔法で防いでいるけれど、


「す、すみません。そろそろ魔法が使えなくなりそうです!」


 ぜぇぜぇと息を切らしながら限界が近いことを伝えてくる。

 魔法は体力の消耗が激しく、連続して使うとしばらく使えなくなってしまう。

 無理を続けると、出血したり昏倒してしまうこともあり……こんな状況で倒れられたら、逃げることが不可能になる。


「っ、そこを右に曲がって! ぎりぎりまでコウモリを引きつけよう! あとは僕がなんとかする! ネイアさんは詠唱して、いつでも魔法が放てるように!」

「は、はい!」


 こうなったら、腹をくくろう。

 ファットバットはそこまで頑丈じゃない。

 大きな体と機動力が厄介だけれど、その分、体は軽く、人間ひとりの体重で簡単に抑え込むことができる。


 なら、曲がり角で防御魔法で弾いて、僕がそのまま飛び掛る。

 それで、ナイフで首を切るなり、なんでもしほうだいだ。



「――【不肖なる我が身、乞い願うは不動の盾】」


 杖を握りしめ、魔法を使うために詠唱をする。

 僕はネイアさんの前でコウモリが来るのをじっと待つ。……タイミングがずれれば、僕は死んでしまう。


 だけど、死ぬわけにはいかない。

 妹を残して死ぬわけには。

 だから、失敗するわけにはいかない。


 心の中で何度も、大丈夫だ上手くいくと思いこみ……その時がやってきた。


 羽を大きく広げて、獲物を見据える顔に体がすくんでしまうけれど、僕は後ろにいる仲間に向けて合図を送る。


「今だ!」

「【アイギス】! ……んっ!」


 後ろで倒れたような気配がするけど、僕はそれに構う間もなく、白い魔法陣に弾かれて態勢を崩したファットバットめがけて、飛び掛る。

 左手で羽を掴み、自分の体重を乗せて地面に押し倒す。

 体の下で骨が砕ける感触に顔をしかめながら、すぐにナイフを抜き、コウモリの体に突き刺す。


 ダメ押しで『剛力』を発動させて腕の筋力を強化しておく。


 思ったよりもあっさりと、コウモリは消滅する。

 迷宮内で怪物が死ぬと、特徴的な部位を残して塵になった。


 今回だと、腕くらいの大きさはある牙だろうか。


「っ、はあ、はあ……!」


 もう怪物はいないというのに、まだ緊張が取れず地面を見つめたまま起き上がることができなかった。

 落ち着きを取り戻すように、何度も深呼吸を繰り返してようやく落ち着いてきたころに、後ろでネイアさんが倒れていることを思い出して、慌てて起き上がる。


「ネイアさん!」


 ナイフを仕舞って、近くまで駆け寄ると鼻血を出しながら頭を押さえて、苦しそうに顔を歪めていた。

 横向きに鼻血の跡がツーっと流れており、バックの中からできるだけ綺麗な布で拭う。


 魔法の使いすぎで体調不良になってしまったようだ。

 幸い、呼吸は普通だからすぐに目を覚ますと思う。


 ……頼りにしすぎた、と反省しても、すぐに回復するわけでもない。


 襲ってきた怪物は倒したし、ちょっとくらい休んでも……走り回って疲れたし。


 壁にもたれかかって、体を休める。


「ちょっとだけ。ちょっと、目を瞑るだけだから……」





<ネイア視点>



「んん……」


 記憶喪失の少女、ネイアは目を覚ます。

 魔法の連続使用に加えて、慣れない戦いから緊張しっぱなし。

 おまけに、目を覚ましたばかりで、実は体を動かしたのも人と過ごすのも今のネイアにとっては生まれて初めてのことで……。


「あ、ノゥスさん」


 隣ですぅすぅ、と息を立てて眠るノゥスの姿を見つけ、ネイアはお互いに生きていることに安堵する。

 こんなに無防備に眠るなんて……と少し怒りたくもあった。

 また、怪物に襲われでもしたら、今度こそお終い。

 なら、無理にでも私を起こして進むべきなのに、と頬を膨らましてノゥスの寝顔を見つめる。


 だけど、先に倒れ、こうして介抱されてる身分のネイアには何も言えない。


 ……まあ、でも。


「ありがとうございます。ノゥスさん」


 寝ている彼に向かってお礼を言うことくらいは許されるのだろう。





 ――ちょっと休むつもりががっつり、眠ってしまったようで、無理をさせて倒れさせてしまったネイアさんに見張りを押し付ける羽目に。


「す、すみませんネイアさん。ちょっと目を瞑るだけのつもりが……」

「いいんですよ。私も倒れちゃいましたし」


 と天使のような微笑みで、次からは気をつけましょうねと許してくれた。


「それよりも早く進みましょう。あと十回は下ればいいんでしたよね?」

「うん。多分だけど」


 少しだけど眠れたことで、疲れも取れた気がするし、さっさと下に向かって進むとしよう。

 こんなところでのんびりしてられない。


 正確な居場所が分からないから、動けるうちに少しでも前に進んでおかないと。

 コボルトが出る階層は十五階層から十七階層。

 そしてコボルトは階段を下って以来、遭遇しておらず、そのまま四回は下ったのでおそらく現在地は十一階層。


 ここまで下りてくると、白いブロックの通路から様変わりして、薄暗くて狭い洞窟みたいになっている。

 ゴツゴツとした岩肌に、枝分かれする通路。

 たまにひらけたところに出るも、そこは怪物がウロウロとしている。


 だからこそ気を引き締めて、進まなければすぐにやられてしまうだろう。


 たった一回の戦闘。

 しかも角で不意を突いただけで、あれだけの消耗。

 これ以上の無理はこちらの体がもたない。



 ……でも、不思議と生きて帰れるって気がする。

 一人だったら諦めていたけれど、一人にさせられやい妹と隣にいるネイアさんの存在が僕に生きる気力を与えてくれてるようで……なんとしてでも生きなきゃって気持ちにさせてくれた。


 何より、死にかけたところを助けてもらったネイアさんの力になるために、頑張らないといけない。


 ただそれだけのために、なんでもできそうな気がするのだ。





 怪物を避けて、逃げて、階段を見つけては下っていく。

 次第に口数は減っていき、必要なこと以外は喋らなくなっていった。

 決してそれは悪くないことだけれど、無事に帰れたら、たくさんお喋りしようと思う。





 ……なんて、そんな風に考える余裕・・が出来てしまった。

 一人じゃない。

 同じ目的地を目指す仲間がいる。

 ずっと一人で戦ってきた僕にとっての初めての仲間。

 浮かれていた。

 浮かれてしまった。



 ――迷宮は挑戦者に試練を与える。


 実力をつけ進む者を阻むように、迷宮は特定の階層毎に『壁』を用意する。


 そう。

 階層の節目となる、十階層には強敵となる……


『グルァアアアア――――!!!』


 天を突き破らんと咆える。

 頂きを目指す者に、その険しさを知らしめる『第一の試練』。

 それは、翼をもがれ地に縫い付けられたかつての最強。


 高熱を吐き出し、真っ赤に燃える鋼の鱗が輝く。

 背中には痛々しい傷跡。

 地を這いずり、それでもなお威圧感は衰えず――。


 その名は、『翼のない火竜ファイアリザード』。


 僕らはその試練を課されるのだった。

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