『番狂わせ』な迷宮トラベラー ~不治の病に罹った妹を助けるために迷宮を攻略していたら記憶喪失の女の子を拾ってしまった~

天兎クロス

第一章 迷宮『バベルの塔』

第一話 運命との出逢い

プロローグ

 むかしむかし。


 神々が信仰され、天使と悪魔が争い、精霊が唄い、妖精たちが踊る時代。


 世界は『迷宮』と呼ばれるものに夢中になっていた。


 そこは栄光と破滅の象徴。

 無限に湧き出る資源と、無数の死体。

 獰猛な怪物たちが迷宮に挑む者たちを阻み、殺す。


 けれど、世界は未知にあふれている。

 まだ見ぬ世界への探求心。

 成り上がりを夢見る野心。

 すべてを手に入れたいという欲望うずまく迷宮で、ある一人の少年は、不治の病にかかった妹を救うため勇猛果敢に迷宮の一つ――『バベルの塔』に挑むのだった――。





 ――『迷宮ダンジョン』。

 夢と希望。

 無限の財宝と不思議な武器を蓄える宝物庫とも呼ばれれば、死へと誘う冥府の門とも呼ばれるもの。


 突如、世界に現れ、世界中に不思議な声が響いた。



『迷宮を攻略したものには力と、世界を知る権利を与えよう』



 それがどんな存在の声なのかは知らない。

 けれど、迷宮ができてから早200年。

 いくつもの迷宮が攻略され、それが事実であることが証明された。


 そうして、誰しもが夢を見て、迷宮に潜る。

 いつしか、迷宮に挑むもの。無謀へと向かうものという意味で『冒険者』と呼ばれるようになった。



 ――そして。

 僕、ノゥブルス・ヤードは迷宮に夢を見て、最深部を目指す冒険者の一人だった。


 だけれど、


「……よし。これだけあれば充分かな」


 迷宮の一つ。

 『バベルの塔』。

 天を目指さんと言わんばかりにそびえ立つ大きな塔で、全体で五十階層はあるらしい。


 その第二階層で僕はつまづいていた。

 薄暗くてゴツゴツした岩の洞窟。

 湿っぽくて、苔やうずまいた植物が生えている。

 それが僕の限界。


 迷宮から与えられる『力』。

 それさえあれば、僕にだって冒険者をできると思っていた。


 ……現実は、最下層で鉱石を採掘したり、植物を採取したり。

 時折、現れる怪物を仕留めたり。


 誰もができるけどやりたがらないことをやる雑用係。


 それが僕の冒険者としての現実だった。


 みじめだ。

 情けなくて泣きそうになる。


 でも、病気の妹を養っていくには、これしかなかった。

 他に稼ぎのいい仕事なんてない。

 身寄りのない僕たち兄妹に残された仕事は、こうして迷宮に潜るしか道がなかった。


「迷宮を攻略したものには、世界を知る権利を与えられる、か」


 それが本当なら、妹の病気を治す方法も教えてくれるのかな。

 淡い期待は、力不足という現実の前に打ちのめされる。


 こんな無力な自分では、迷宮を攻略なんて出来るとは思えない。


 せいぜい、妹の治療費を稼ぐために頑張って働くことしかできない。


「帰ろう……」


 疲れた体を持ち上げて出口を目指して歩き始める。

 いつも通りの日常。

 それが終わろうとして、油断していたのだろうか。


「え――?」


 一歩踏み出しすと、床が崩れてしまった。

 ここは第二階層。

 床が崩れて下に落ちても第一階層に落ちるだけ……だけのはずなのに。


 不思議な光に包まれ、ドサリと地面に叩きつけられる。





「痛てて……ここは」


 辺りを見渡すと、青白い岩のブロックで整頓された通路、という感じで……明らかに僕が先ほどまでいた通路とは雰囲気が違った。


「と、トラップ!? それも、転移型の? ……でも、そんな罠が二回層にあるわけが!?」


 第五階層から迷宮にはトラップが仕掛けられるとは聞いていた。

 だけど、僕が居たのは、第二階層。

 あり得ない・・・・・

 そんなことは本来、あり得るはずがない。


 明らかな異常事態に僕は混乱するばかり。

 地面に座ったまま、狼狽えるだけで……後ろに迫る危機に気づくのが遅れてしまう。


「ガルァァアアアアア!!」

「ひぃっ!?」


 大きな獣の声に驚いて振り向くとそこには大きな怪物――人型の獣、コボルトの姿があった。

 爪を振り上げ、こちらを狙っている。


 情けなく声を上げながら地面を這いずり、なんとか回避。


 どうして。

 どうして?

 どうして!?


 どうしてこんなことに!!


 コボルトは第十五階層から現れる怪物。

 つまり……僕は、最低でも第十五階層から上の階層にいるということになる。


「は、はは。終わった。僕は、し、死ぬっ!」


 二階層でつまづいている僕がこんなところで生き残れるはずもない。

 追いかけてくるコボルトから逃げる。


 けれど、貧弱な僕ではすぐに息が上がり、簡単に追いかけてられてしまう。


 コボルトは、横なぎに腕を振るい僕の脇腹を殴打し、壁に叩きつけられた。


「――あがっ!?」

「グルァ……」


 しつこく逃げやがって、と言わんばかりに僕の方を見てニヤリと口元を歪める。

 壁に叩きつけられた僕は、そのまま蹲ることしかできなかった。



 今の一撃を以って、僕は確信してしまった。


 僕は、こいつに、勝てない。


 たった一撃。

 僕の心を折るのに、それ以上は必要なかった。

 勝つことを諦めさせた。


「う、ぐぅ……っ」


 なのに。

 みじめにも生きようと、重たい体を引きずって逃げようとする。

 ……どうして。

 諦めたのに、死にきれないとでも言うのか。


 なら、理由は一つ。


 ぐちゃぐちゃになった心に僕は、生きなゃいけない理由を本能のままに口にする。


「妹、を! 残して、死ねるか!」


 僕は足掻く。

 意地汚く、みっともなく。


 そんな僕の願いが聞き届けられたのか。

 手を伸ばした先で壁が少し凹むと……隠し通路が現れた。


 奇跡だ、と僕は直感する。


 痛む体を壁に預けながら、その通路を進む。

 でも、それを許すほど怪物はヒトに優しくない。



 ――そうして、二つ目の奇跡が起きた。


「――【アイギス】!」


 綺麗な声だった。

 透き通る鐘の音を思わせる、高い声。

 聞き惚れてしまった。


 カン、と何が弾かれる音がして、我に帰る。


 後ろでは、真っ白な魔法陣が僕を守るように浮かんでいた。


「大丈夫ですか!」


 身の丈はある杖を携えこちらに駆け寄る少女はまるで女神のようで。

 薄茶色の長い髪をベールのような布で押さえており、翡翠の瞳は真っ直ぐと怪物に向けられていた。


 こんな迷宮に似つかわしくない白いスカートをはためかせ、僕を守るように怪物の前に立つ。


 何かの儀式装束のような白い服を纏った彼女を見ていると、不思議と体の痛みが引いていく。


「あ、立てます? なら、すぐそこの角に逃げましょう」

「う、うん。……君は」

「説明はあとです! 逃げますよ!」


 その言葉と同時に白い魔法陣は、パリンとコボルトの攻撃で砕けてしまった。

 少女は僕の手を取り、隠し通路へと走る。


 コボルトは不思議と追ってこなかった。





 隠し通路を抜けると、そこは広間のようになっていた。

 中央には祭壇のような台座があるだけの殺風景な空間。


「……ここまでくれば、大丈夫ですね」

「い、生きてる……!」


 死にかけから脱出したことで、一気に力が抜けてその場にへたり込んでしまう。


「わわっ、まだどこか痛いんですか?」

「い、いや、ただ疲れただけで……ところで君は冒険者なの?」


 心配して寄り添ってくれる彼女に少し照れながら、話題を変えようと質問をしてみた。

 けれど、彼女はまるで初めて聞いたみたいな反応をしてら小首をかしげる。

 そして口を開き、衝撃的なことを言った。


「? いいえ? むしろ、貴方こそ私を知りませんか・・・・・・・・?」

「え?」


 少女は、あの台座を指差して、


「私、ついさっきあそこで目が覚めたばかりで……自分の名前と使える力しか分からないんです」


 なんとびっくり。

 少女は記憶喪失らしい。

 話を聞けば、大きな音と共に目が覚めて、駆けつけてみれば僕が死にそうになっていたのだとか。


「ごめん。君については僕も知らないや」


 命の恩人の助けになれなくて申し訳ないけど、嘘をつくこともできず素直に知らないと告げる。

 けれど、彼女はそれを分かっていたかのように、にっこりと笑顔を浮かべるだけ。


「そうですか……ですが! ここで出会えたのも何がの縁です。ぜひ一緒に行動しませんか?」

「いいの? 僕、弱っちいけど」


 たぶん足を引っ張るだけだから、むしろ見捨てたほうが……と自分を卑下する。


「――そんなことありません。だって、私を見つけてくれました」

「……?」


 けれど、とても真剣にそんな僕の言葉を否定してくる。

 なぜかその言葉の意味はよく分からなかったけれど、とても大切なことのように感じられるのだった。



「では、自己紹介といきましょう。私はネイア。数少ない私の覚えていることです。あなたは誰ですか?」

「僕はノゥブルス・ヤード――長いから、ノゥスでいいよ」


 軽く自己紹介をして現状、どうするべきかを話し合う。


「ひとまず、ここがどこだか教えてくれませんか?」

「えっと、ここは迷宮の中で……迷宮って分かる?」

「いいえ、さっぱり!」


 自信満々に腰に手を当てて胸を張る。

 ヒラヒラとした儀式装束らしきものは少し動くだけで揺れてしまう。

 彼女の美しさも相まって、物語に出てくる妖精のようで……思わず、噴き出してしまった。


「あ、笑いましたね! もうー! 記憶喪失なんだから知らなくて当然じゃないですか」

「ごめんごめん……でも、なんだか気が抜けちゃって」


 常に気を張っていないと簡単に死んでしまう迷宮の中で、こんな団らんとした空気があるなんて知る日がくるとは思わなかった。

 弱すぎて誰とも組めなかった僕が、こんなに誰かと迷宮にいるってこと自体が奇跡みたいなものかもしれないけれど。


「じゃあ、迷宮についてだっけ? そうだね、簡単に言うと、一攫千金が狙えるような場所だけれど、さっきみたいな怪物がうじゃうじゃいる危険な場所でもあるって感じかな」


 聞かれたことに答えるために、軽く咳払いをして、自分の知っている迷宮について簡単にまとめて話す。

 専門家とかもっと詳しい人が聞いたら、怒られるような答えかもしれないけれど。


「ふむふむ、なるほど。……どうしてそんな場所に私はいたんでしょうか?」

「さあ? でも、無関係とは言い難いし」


 なるほど、と納得して頷くネイアさんだけど、一つ知ったことでまた一つ疑問が生まれたようだ。

 迷宮の中にいたなら、迷宮から産まれたと考えるのが自然だけど……それは、『怪物』や『素材品』と変わらない。


 ……それに気づいて、悩まないか不安になる。

 でも、ネイアさんの興味は自分には向かず、迷宮の存在意義に向いたようだった。


「……それで、迷宮とはどうして存在するんです? そんな危険な場所なんて誰も入りたがらないはずじゃあ……」

「…………。簡単だよ。迷宮を一つ攻略すれば、世界に対してなんでも一つ質問をして答えを知ることができるから」


 例えば、貴重な鉱石が掘れる山脈を知ることだったり。

 例えば、秘境の奥底に眠る不老不死の秘薬の在処だったり。

 例えば、失われた古代魔法だったり。


 ……例えば、不治の病に侵された妹を治す方法、だったり。


「それこそ、君の記憶を取り戻す方法だったり。とにかく、なんでも質問することができる。そして、そんな危険な迷宮に挑む人たち――」


 世界を知るために、危険を冒して、険しい道を潜り抜ける者。


「――そんな者たちを、僕たちは『冒険者』って呼んでるんだ」



 ……なんだか、熱く語ってしまったような気がする。

 でもなんだか、ネイアさんの目はキラキラと輝いているように見えて……


「あ、あのっ。こんな時になんですが、ひとつお願いしてもいいですか!」


 杖をぎゅっと握りしめて、すーはーと深呼吸をする。

 一世一代の告白のような空気に体が緊張して、強張ってしまう。


「私と一緒に、その迷宮を攻略してくれませんか!」

「――!」


 そして思いもよらないそのお願いに言葉を失った。

 命の恩人のお願いなら、力になりたい。……でも、僕には無理だ。

 きっと足を引っ張って、ネイアさんの役に立つことすらできない。


 だから、心苦しいけど断らなくちゃ。

 一緒に行動するだけならともかく、迷宮を攻略しようとするなら、僕じゃ絶対にダメだ。

 そう思ってるのに、乾いた口はうまく言葉を言わせてくれず、ただ開閉するだけ。


「大丈夫です。記憶もないし、出会ったばかりだけれど……貴方は私を見つけてくれた。だから貴方がいいんです」

「あ、ぅ……」


 屈託ないその笑顔に、僕は負けてしまいそうだ。

 たまたまで偶然で、死にかけていたところを助けてもらったのに……僕は彼女に頼られて嬉しく思ってしまった。


「――っ、と、ともかく! まずは迷宮から出て、落ち着いてから返事させてください!」


 ようやく出てきた言葉はお願いの返事を待ってほしいというなんとも情けないものだった。

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